だれかに話したくなる本の話

『生物から見た世界』ユクスキュル、クリサート著【「本が好き!」レビュー】

提供: 本が好き!

ちょっと思い浮かべてみてほしい。
ごくごく普通のリビング・ダイニングがあるとする。
テーブルには皿とコップがある。天井からはペンダントライトがぶら下がっている。部屋の一方にはソファと肘掛け椅子がある。別の一方には書き物机と丸い回転椅子がある。奥には本棚だ。
人にはダイニングチェアもソファも丸椅子も「座るもの」として捉えられる。皿とコップは食器、床は歩く場所、本棚は読書と関連するもの。
同じ光景が犬にとってはどうだろう。皿はおいしいものをのせるものでお裾分けがあるかもしれないから「食べ物」の範疇だ。足つきの椅子は飛び乗って座ることも出来る、座る道具だ。ソファは寝やすいからちょっと上等の座るもの。だが丸椅子はまったく別のグループだ。飛び乗ろうとしてもくるくる回ってしまうから、こんなもの、「いす」とは関係ない。ダイニングテーブルも書き物机も等しく意味のないもの。本棚も無意味。単なる「背景」と一緒である。
蠅だったらどうだろう。彼にとってはここで意味のあるものは、皿とライトしかない。他の情報は区別できず、また区別することに意味もない。
人・犬・蠅が同時に同じ光景を見ていても、三者がそこから抽出してくる情報はずいぶん異なるものになる。

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは19世紀から20世紀にかけて生きた、生物学者・哲学者である。若い頃は異端でありすぎたためか、大学に属することなく、フリーで研究を続けた。60歳を過ぎた頃、ようやく名誉教授としてハンブルク大学に迎えられる。ローレンツなどの動物行動学者やあるいは哲学者に影響を与えた人物である。
本書は彼の思想のエッセンスを短い14章にまとめたもので、冊子に近い薄さである。だが含まれるイメージは多様で刺激に満ちている。
目からウロコが落ちる、世界がまったく違って見える、といささか大げさな言葉を当ててもよいほどだ。

動物はそれぞれ、違う知覚体系を持ち、同じ環境にあっても、見ている部分はまったく異なり、別の「環世界」を持っているというのがユクスキュルの主張である。
本書でもっともよく引用される挿話はおそらく、ダニの事例だろう。森に住むダニは視覚も聴覚も持たない。通りかかる動物の汗に含まれる酪酸を感知し、木から飛び降りて動物の体温を感じたら、皮膚の毛のない部分に移動し、食い込んで血を吸う。ここには嗅覚と温度感知と触覚しかない。木々の緑も小鳥のさえずりもダニには関係がない。しかしそのことを豊かさがないと言うのは的外れだろう。彼らはそうして生きてきたし、またそうして生き続けていくのだ。

ユクスキュルが使った「ウムヴェルトUmwelt」という言葉に「環世界」という訳語を当てたのは、本書の訳者であり、著名な動物行動学者である日高敏隆である。主体を取り巻くものを指すのだが、客観的な「環境」そのものを指すというよりは、主体が認識する「世界」であり、主観的なものである。イメージとしては、それぞれの主体が、周囲にそれぞれのシャボン玉を持っているようなものだ。シャボン玉は主体の見えるもの・感じ取れるものを囲い込む。主体が移動するとともにシャボン玉も移動する。

彼の思想は、純粋に、動物行動学としても役に立つ見方だろう。あるいは動物福祉を考える際の参考にもなろう。またさらに、自分の感覚とは何か、自分の感覚が捉える世界とはどれほど確固としたものかという哲学的な広がりも持ちうる。

人間と他の動物種が同じ環境にいるときであっても、人間が見ている世界と他の動物種が見ている世界は明らかに違う。
それはつまり、環境からのインプット(環境をどう捉えるか)も、それに対するアウトプット(環境にどう反応するか)も異なるということである。
我々が「見て」いながら「それとは認識していない」世界。
いやはや世界は広く、深く、そして多様であるのだ。

<「環世界」に関連する本>
『犬から見た世界』
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
『サボリ上手な動物たち』

(レビュー:ぽんきち

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
生物から見た世界

生物から見た世界

生物たちが独自の知覚と行動でつくりだす“環世界”の多様さとは。
日高敏隆、羽田節子翻訳

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