「劇団☆新感線」を人気劇団に成長させた「影の立役者」とは?
演劇ファンならもちろんのこと、芸能に興味がある人であれば「劇団☆新感線」の名前を聞いたことがあるかもしれない。多くのテレビドラマや映画でも活躍している古田新太さんが所属している劇団として覚えている人が多いかもしれない。
■「劇団☆新感線」を有名にした「影の立役者」
演劇の世界はなかなかビジネスとしてうまくいかず、旗揚げしたはいいものの、継続できない劇団も多い。1980年に大阪芸術大学の4回生を中心に旗揚げされた「劇団☆新感線」も、旗揚げ当時はビジネスとして成立していなかった。そんな時代に一人の演劇プロデューサーが劇団☆新感線に加入する。
彼は演劇プロデューサーの仕事を「演劇を通して雇用を生み出すこと。そして、可能な限り継続すること。結果として、優れた演劇作品を目指す」と考えていた。その言葉通り70万人興行を成し遂げるまでにこの劇団を飛躍させた。そのプロデューサーこそが細川展裕氏だ。
『演劇プロデューサーという仕事』(細川展裕著、小学館刊)は、第三舞台や劇団☆新感線のプロデューサーとして、35年間生きてきた細川氏の自叙伝だ。
「演劇プロデューサー」とは、具体的にどんな仕事なのか。劇場を押さえ、俳優をキャスティングし、演目と公演規模を決めるのが主な仕事だ。劇団の主宰・演出家のいのうえひでのり氏と制作スタッフと共に意思決定しているという。
そして、重要なのがメインの俳優のキャスティング。メインの俳優ありきの企画からスタートする場合もあり、役に合っていて、集客ができる人を選ばなければならない。日頃の人付き合いやリサーチ、飲み会などから縁や運を紡ぎながら、メインキャストを含む公演の準備をしていく。
細川氏の場合、具体的には
「稽古後の小栗旬を飲み屋で捕まえたり、公演を観に来た堺雅人夫妻と世間話したり、芝居後の飲み会で酔っぱらう前の森山未來に先々のやりたいことをしゃべらせたり、劇場のタバコ場で古田新太の健康状態を確認したり…」(p.10より引用)
というコミュニケーションを日々とっているという。
メインキャストが決まると、次は他の役のキャスティングが始まる。もちろん、ただ有名な俳優を並べればいいわけではない。稽古・本番の4ヶ月間は同じ釜の飯を食う仲間。相性も大事なのだ。お客さんから新感線に出て欲しいと思われている俳優や細川氏や新感線のスタッフが面白いと考える俳優など、さまざまな理由からキャスティングしていく。
そして、番手(出演俳優の名前の順番)やヴィジュアル(ポスターなどの写真のサイズとその配置)などの調整をする。最後にプロデューサーである細川氏の勘による集客予想を加味して、公演に向かうカンパニーが作られるのだ。それらが決まると、所属の劇団員を配置していく。
公演をしてもお客さんが見込めなければ、劇団は成り立たない。演劇プロデューサーになる前、レコード会社などでサラリーマン経験のある細川氏は、「演劇を通して雇用を生み出す」ために、集客目標を決め、徐々に大きな劇場に進出して動員数を増やしていく。 細川氏が演劇プロデューサーとなった80年代の小劇場では、このビジネス的な考え方は当時珍しいことでもあったという。
演劇界で常に新しいことに挑戦し、演劇プロデューサーとして長年生きてきた細川氏の考え方や生き方を知ることができる本書。 本書をきっかけに、劇団☆新感線をはじめ、演劇を観に劇場に足を運んでみてはどうだろう。生の俳優が目の前で演じる姿は、テレビや映画とはまた違う、演劇ならではの魅力を楽しめるはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)