精神科医が教える「怒りやすい人」と「怒りにくい人」の違いとは?
怒りにとらわれてしまい、強く人にあたる。
カッとなってすぐどこかに言葉を吐き出す。
言葉をぶつけられた方は深く傷つき、そうしてしまった自分自身も後々に自責の念にかられ…。そんな負の状態から、どう抜け出せばいいのか。もっといえば、怒りにとらわれてしまう自分を変えることはできないのか。
『怒りにとらわれないマインドフルネス』(大和書房刊)の著者で、40年の瞑想歴がある精神科医・藤井英雄さんに、私たちが怒りにとらわれているときに起きていること、そしてそこから抜け出す方法を聞いた。
キーワードは「自己肯定感」と「マインドフル」だ。
(新刊JP編集部)
■すべての問題は「マインドレス(うわのそら)」から始まっている
――『怒りにとらわれないマインドフルネス』についてお話をうかがえればと思います。「怒りにとらわれない」という部分がとてもポイントになる一冊ですが、本を執筆した経緯から教えてください。
藤井:私は精神科医として活動していますが、最近、うつ状態で病院に受診されにいらっしゃる方の中で目立つのが、職場の上司からの理不尽なパワハラ・モラハラを受けて、心を病んでしまった方々です。
一方で、自らの怒りやイライラを相手にぶつけてしまい、人間関係を壊してしまう方も増えているように感じます。
こうした「怒り」を理不尽に相手にぶつけたり、イライラを外に出してしまう人たちにはある共通した原因があるんです。
――その原因とはなんでしょうか?
藤井:「自己肯定感」の弱さ。そして、他者を支配・抑圧することで弱い自己肯定感を補強しようとしていることです。他者を支配・抑圧できる自分はパワーがあると錯覚しているんですね。
強いものは自分のイライラを弱者に向け、その被害者はぶつけられたイライラをさらに弱者にぶつける。このようにして、イライラと怒りは無限に循環・増殖し、私たちの世界を破壊し、住みにくい世界へと変えてしまいます。
たとえば、上司に叱られた部下が家に帰って妻にあたり、ストレスがたまった妻は子どもにあたり、子どもは学校で弱い子をいじめるといった具合です。
――負のループですね…。
藤井:近年、あおり運転がクローズアップされています。私もあおり運転されて怖い思いをしたこともあるし、逆に前の自動車がノロノロと運転していると、ムッとしてしまうことがあります。
みんながイライラと怒りの問題を抱えて生きているのが、この社会です。その一つの解決法として、私が提示しているのが怒りをも客観視する「マインドフルネス」なんですね。これは私自身の経験にも基づいています。ちなみに私のモットーは「マインドフルネスで幸せになる!マインドフルネスで幸せな社会を創る♪」です。
社会全体が幸せになるためには、ひとりひとりの心の中の平和が実現することが必要だと思います。私の心が平和なら、私に接している人が影響を受けて、小さいながらも幸せな社会ができるでしょう。そうやって、影響をどんどん広げていくことが大切なのかなと。だからこそ、本という形にこだわったんです。
――「怒りをコントロールする」という意味合いでは、アンガーマネジメントが思い浮かびます。アンガーマネジメントとマインドフルネスはどのような点で違い、どのような点で重なるのか教えていただけますか?
藤井:その2つは並列に比較するものではなく、マインドフルネスの中にアンガーマネジメントがあると考えたほうがいいでしょう。
アンガーマネジメントは「マインドフル」に行うかどうかが成功の秘訣であり、その意味では重なっていると思います。実はマインドフルネスは「怒りのコントロール」だけでなく、すべてのことの成功に通じるんですね。
私たちがしている全てのことは、2種類に分類できると考えています。それは、「マインドフル」に行ったか、もしくは「マインドレス(うわのそら)」にしてしまったか。そして「マインドフル」に行うことが成功に近づく秘訣だと思います。
アンガーマネジメントもそうです。マインドフルに行えば怒りをコントロールすることはできるでしょうし、マインドレスにしていれば、どんなに素晴らしいテクニックであっても上手くはいきません。
――「マインドフル」と「マインドレス」の違いをもう少し詳しく教えてください。
藤井:正反対の概念と考えていただければいいでしょう。
心の状態は2つあり、マインドフルな状態とマインドレスな状態です。とりわけ、自分自身の思考と感情を客観視できている状態をマインドフルネスと呼び、感情にとらわれずに冷静な判断を下せます。
一方、「今、ここ」の気づきを失って、思考と感情に巻き込まれている状態をマインドレスネスといい、感情にとらわれて冷静さを失い、外界の刺激に反応する人生を送ることとなります。
