「正直小野さんには私の小説を翻訳してほしくなかったんです」
―― 『ファミリー・ライフ』は、不幸な事故によってもたらされた苦労と葛藤に立ち向かうインド人家族の物語です。「介護」「家族の絆」「少年の成長」など、さまざまなテーマが読み取れますが、この物語を書いた動機について教えていただけますか?アキールさん自身の実体験が元になっている部分も多いとお聞きしました。
アキール: まず、私は作家として常に何か書くためのトピックを探しているということがあります。
そのうえで、私の家族に起きた悲劇的な出来事、つまり私の兄が事故で寝たきりになってしまったという出来事を覚えていてもらいたいと思いました。どんな出来事も忘れられてしまったらまったくの無駄で意味のないことになってしまいます。そうならないように、兄の事故から何かいいものを作り上げたいという思いはありました。
―― 翻訳した小野さんがあとがきで書かれていましたが、この作品を書き上げるのに13年かかったそうですね。これほどの時間を費やすことになった困難さはどこにあったのでしょうか。
アキール: 一つは過去を理解することです。同じことを思い出すのでも、ある日は悲しい気持ちで思い出したり、別の日はおかしくて奇妙だなという思いを持ったり、気持ちはいつも同じではありません。
たとえば、作中でも書いているのですが、不思議な力を持っていると自称するインド人が、その奇跡の力で兄を治せるといって一時期私たち家族のところに通ってきていました。私はその人の治療を見ながら、子どもながらに何だか変だな、おかしなことをするなと思っていたんです。
「この人はなぜこんなことをやっているんだろう」と考えたり「これで治るのかな」と考えたり、当時ですら色々な気持ちを持っていたわけですから、今思い出すのも様々な感情を伴います。そうした多様な感情をもって一つのことを思い出そうとする難しさがありました。
それと、この小説は技術的に複雑な書き方をしていて、それも時間がかかった要因だと思います。
―― 次は小野さんにお聞きしたいと思います。小野さんは小説家として活動しながら、翻訳者として海外の小説を日本に紹介する役割も担っていますが、『ファミリー・ライフ』に最初に触れた時の印象を教えていただきたいです。
小野: アキールに出会ったのは2014年の6月で、イギリスのノリッチというところであった文学のシンポジウムの席だったのですが、そこですごく親しくなって、特に人柄に興味を持ちました。というのも、今彼が話していたように、アキールのお兄さんは事故で脳にダメージを負って寝たきりになってしまったのですが、僕の兄も脳腫瘍で、その時ちょうど治療を受けていたんです。
境遇が近いということで、個人的に関心を持ってアキールの小説を読んでみたのですが、本当にすばらしかった。夢中になって読んで、これはぜひ僕自身が訳したいと思いましたし、訳す価値のある小説だと感じました。
さっき、アキールが作家は書く価値のあるトピックを常に探していると言っていましたが、翻訳者も日本語に訳して日本の読者に届けたいと思える作品に出会いたいと思っています。この作品はまさにそんな作品でした。
―― お二人が出会ったというシンポジウムの話が面白くて、小野さんはあまり存在感を発揮していなかったのに、なぜかアキールさんに話しかけられたと。
小野: 僕は存在感を発揮していないどころか、ほとんど存在もしてないくらい(笑)。アキールもシンポジウムの席上では僕に気づいていなかったみたいです。
アキール: 何が起きたかというと、シンポジウムが終わった後で、私はかわいらしい女性と話していたのですが、彼女が急に「ちょっと行かなくちゃ」といって立ち去ってしまったんです。そこにたまたま小野さんがいたので、「じゃあしゃべりましょうか」と。
小野: おもしろいことに、僕もその女性を見ていたはずなんですけど、まったく覚えていないんです。アキールの印象が強すぎたのかもしれません。
アキール: 確かにその女性はかわいらしかったのですが、私も小野さんと話した後は彼女の印象は薄れてしまいました。私にとっても小野さんと話せたのは大きなことでした。
私たちは確かに似た境遇で同じ問題を抱えていたのですが、それよりも問題の解決法が共通していたんだと思います。私たちと同じような問題を抱えている人はたくさんいますが、精神的な面でそれにどう対処していくかという解決法が、私たちは似ていた。
―― その時の会話で覚えていることはありますか?
