報復は国も宗教も関係ない普遍的なもの
―― オマルさんはこれまでジャーナリストとしてキャリアを重ねてきました。『アメリカン・ウォー』のお話をうかがう前に、今回小説を発表した理由についてお聞かせ願えますか。
オマル: ジャーナリズムでは答えが出せなかったり、ジャーナリズムの方法では表現できない問題を突き詰めたいと思ったんです。
一人の人間がどんなふうに過激派的な思想を持つのか、そしてどのように過激な行動に及ぶのかといったことには決まった答えがありませんし、個人の内面のことですからジャーナリズム的な手法では表現できません。となると、ノンフィクションではなくフィクションの形をとって探索するしかない。それが今回小説を書いた一番の理由です。
―― アメリカで起きた「第二次南北戦争」を舞台に「報復の連鎖」が大きなテーマとなっている小説です。このテーマを選んだ理由はどんなところにありますか?
オマル: 「報復」は今の世界にひとしく蔓延している、ある意味普遍的なものです。その国や場所によって宗教も文化も違いますが、どのように報復を誓う気持ちが生まれるかというのは、おそらく皆同じでしょう。
たとえば、アフガニスタンに空爆をしても、アメリカのど真ん中に空爆をしても、生き延びた人は同じ感情を持つはずです。どこに住んでいるどんな人であっても、不正義と思われることをされたら、同じような気持ちになり、そして同じような行動をとる。
私たちはどうしても地球の反対側にいる人は、考え方も行動もまったくちがうんだと考えがちですが、そうではないんだというアイデアが、こういうテーマに結びついたんだと思います。
―― 「報復」というテーマについて。この作品では、たとえば主人公のサラットが物語の最後で報復の無意味さや不毛さに気づいて、計画していた報復的行動を取りやめる、といったことにはならず、報復は完遂されます。こうすることによってどんなことを表現しようと思ったのでしょうか。
オマル: この作品については、エンディングがどうなるかというのは比較的早い段階からイメージができていました。ただ、書き進めるうちにもう少しハッピーなエンディングの方がいいんじゃないか、そちらの方向に転換したほうがいいかもしれないという気持ちに駆られたのは事実です。
一方で、「こういう状況に置かれたら、人はこうするだろう」という自然な成り行きをしっかり書ききる責任も感じていましたから、結局は当初イメージしていたようなエンディングにしました。
付け加えるなら、サラットが報復の不毛さに気づいていなかったかというと、そんなことはないと思います。その無意味さは十分にわかっていたはずですが、彼女の場合は「報復」だけでなく「世界のすべて」を不毛なものだと感じていたでしょう。だから、彼女が成し遂げた報復は、特定の誰かへの報復ではなくて、世界全体に対しての報復だったんです。
最後の場面のサラットは「悪の化身」になっていますから私自身好きではありませんが、この小説で私が目指したのは「イノセントな人がどうキラーになっていくのか」という変化です。
その意味では、読者を感動させたり共感させたりといったこととは逆の方向を向いて進んでいたわけですが、どうしてサラットがこうなってしまったのかは読者が理解できるようにしたいという気持ちはありました。
―― そのサラットは、身長が190cm以上もある、かなり体格のいい女性です。そして自分のいるアメリカ南部と対立する北部軍の高官の命を狙う。この設定であればサラットは男性でもよかったのではないかと思ったのですが、サラットを女性にしたのにはどんな理由があったのでしょうか。
オマル: 二つあります。一つは、作品冒頭で彼女がまだ幼かった頃に自宅である貨物コンテナの前で蜂蜜の容器を手にしているイメージが明確に見えていたことです。この少女が中心的なキャラクターになることは、書き始めた時からはっきり認識できました。
