なぜ豊臣秀吉は自分が「神」と祀られることを望んだのか?
日光東照宮の徳川家康、豊国神社の豊臣秀吉、南州神社の西郷隆盛、東郷神社の東郷平八郎など、歴史上の人物を、その死後に祀り上げた神社や寺院は多い。 では、いったいどんな経緯で人は「神」になるのか。
『神になった日本人』(小松和彦著、中央公論新社刊)では、11人の「神になった日本人」を取り上げ、どのような経緯で彼らを神として祀る神社や寺院が建立されることになったのか、民俗学者の著者が探っていく。
■自ら「神」と祀られることを望んだ秀吉
京都にある豊国神社に祭神として祀られているのが豊臣秀吉。
秀吉は、日本史上初めて「死後ただちに、自分の霊が神として祀られること」を生前に自ら望んだ人物だという。実はこうした発想はそれまでの日本にはないそうで、歴史上「神」と祀られた人物の多くは、平将門などの「怨霊」になった「敗者」たちだった。
そして、祀り上げられた人物たちはすぐに「神」になったわけではなく、死後数年か数十年か経ってから、特別な事情が生じた結果、人々が祀り上げた。また、権力者以外でも、安倍晴明のような宗教者が、信者や子孫によって神格化され、祀られることもあったが、本人の意思ではない。
では、なぜ秀吉はそんなことを考えたのか。
それは死に際に抱えていた心残りに要因があると著者は推察する。その一つは苦戦を強いられていた朝鮮出兵。もう一つは、嗣子・秀頼とその母・淀殿の行く末、そして豊臣家の行く末だ。
秀吉は自分が「神」になること、この世に留まり、子孫の行く末を見守ることができると考えたのではないか、ということだ。
初詣や縁結び、合格祈願など、神社に参詣する機会も多いはず。ただ、神社の祭神が何で、どのような経緯で建立されたかを知らないでお参りしている場合がほとんどだろう。 本書をきっかけに普段訪れる神社のことを調べてみるのもいいかもしれない。
(T・N/新刊JP編集部)