だれかに話したくなる本の話

日本人は宗教とどう向き合ってきたか(浮世博史)

■宗教をタブー視する空気

前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
皆さんは「宗教」そして「宗教で日本史を読み解く」ときいて、どんなイメージをされますか?

「除夜の鐘をきくときのおごそかさと寒さに、なんとなくゾクゾクする」
「さわらぬ神に祟(たた)りなし、カルト宗教とか、ちょっとヤバイ感じ」
「宗教で日本史といわれても、日本史って覚えること沢山で、そこに宗教がからんできたら、もっとややこしくなりそう」

以上、現役バリバリの高校生たちからの反応でした。

じつは、これは今回の本の冒頭でも書いたのですが、わが国の歴史教育の現場で軽んじられている視点のひとつが「宗教」です。戦前の歴史教育に対する反省か、はたまた、その反動で「宗教教育」を禁じた戦後の憲法を意識してのことか……宗教の問題をタブー視する空気のようなものが、教える側に根強く残っています。

でも、「さわらぬ神に祟りなし」で避けていていいのでしょうか。

昨年末、中央アジア、アフガニスタンの乾燥地帯で長年、医療活動とともに灌漑水路を建設する活動に尽力されていた日本人医師・中村哲さんが銃撃されました。神はいないと嘆きたくなる悲劇です。

世界ではいま、宗教間や民族間の紛争や対立がたえず起こっています。
そんな不安な世界ですすむべき道はどこにあるのか。
ひとつの答えとして際立つのが、日本的なオープンな信仰のあり方であり、その典型が大阪にあります。四天王寺というお寺です。聖徳太子が建立しました。

この寺院は、多くの日本人の心情に合わせて、どんな宗派も受け入れ、どんな人々に対しても門を閉ざさないという基本理念をつらぬいています。世界に冠たるオープンな信仰・教義のあり方です。
このような宗教施設の存在は、日本人が世界に向かってアピールできる一つの「文化遺産」かもしれません。

■宗教を問う、東大入試「日本史」の設問

宗教という視点が歴史教育で見直されるべきという理由には、もっと切実な問題もあります。これは受験生にとっての「切実」ですが、やはり今回の本の「まえがき」でもふれたように、近年の大学入試においては、文化史の中での宗教のあり方に関する設問がふえているのです。

たとえば、こんな問題。2015年度の東京大学の入試問題、日本史の第1問です。

日本列島に仏教が伝わると、在来の神々への信仰もいろいろな影響を受けることとなった。それに関する次の⑴~⑹の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。
⑴大和国の大神神社では、神体である三輪山が祭りの対象となり、のちに山麓に建てられた社殿は礼拝のための施設と考えられている。
⑵飛鳥寺の塔の下には、勾玉や武具など、古墳の副葬品と同様の品々が埋納されていた。
⑶藤原氏は、平城遷都にともない、奈良の地に氏寺である興福寺を建立するとともに、氏神である春日神を祭った。
⑷奈良時代前期には、神社に寺が営まれたり、神前で経巻を読む法会が行われたりするようになった。
⑸平安時代の前期になると、僧の形をした八幡神の神像彫刻がつくられるようになった。
⑹日本の神々は、仏が人々を救うためにこの地に仮に姿を現したものとする考えが平安時代中期になると広まっていった。
 
設問A 在来の神々への信仰と伝来した仏教との間には違いがあったにもかかわらず、両者の共存が可能になった理由について2行以内で述べなさい。
 
設問B 奈良時代から平安時代前期にかけて、神々への信仰は仏教の影響を受けてどのように展開したのか、4行以内で述べなさい。
(2015年度東京大学入試問題より)

大神神社の話が出てきていますが、こんな記述問題が出されているのです。あなたならどう答えるでしょうか。唯一無二の答えがあるわけではないので、ぜひご自身でも考えてみてください。

ことほどさように、以前は本線からはずれた脇道あつかいだった「宗教・信仰」という視点が、世界史分野では以前からですが、日本史においては近年その重要度をましているのです。

近隣諸国との関係史を含め、広く世界史、人類史など、全体像として歴史を眺め、そのなかで日本史を多角的にたどってみるのは、きっとよい頭の体操になるはず。

文:浮世博史(うきよ・ひろし/私立西大和学園中学校・高等学校社会科教諭)

宗教で読み解く日本史

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現役カリスマ教師が教える教養としての日本史講座。