――私自身も「売り言葉に買い言葉」で、つい怒りに任せて強い言葉を言ってしまうことがあります。怒りにとらわれたとき、私は「マインドレス」の状態になっているということですね。
藤井:そういうことですね。マインドレスであれば、感情に巻き込まれてしまうんです。たとえばメールに返事がなかったので嫌われたと思い込み、傷つき、悲しみ、怒りを感じて、相手をなじってしまうのはマインドレスであるからです。
一方で、マインドフルな状態であれば、感情に巻き込まれずに一歩引いた見地にたって冷静に現実を見ることができます。頭に上っていた血が下りてくれば、たとえメールの返信がなくても「ああ、忙しくて返事する暇がないのかも」とか「スマホを見ていないだけかもね」など、別の見方もできて穏やかに生きることができます。
――なるほど。では、怒りにとらわれたことを自覚したときに、どうすればコントロールできるのでしょうか。
藤井:たとえば自動車を運転していて無理な割り込みをされた。ムッとしますよね。でも、「周りが見えないくらい急いでいたんだろう。トイレかな? もしかしたら後ろの座席には出産直前の奥さんが…」と別の見方をすることができれば、怒りは少しおさまります。
ただ、ポジティブに考えることができればいいのですが、普段からネガティブ思考ですと、いきなりポジティブに振れることは結構難しいですよね。だからまずはマインドフルネスになって自分を客観視することです。そうすれば自然に冷静な観方ができるようになります。
――藤井さんから見て、「怒りやすい人」と「怒りにくい人」の違いはどこにあると思いますか?
藤井:「怒りやすい人」は 怒りを誘発するような行き過ぎたネガティブな考え方をしやすい。一方で、わりと鷹揚に、つまりゆったりと考えることができる人は「怒りにくい人」といえます。
先ほどの「メールに返事がなかった」という例を引き出すと、返事がすぐ来ないことに「嫌われた」「失礼だ」と考える人と、「忙しいんだろうな」と考えられる人は何が違うのか。
その時の体調や環境も関係する因子になりえます。風邪で体調が悪く、自分の体が思うように動かないというときは、イライラしてしまいがちです。ただ、それは因子の一つであって、もっと本質的な問題は「自己肯定感」の強弱だと思います。
――なるほど。冒頭でお話した「自己肯定感」ですね。
藤井:そうです。自己肯定感とは、あるがままの自分を「それでよし」と感じることができる感覚です。自分は「あるがままでよい」ので、無理して周りに迎合しなくても、周りからも受け入れられ、愛されていると感じることができます。
自己肯定感は生まれてから今までの間に他者――特に親に自己を肯定され、そして自らを肯定してきた度合いによって決まりますし、長じては自分自身が肯定してきたかということが大切です。
一方でネガティブな感情に浸る時間が長ければ、自己肯定感は弱くなっていきます。さらにネガティブに考え、自己肯定感が弱まり…という負のループに入っていくわけですね。 ただ、ここでどうにかしてポジティブ思考になろうと思っても上手くはいきません。
――では、「怒りやすい人」が「怒りにくい人」になるためにはどうすればいいのでしょうか。
藤井:肉体と心を持って生きている私たちですから、肉体と心を脅かす存在を嫌い、脅かす行為に対して反発するのは当然です。そのとき、率直に毅然と「ノー」と言えればそれで足りるのですが、そうできないのは自己肯定感が弱いからです。
自己肯定感が弱い人は「ノー」と言えば嫌われ、受け入れてもらえないと恐れて、我慢してしまいます。しかし、その我慢は、自分の欲求を抑える行為ですから、自己肯定感はどんどん弱くなります。「こんな価値のない自分は、少々のことは我慢して、周囲に認めてもらわなくてはならない」という破壊的なメッセージが、潜在意識に上書きされてしまうんです。
しかし、我慢には限界があり、いつかは破綻します。いつもはおとなしく言うことを聞いている、いわゆる「よいこ」だったのに、ついに「ノー」を言わざるを得ない状況に追い込まれます。
この時、今までの恨みやつらみ、悲しみ恐れを巻き込んで怒りとして爆発します。もしくは怒りのエネルギーを借りることで「ノー」を宣言しているのです。これが「キレる」という現象でしょう。しかし、怒りをもってわが身を守ることは自己肯定感が弱い人にとって当然の反応です。
受け入ることができない状況を押し付けられたとき、その都度、我慢せずに小出しにし、率直に「ノー」ということができれば、怒りを感じることなく、もしくは感じたとしても怒りにとらわれることがなくなるはずです。
自己肯定感を強化すること。そのためには自分を大切にするため、ちいさな怒りや悲しみ、恐れにマインドフルに気付きながら、勇気をもって「できる範囲で」ノーと言うこと。それが回答になります。
(後編に続く)