INTERVIEWインタビュー
センター試験の「ムーミン問題」が示す日本教育の行き詰まりと未来
2020年、教育改革の一環として「大学入試」が変わることになっています。
大きな変化の一つは、従来の「センター入試」に代わり、「大学入学共通テスト」が導入されること。「共通テスト」ではマークシート試験に加えて記述式問題が出題され、英語は段階的に英検などの外部試験に移行します。
改革の目的は、根本から子どもたちの「学び」を変え、複雑化した現代社会を生き抜くための能力を伸ばす教育をすること、ではありますが、入試を控えている世代の親子を中心に、その行く先を不安な思いで見つめている方も少なくないと思います。
そんな教育改革について論じているのが『不安な未来を生き抜く最強の子育て 2020年からの大学入試改革に打ち勝つ「学び」の極意』(佐藤優、井戸まさえ著、集英社刊)。
大学入試改革の内容とは? これからの子どもたちの「学び」はどのように変わる? そして、親はどのように対応するべきなのか?著者の一人であり、自身も五人のお子さんを持つ親でもある井戸まさえさんにお話を伺いました。
2018年センター試験の「ムーミン問題」が示すもの
――佐藤優さんとの共著は今回で3冊目となりますが、佐藤さんとの対談で刺激的な部分はどんなところにありますか?
井戸:
対談と言うよりは私の悩みに佐藤先生が答えて行く、というのが相談が本になっていく形になっているんです。ただ、私には五人の子どもがいるので、私の悩みというのは多くの親の悩みでもあります。それを"知の巨人"である佐藤先生にぶつけられるのは貴重ですよね。
佐藤先生のように、色々な経験をなさってきた稀有な方の言葉というのは打ち返しも難しいけれど、何にも代えがたい知的な刺激をいただけます。それを私だけでなく多くの方と共有したいというのが本にしている理由です。
――今回の書籍では2020年の大学入試改革を軸に議論しておられますが、その中で今回の大学入試改革を「教育改革の中でも、戦後最大級の改革」と評しておられます。この改革の重要性を認識している親はどのくらいいるという印象でしょうか?
井戸:
変わることは知っていても、危機感を持ち、内容を調べたり、十分に理解をしてらっしゃる方は多くはないと思います。
教育改革が子どもたちのこれからの学びにどのようにつながるかを考えるよりも、「子どもを合格させなきゃ」「どうやったら合格できるの?」という目の前のことに考えがいってしまいがちで、改革で教育環境や社会がどう変わるかということにまで意識が向いている人は多くはないという印象です。
――大学入試を始めとした一連の教育改革の重要性を敏感に察知していたり、危機感を持っていたりする親には、何か共通点はあるのでしょうか?
井戸:
危機感というものを持つときには、二つの軸があります。
ひとつは、歴史的な流れや経緯を見ていく軸です。1979年に「共通一次テスト」が生まれ、約40年を経て制度疲労を起こし、今回の大学入試改革につながるといった流れですね。
もうひとつの軸は、世界の潮流やグローバルスタンダードといったものです。
この「日本の教育制度の経過」と「世界の潮流」の2つが、今、大きくズレてきているという実感を持っている人は危機感を持っていて、改革の重要性に気づいていると思います。
たとえば、日本国内で仕事をしていても海外とやりとりしたり、海外の人材と触れ合う機会があったりする人なら「今の日本の状況はマズい」ということを肌で感じていると思います。インドでも中国でも優秀な人は増えているので、海外の教育システムで学んできた人たちのほうが、今の時代における「使える人材」だと感じて危機感を覚えることはあるでしょう。だからこそ、子どもを海外に留学させるなど、学びの機会を子どもに与えている親はいると思います。
今回の教育改革は、これからの日本の社会に大きな変化を与えるものだと思うので、お子さんが大学に行く行かないに関わらず、また、お子さんがいない方でも「大学入試改革がどんな意味を持っているのか」ということは広く国民の皆様に知って頂きたい事象ではあります。
――では、今回の教育改革で井戸さんが一番期待することは何ですか?