もう一つは、過激派的な思想を持つ人が登場する話や、そういった人がどのように悪意を持っていくのかという話は、これまでほとんどが男性目線で作られたものだったことです。そこを今回女性目線で書いたことでまったく違う表現ができた箇所がいくつかあります。
その一つが拷問を受けるシーンで、男性への拷問と女性への拷問は内容も違いますし、そのシーンが与えるインパクトも変わってきます。あとは単純に、男性が主人公の本が世の中には多すぎますよね。
―― 作中に「戦闘鳥」というドローンが出てきます。これは北軍の兵器で、サラットたちが暮らす南部の町を爆撃する無人機ですが、実は北軍もこの「戦闘鳥」を制御できていないのではないかと南部の人々が噂しあう描写があります。これは、現在イエメンやリビアなど、ドローンが爆撃を行っている地域で誤爆の被害に遭った人々の感覚と近いのではないかと思いました。
オマル: それが私が意図したところで、イエメンやアフガニスタン、リビアで人々が経験していること、つまりいつ爆撃されるかわからない状況で生きているということをここで表したかったんです。
―― 実在する場所やできごとへのオマージュと読める場所がいくつかあったのが印象的でした。たとえばサラットが収監されていたシュガーロフ収容所は、米軍のグアンタナモ収容キャンプや、イラクのキャンプ・ブッカの面影があります。
オマル: シュガーロフはまさしくグアンタナモをベースにしています。グアンタナモには8回取材で行っていて、軍事演習も見ていますし収容所の中も取材しました。
あとは、作中に難民キャンプが出てきますが、そこはレバノンのシャティーラという難民キャンプの取材体験が元になっていて、作中で起きる大虐殺もこの場所で実際にあったできごとがモチーフになっています。その他にも、ジャーナリストとして見聞きしてきたことや、実際にあった出来事を元にした描写は部分的に散りばめていますね。
アメリカに「分断」は常に存在していた
―― 「第二次南北戦争」という設定は、ドナルド・トランプを大統領に押し上げた昨年の選挙戦を経た今、単なるフィクションとして済まされないものがあります。今はアメリカにお住まいだというオマルさんですが、アメリカという国で生じている分断を感じるシーンはありますか?
オマル: 私はアメリカに住まないといけない人間なので、第二次南北戦争なんて起きてもらっては困りますね(笑)。
分断自体はアメリカ国内に常に存在していたことで、今にはじまったことではありませんが、それでも今様相が違って見えるのも確かです。これまで、アメリカという国は国内にどれだけ国民同士の分断があったとしても、いざという時には団結できていました。大陸を横断する高速道路を作ったり、医療保険制度の交換所を立ち上げたりといった大きな課題に対しては、国民同士の様々な違いを乗り越えてこられたわけです。それが最近はできていないと感じています。これはすごく危険なことだと思いますね。
―― アメリカにおける国民同士の分断の要因については、おもに中間層の崩壊と経済格差が挙げられます。これが本当ならば、今後も格差の上位と下位の溝は埋まりそうにないように思えます。
オマル: 確かに、多くの分断や格差は経済的要因によるもので、過去20年格差は悪化しています。ただ、アメリカの分断の要因は経済的なものとばかりは言い切れません。
アメリカの場合、経済格差がたとえ完全に修正できたとしても人種間の分断が残ります。先住民の虐殺しかり、黒人系アメリカ人への差別しかり、人種間の分断はアメリカの建国以来存在しつづけているものです。
―― エジプト生まれ、カタール育ちという出自を持つオマルさんにとって、今のアメリカは居心地のいい国ですか?