小野: 人間は恐怖を抱いている時、他人に優しくなれないし、恐怖が人を不安に陥れて、いい人間になれなくするという話をしたのを覚えています。僕はその時まで、人に優しくできなかったり、いい人間になれないことの原因を、「恐怖」という問題では考えていなかったので印象に残っています。
アキール: その恐怖や恐れを克服するためには、愛されることや愛することがすごく大きな役割を持つという話もしましたよね。
―― ご自身とどこか共鳴するものを感じていた小野さんが『ファミリー・ライフ』を訳すと知った時、どのように感じましたか?
アキール: 実は、小野さんが自分の小説を訳してくれていることは、完成するまで知りませんでした。翻訳家というのは大きな報酬があるわけではないですし、難しい大変な仕事だと思います。
それに、正直小野さんには私の小説を翻訳してほしくなかったんです。大変な作業だというのはわかっていましたし、自分が大好きな人から贈り物を貰うと、何だか居心地が悪くなってしまうじゃないですか。こっちが贈り物をあげたいくらいなのに、逆にもらってしまうなんて、ということで。ただ、もちろんとてもうれしかったです。
小野: 「訳している間、他の仕事はどうしていたんだ」ってさっき聞かれたんですけど、こっちとしては、他の仕事は後回しでいいから、この小説に向き合っていたいというくらい、訳していて喜びを感じる小説でした。大学で教えている関係でまとまった時間は取れないなかで、何とかやりくりして訳すのが楽しみでしたね。
兄が事故で寝たきりに 介護する家族に訪れた変化
―― 「寝たきりの息子を抱えた家族の葛藤」というシリアスなテーマを扱っている反面、時々笑いを抑えきれない場面もありました。妙な質問ですが、この感じ方は正しいのでしょうか?
アキール: もちろんです。作中におもしろい部分をたくさん入れているので。
小野: 主人公のアジェの一家がアメリカに来て、お母さんが仕事を探すというのでどんな仕事がいいかと話している時に、まだ元気だったアジェのお兄さんが高速道路のチケットを売る仕事を薦める場面が笑えましたね。お母さんは下半身が太っているから上半身しか見えないところで働くのがいいんじゃないかと。それを見て幼いアジェは兄をものすごく頭のいい人間だと思うという。
―― 個人的にはアジェの両親の会話が好きです。生活の苦しい現実が滲み出ていながらも、どこかユーモラスですよね。
アキール: それはうれしいですね。お母さんの耳の調子が悪くなってしまった時に、お父さんが心配しつつも「まかりまちがって何かいいニュースがあった時は教えてあげるよ」と言ったり、そういうちょっと笑えるようなエピソードはたくさん入っていると思います。
―― とはいえ、物語の中心にはアジェの兄・ビルジュの事故が横たわっていて、その日を境に家族はそれぞれ別々の方向に変わっていきます。お父さんは酒に溺れ、お母さんは宗教的ともいえる熱心さでビルジュの世話をするようになり、アジェはアジェで自分の変化を感じている。ただ、寝たきりになって回復の望みが薄いビルジュを重荷だと感じる自分の心と戦っているという点は共通しているように思いました。
アキール: 介護することを負担に感じてしまうという事実そのものを、介護する側の家族は自分の誠意のなさや誠実さの欠如と捉えてしまいやすい。作中のアジェも、彼の両親もその心理から目を背けようとしている部分がありますよね。
私の兄はもう亡くなってしまったのですが、彼が死んだ時、祈りもしたし精一杯の献身もしたし、自分は十分によくやったと母は思っていたはずです。ただ、それでも彼女はその後の人生で「もっとできたんじゃないか」という自己否定の感情を持っていたようです。
―― 家族それぞれの心情はすごく複雑で、介護が重荷だというだけではなく、ビルジュや他の家族のことを愛おしく思う瞬間もあります。かならずしも一貫しない感情を書くためにどのような試みをしましたか?