井戸:
本書の中で佐藤先生は、「この改革がうまくいけば、日本社会のOSが変わる」と看破しています。「大学入試が変われば、教育が変わり、ひいては社会全体が変わる」とも。私もそう思います。
今までのマークシート式の試験は暗記で問われる知識が多く、40年近く続いてきたことで制度疲労も起こしています。その試験で選ばれた学生が、大学の期待する学生とは違ってしまっているということもあるでしょう。だからこそ、大学入試改革が必要とされているわけです。
自分で考えて答えを出す必要のある「答えのない社会」に対応できていないこれまでのテストとは違う志向の問題も増えるでしょうね。
今年のセンター入試では、試験問題に「ムーミン」が登場したことが話題になりましたが、学校では教えない「アニメの舞台となった国の名前」を問うもので、入試問題としてふさわしいのか、という批判もありました。
実際には地理的な知識があればアニメ自体を知らなくても解ける問題ですし、2020年の改革を意識して、もうひとひねり考えさせることで解が出るといった、新しい試みをやろうとしたと言われています。ただ、「本当の舞台はムーミン谷」などの落とし穴もあり……そこはツメが甘かったとも(笑)。やはり新しい思考を4択のセンター入試の枠組みでやるのは難しいのだと、実感もさせられました。
様々な問題を、自分自身で自発的に見つけ出して解くという、「アクティブラーニング」が導入されるのも、まさに時代に合ったことだと思います。
そもそも学びは誰かにやらされるから嫌なわけで、自分から勉強したいと思ったら楽しいはずなんです。「答えがないところで答えを探す能力」が求められる社会になっていく中で、その能力を伸ばすための学問的なバックグラウンドをつけてあげる。それが今回の教育改革が担う役割だと思います。
学問というものは貴いもので、自分を守ってくれたり、自分に喜びを与えてくれたり、仲間との共通語になったり、様々な意味で人生を支える大きな柱になリます。何のために学ぶのかを理解できればもっと楽しく学問をできると思うので、そういう機会の広がりは期待するところです。
――改革による変化の当事者である学生の反応というのはどうなんでしょうか?
井戸:
私には中学三年生の息子がいるのですが、その息子に大学入試が変わることを知っているかを聞いたら「もちろん知っている」と言っていました。中学校の教育もすでに改革を前提に変化していっていて、彼らはそれが当たり前の事として2020年に高校三年生を迎えることになるので、対応は難しくないと思います。
ただ、彼らも大学入試改革なるものが、どういう意味を持つのかは興味があるところだと思うんです。誰もやったことのない事をやるので、その意味では子どもたちも不安だと思うんです。未知だからこそ不安なので、そこのところを子どもたちも敏感に感じ取っている部分はあると思います。
その不安を解消するには知るしかありません。佐藤先生もおっしゃっていますが「いい意味で変えなくてはと思うからこそ改革をしようとしている」と捉えることが大切だと思います。
もちろん、新しい試みなので批判も出ると思います。でも、その批判というのは今まで通りやったほうが安心できるからこそ出るものだと思うんです。
特に私たち親世代の人間は従来の教育制度で育っていて、それを変えるということは、自分たちが否定されるという感覚もあると思います。
けれど、それは否定ではなくて今の時代に合わせた動きです。古いOSから新しいOSに変えていくという試みでもあるので。
でも、考えてみれば今の中学生はすでに新しいOSなんですよね。私たちの時代にはなかったツールを使って、友達どころか世界中の人たちとやりとりをしていますよね。そういう意味では、子どもたちのほうが今回の改革には柔軟に対応していけるのかもしれません。
一方、保護者に対して学校でも「2020年大学入試改革」に関する説明会もありますが、古いOSである親世代の方が戸惑っていると思います。
子どもの進路選びに親はどの程度参加すべきか?
