3000キロの旅の末に捕獲され食べられる 絶滅危機のウナギの生涯
悔やんでも取り返しのつかないことを悔やんだり、まだ起きていない未来のことを不安に感じたり…。
私たちが生きられるのは「今」のこの一瞬だけ。しかし、それでも過去を思い出したり、未来を想像せずにはいられないのが人間だ。こうした想像力は人間だけが授かった特権だが、想像力によって不安にさいなまれたり、過去を悔いて苦しんだりするのも、また人間だけである。
一部の哺乳類を除いた動物や魚、昆虫など他の生き物はそうではない。さまざま生き物たちの生涯と死にざまを紹介する『生き物の死にざま はかない命の物語』(稲垣栄洋著、草思社刊)をひも解くと、種に組み込まれた本能に従い、「今この一瞬」だけを生きる生物たちの姿が浮かび上がる。
■3000キロ泳いだ末に捕獲され食べられる 絶滅に瀕するウナギの生涯
たとえば、「土用の丑の日」でスーパーなどに並ぶウナギ。食卓に並ぶウナギの99.7%は養殖されたものだが、産卵・ふ化から成魚になるまで養殖する「完全養殖」はまだ実現していない。河口に集まってきたシラスウナギを捕獲して、養殖するのだが、河口にやってくるまでのシラスウナギの生涯は地球規模の長い旅だ。
そもそも、川魚として知られるウナギだが、産卵場所は海である。その場所については21世紀に入るまでわかっていなかったが、ニホンウナギの産卵場所は、日本から南に3000キロも離れたマリアナ諸島沖の深海だということが明らかになっている。ちなみに、ヨーロッパウナギは、大西洋の真ん中のサルガッソー海で産卵する。
鮭と同様、生き物にとっての「最大の使命」である産卵を終えたウナギも、力尽きて死んでいくと考えられる。本書によると、これが「あるべき」ウナギの生涯の閉じ方。病気で死のうと大型の魚に捕食されようと、やるべきことを成し遂げた以上、100点満点の生涯だったというわけだ。
ただ、そうはいかないウナギたちも多い。卵からかえったウナギの稚魚たちは、黒潮に乗って、3000キロの距離を旅し、十月から六月ごろに日本の岸にやってくる。まだ体も小さく、泳ぐ力も弱い稚魚だから、日本にたどりつくまでに多くが命を落とす。やってこれたのは運良く生き残れた個体のみである。その頃には、稚魚たちも体長5~6センチのシラスウナギになっている。そして、日本の川で5年から10年ほどかけて大人になっていくというのが、本来の生涯なのだが、その通りになっていれば、ウナギが絶滅の危機に瀕することなどなかっただろう。
河口にやってきたシラスウナギの多くは捕獲され、養殖に回される。その後はご存じの通り、目打ちされて、さばかれて、炭焼きになって食卓に並ぶ。産卵のために海に戻ることはできずに生涯を終える。こんなウナギもいるのだ。
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時にはかなく、人間から見ると残酷にも思える生き物たちの生涯と死にざま。しかし、そこには未来も過去もない「今」のきらめきがある。
食肉となることを運命づけられた牛や、肉食動物でありながらごくわずかな個体しか大人になるまで生きられないチーター。本書で明かされている生き物たちの姿からは、私たちが過度に未来を恐れたり、過去を悔やんだりせず、シンプルに生きるヒントが得られるのではないか。
(新刊JP編集部)