オマル: アメリカは住むにはすばらしい国だと思います。私は、生きている人間には未来を今より良くするために貢献する責任があると考えています。そして、その貢献の方法の一つは「批判すること」です。
アメリカの分断や格差の話をしましたが、それはアメリカが嫌いだから言っているのではなくて、アメリカはもっと良くなると思うから言っています。私が生まれたのは政府を批判すると投獄されるような国ですが、アメリカは自由にものが言えます。私はその自由を気に入っています。
―― 作中では現在のアメリカと中東の状態が逆転していて、アメリカが分裂し、逆に中東の国々が統合して「ブアジジ帝国」という民主化された一大帝国になっているのがユニークでした。アラブ世界で生まれ育ったオマルさんですが、「アラブの統合」は希望としてお持ちなのでしょうか。
オマル: 統合はあくまでフィクションの話ととらえていただきたいですが、民主化は望んでいますね。
「アラブの春」が起きた時は、中東地域の未来は明るいものに思えました。これで民主的になるんだろうと。ただ、その後の経過を見ると、そうはいきませんでした。
自分にはエジプトの血が流れていますから、常に中東世界の未来がいい方向に向かうだろうという期待は持っていますし、持っていたいと思います。現状を考えるに10年後すべての地域が民主化しているかというと厳しいものがありますが、それでも期待はしたい。3人か4人の少数が支配するのではなく、真の意味での国民主権の国になってほしいです。
―― 「アラブの春」は現状、成功したとはいえない状況ですが、まだ「道半ば」だと。
オマル: 本当にそうだと思います。自由を求める気持ちは人種も宗教も国も変わりません。作中では「ブアジジ帝国」ができるまでに「アラブの春」が二回、三回と起こった設定なのですが、現実に目を移しても、人々が自由を欲する限り、それを手にするまではこうしたことは起こり続けるんだと思います。
ただ、本来なら自由を手にするためにここまで暴力的なことが起こったり、痛みをともなう必要はないはずで、その過程で多くの人が命を落とさなければいけないのはとても残念なことですが。
―― アメリカと中東地域の両方を知っている方ということで、アメリカの中東政策についてもお聞きしたいです。たとえばシリア内戦について、アメリカは当初シリアの「穏健な反政府勢力」を支援していましたが、トランプ政権下ではそうした支援を絞ったりやめたりしています。こうした一貫性のなさについてはどのような感想をお持ちですか。
オマル: おそらく、シリアの紛争を解決できたかもしれないタイミングは5年ほど前の、紛争初期の頃だったでしょう。今となっては、解決するというよりはどんな手を打つのが被害を少なく留められるかという議論しかできません。
アメリカの中東政策は常に同じで、その時々でもっとも安定を維持できそうなところをサポートします。たとえば独裁者によって国民の血が流れたとしても、その独裁者によって地域の安定が維持できるのであれば、支援してきました。今回のシリア内戦もそのやり方は変わっていないと思います。
一番問題だと感じているのは、シリア内戦にしてもアメリカとロシアという大国の代理戦争になってしまっていて、その地で生きるシリア人の命があまりにも軽く見られていることです。これがアメリカのど真ん中で起きていたら、対応策はまったくちがったでしょうし、もっと様々な案が出ていたはずです。そこに悔しさを感じたことも、この本を書いた動機になっています。
―― 次の作品の予定などがありましたら、教えていただきたいです。
オマル: 実はもう執筆を始めていて、50ページくらいまで進んでいます。今はあちこち回って取材をしないといけないこともあって止まってしまっているのですが、できたら今年の年末か来年にはドラフトを書き終えていたいですね。
―― 最後になりますが、日本の読者にメッセージをお願いします。
オマル: アメリカン・ストーリーとしてだけでなく、もっと普遍的なものとして読んでもらえたらいいなと思います。
今回、日本にきていくつかインタビューを受けていますが、みなさんすごく考えながら読んでくれています。そのことがわかっただけでもうれしいですね。
取材後記
作者が強いモチベーションに導かれてこの小説を執筆し、しかもその出来に満足していることが、充実した表情や話しぶりから伝わってくるインタビューだった。
ご本人も語っていたように、『アメリカン・ウォー』はジャーナリストとしての活動で見聞きしたことが随所にちりばめられているが、私には説得力のある近未来の社会と、その時代の人々の暮らしぶりや会話といったところの細部からうかいがい知れる旺盛な想像力が印象づけられた。
執筆中だという次作にどんな作品を持ってくるのか、早くも楽しみだ。