――中学生の息子さんが「ユーチューバーになりたい」と話していることが書かれていましたが、お子さんに自分自身の将来の真剣に考えてもらうために取り組んでいらっしゃることはありますか?
井戸:
それはなかなか難しい問題です。たとえば、子どもに「あなたは医者か弁護士を目指しなさい」と誘導することでうまくいくこともあるでしょう。
ただ、私も五人の子どもを育ててきてわかるのは、「子どもは自分ではない」ということなんです。
親には、子どもを水飲み場まで連れて行くことはできます。でも、水を飲む意思がない子に「飲め飲め」と言っても飲まないんですよ。
なので、親にできることというのはある程度決まっているのだと思います。子どもが何かをやりたいと言い出した時にそれを応援しながらも、危険だったら「危険だよ」と言ってあげるくらいしかできることはないんですよね。特に中学高学年以降は。「ユーチューバーになりたい」と言っているのは、前にもお話しした中学3年生の子どものことですが、本書で佐藤先生に相談しています。一言でいえば結論は「見守れ」ということですが、詳しくは本書をご覧くださいね(笑)
何かに強い興味とか好奇心とか行動力が、何か別のものにつながることもあるわけで、簡単に否定はしてはいけないなんだろうなと思いますね。
――本書では、教育格差についても論じておられます。教育格差は経済問題であるという現状がありますが、現実問題として、経済的に余裕がない家庭で、子どもの教育の質を高めるためにできることはありますか?
井戸:
これは大変悩ましいことですね。たとえば、経済的に恵まれない方やシングルマザーの家庭のお子さんのために無償で塾を開くなど、学びを提供しているところもあります。そういった環境を活用していくことも一つの方法ですが、なかなか全部の方が利用できるまでには、広がってはいません。
ただ、誰でもできることもあります。佐藤先生と私が共通しているのが「本を読むこと」ことですね。本書でも、何度も読書の大切さに触れています。それは、教育改革後も変わらず重要だと。
読書であれば、学校や地域の図書館を利用すれば、お金もかからず誰でも学びを得ることができますからぜひ、読書を楽しんでください。
――「図書館で本を読む」となると参考書や学術書をイメージしてしまいがちですが、ご著書の中で読書についてお話しされているところでは、ミヒャエル・エンデの『モモ』やマーク・トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』などの古典的な小説が挙がっていましたね。
井戸:
優れた古典は時間を超えて、今につながる普遍的な本質を描いていますよね。それがすんなりと心に入ってくるところが、小説のすごいところ。
私の5番めの子どもは、中学2年生ですが、芥川龍之介が大好きです。芥川龍之介も古典ですが、彼が中国などのさらに古い古典に題材を取ったものが、とても面白いと喜んで読んでいます。中国のお話も読んだけど、「それより芥川がパクって書いたもののほうが全然面白い」と。
芥川龍之介や夏目漱石とか、文豪と呼ばれた人たちは、さらに昔の古い古い古典に学んで、物語の題材やツボ、つまりは「型」を押さえているんですよね。その上で「型くずし」をする。そうした関係についても、読んでいるとわかってきます。
だから近・現代のものも含めて、広い意味での「古典」はとても大事なんです。初めは子ども自身が楽しめるものから入っていいと思います。「世界の名著が10分でわかる」みたいな本でも導入としてはいいし、そこから読書の習慣が広がって、「知の冒険」に出るのは良いことだと思います。
――本書終盤では、井戸さんが、ぜひ佐藤さんと話したいということで発達障害児の自立と進路について議論を交わされている部分がありましたが、今の教育制度は発達障害児に対して十分なケアや措置が取れていると思いますか?