アキール: 気をつけていたのは、読者を作中のリアリティにいかに巻き込むかという部分で、そのために文章のトーンを細かく変えています。コメディっぽいところからシリアスなところ、それから大人になりかかった少年独特の感情を表すようなトーンを使ったり、といったところです。
―― 主人公のアジェについていえば、最終的に自分の幸せに呵責を感じてしまうほどに変わってしまい、重苦しさを感じました。
アキール: 不幸な状態に慣れてしまうとそれが習い性になって、幸福なときに顔をのぞかせては「幸福を感じている自分」に干渉してくるということは、人生の中でもあると思います。
ただ、ラストについてはもう少し複雑ですね。最後の場面でアジェは幸福の中に様々な悪いものの象徴も感じます。たとえばアルコール依存症だった父や、一家の不幸を思い起こさせる家などです。そうした象徴的なものを同時に登場させることで、ひとことでは言い表せない複雑さをあの場面では表現しています。
海外文学の注目作家アキール・シャルマのお気に入り本
―― この作品からは、アメリカに移住したインド人の葛藤も読み取れます。インド人のままではアメリカで暮らせない一方、アメリカ人になりきることもできないという複雑な立場で、アキールさんご自身はアメリカでどのようにアイデンティティを発見していったのでしょうか。
アキール: 大人になるにつれて精神的に安定して、自分自身でいることを快適に感じることができるようになったというのもありますし、私の場合は作家としてのアイデンティティを確立することができたというのも大きかったです。国際的に活動する作家というのが、今の私の一番のアイデンティティなので。
―― 作中でアジェがヘミングウェイの評論を読んで創作を始める場面がありますが、アキールさんご自身もそのようにして小説を書き始めたのでしょうか。
アキール: これはもう現実そのままです。その通りですね。
―― アキールさんが人生で影響を受けた本がありましたら3冊ほどご紹介いただきたいです。以前、小野さんに同じ質問をした時は、本ではなく「影響を受けた人」を教えていただいたので、そちらでも構いません。
アキール: じゃあ、「影響を受けた作家」にします。私が影響を受けたのは、トルストイ、ヘミングウェイ、チェーホフの3人です。
―― トルストイはどの作品が最も気に入っていますか?
アキール: 『戦争と平和』ですね。兄が病院に入院していた頃、彼は人工呼吸器をつけて横たわっていたのですが、私はその兄の姿を見ていられなくて、背中を向けてこの小説を読んでいました。私にとって思い出深い本です。
―― ヘミングウェイはいかがですか?
アキール: 『日はまた昇る』が一番好きですし、影響を受けました。この作品はヘミングウェイの小説のなかでは荒削りで、たとえば『武器よさらば』の方が文章が磨き上げられていてよくできていると思いますが、影響を受けたかどうかでいうとこちらですね。
チェーホフは全部いいです。英訳版はいろんなバージョンが出ているのですが、どれもいい仕上がりでした。
小野: チェーホフの作品についても、『戦争と平和』のように自身の人生の一場面と結びついていたりするんですか?
アキール: 小説を書いている時に、たまにパニックに陥ることがあるのですが、そういう時にチェーホフの「The New Villa」という作品を読むとすごく落ち着きます。そんなによく知られている作品ではないのですが。
―― 最後にお二人から日本の読者にメッセージをお願いします。
小野: 決して読みにくくはなく、読者に開かれていて、中に入れば各自が自身の経験と重ねあわせながら色々なことを考えることができる作品です。介護に直面した家族の心情という、今の日本にとっても重要なトピックについて書かれている本でもあるので、ぜひ多くの人にいただきたいです。
アキール: 笑えるところもありますし、つらい時に読めばホッとできるところ、安心できるところもあると思います。楽しんで読んでもらえたらうれしいですね。
取材後記
作者と訳者両方からお話を聞けるという贅沢な取材。
『ファミリー・ライフ』という作品が、アキールさんと小野さん二人の共通の「体験」としてあり、その思い出話をするような和やかな時間のなかに、それぞれのこだわりが垣間見える瞬間もあって、取材者としても(あたりまえですが)目が離せませんでした。
アキールさんの作品は今回が初の邦訳。別の作品が邦訳される際はまた小野さんの訳で読めたら最高だと、いち小説ファンとして願っています。
(インタビュー・文/山田洋介、撮影/金井元貴)