井戸:
十分かといったら、まだまだだと思いますが、私が子育てを始めた25年前とかに比べれば、理解もずっと深まっているし、支援の体制も整ってきてはいると思います。
ただ、それが進学や就労に直結しているかというとそうではないとも感じます。
発達障害を抱える人たちは、未だに生き辛さを抱えながら「自分は何ができるのか」と考えていたり、親御さんたちも引きこもりになりがちな我が子のことを悩まれたりしているのが現状です。
特に就労については課題があると思っています。発達障害の方はコミュニケーションが苦手なので、学生生活や、遠足や運動会などの「集団で何かする」「最後まで何かをする」といったことから外されてしまうと、圧倒的に経験が少なくなっていきます。
その経験の足りなさを埋めていくことはとても大変なことですが、そういった面を就労に至るまでにカバーして、最終的には自立させる仕組みや仕掛けに厚みを持たせる必要はあるのではないかと思っています。
――では、発達障害の子どもを持つ親が持つべき心構えというものはありますか?
井戸:
子どもたちは自分が人と違うことを十分に自覚していると思うんです。
私自身も興味のないことはまったく覚えられないですし、頭に方位磁石がないから道によく迷うんです。人からはわざとやっているんじゃないかと言われるけれど、でもそれって自分ではどうしようもない。
そういう子どもがいて、親ならば正さなくてはと思うから、叱ったりしがちですよね。でも、いつも怒られてばかりでは、子どもも萎縮してしまうと思うんです。
発達障害については検査もあります。実際にそうだとわかれば対応できますし、そうでないとしても、その子の特性がわかります。何か偏りがあるわけですが、その程度はどうなのか、なぜその行動をするのか、支援はどうすればいいのか、などを具体的に考えることもできますから、むやみに叱ることも少なくなります。お子さんをお持ちなら、検査を受けることも前向きに考えてもいいのではないかと思います。
社会の中で生きていくには「自分ができることをやっていく場」が与えられていくことが大事になります。失敗やミスは織り込んだ上で、自己承認ができる場や機会を奪わないことは必要だと思いますし、一緒にいる人が共有することも大切だと思います。
――最後に、子育てに奮闘する親世代の方々へのメッセージをお願いします。
井戸:
子育てというものには、「成功」はないと思うんです。いや、そう思う瞬間はあっても継続しない(笑)
親に取っての「子育ての成功」とは何かと問われたら、すぐに出る答えは「安定した職についている」とか、大事なことだけれども、ものすごく表面的なことになっちゃう。
たとえば自分が親として子どもに望むことは何かっていうと「いい高校、いい大学に行って、良い会社に就職」っていう一般的で平凡な答えしか出ないわけですよね。でも、それって実体はないんです。
親の思う「成功」はある日突然崩れてしまうこともあるわけです。東大を出て一流企業に勤めていたけど汚職で捕まってしまったとか。
私が子どもを五人育てて思っていることは、もしかして「親の思い通りにいかないことが多い」のほうが成功、というか安心なのではないかということです。思った通りではない子どもの行動は、自立の萌芽だったりもしますから。親としては、自分の生きてきた経験の範疇を超えることをされると自分が否定された気にもなるので反対をしがちですが、それこそ喜ぶべきなのではと。
私も自分の価値観を子どもに押し付けてしまうことがあったのですが、そのとき子どもから「でも、お母さんは安定した会社で働くどころか、選挙に出て受かったり落ちたり。僕たちに望む生き方を全くしていないじゃない。自分自身、選んでいない生き方を子どもに勧めて、それがどうして幸せだって言いきれるの?」って言われたんですよ。そう言われて「あ、そうか」と思って(笑)
佐藤先生とのお話する中で得た結論は、私も含めた親世代も「学び直し」「学び足し」をしないといけないということです。
親世代は、「学びは子どもがするもの」と押し付けている部分があって、自分自身が「学ぶこと」を忘れていると思うんです。今の親世代は、79年の「共通一次」方式で育ってきました。そんな旧式のOSとも言える私たちの世代の知識や経験を押し付けられたら、子どもからしたらたまったものではありませんよね。
だからこそ、親も今回の大学入試改革を「学び直し」「見つめ直し」の機会としてとらえて、新しい時代の教育について考えていくことが求められているのではないかと思います。この本がその一助となれば、嬉しい限りです。
(新刊JP編集部)