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『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』阿部謹也著【「本が好き!」レビュー】

提供: 本が好き!

阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』は1974年に平凡社から刊行され、その後、1988年にちくま文庫に移り、今日に至る、それが今になってなぜか朝日新聞の書評欄で取り上げられた。私はその前に、NHK BSの『ダークサイドミステリー』という番組の「あなたの知らない童話の闇」の回で「ハーメルンの笛吹き男」が取り上げられていたのを見ていたこともあって、この書評にも興味をそそられ手に取った。

ちなみに阿部謹也は、ヨーロッパ中世史を通じて「市民」というものが成立する過程を研究した社会学者である。彼が栗本慎一郎などと一緒にカッパブックスから刊行した「自由大学」講義録のシリーズは、学生時代に読んで今も強烈に印象に残っている。
その阿部がこの本を書くキッカケとなったのは、「はじめに」によると1971年にゲッチンゲンにある州立図書館で東プロイセン地域の古文書史料を調べる中で、

私の目にとびこんできたのが〈鼠獲り男 Rattenfränger〉という言葉である。それによると、クルケン村にあるジュルグンケンの水車小屋を舞台に鼠獲り男の伝説が残されているという。
ある男が粉ひきのところに住み込みで働かせてほしいと頼んだが、冷淡にあしらわれたので、鼠を小屋中にあふれんばかりに送り込んだ。粉ひきが泣かんばかりに謝ったので、男は鼠を近くの湖の水に穴をあけてそこに導き溺れさせた、という。ここまで読んだ時すでに私の背筋を何かが電気のように走るのを感じた。この研究者はさらに私が研究していたザクセン地方に〈ハーメルンの笛吹き男〉にひき連れられた子供たちが入植した可能性がある、と書いていたのである。(中略)
その日から私はいわばこの伝説に憑かれてしまった。毎日午前中は文書館に出かけてこれまで通りの生活をつづけ、午後には大学の図書館でこの伝説に関する文献史料を集め始めた。さらに土曜、日曜には妻と息子二人を連れて、ハーメルンの町まで出かけたりした。

「ハーメルンの笛吹き男」はグリム童話としてもよく知られた話で、ハーメルンにやって来た派手な衣装を身にまとった男が、鼠の害に悩まされた市民たちから一定額の報酬と引き替えに鼠捕りの依頼を受け、笛で鼠たちを先導して川で溺れさせ、それを果たした。ところが市民たちは約束の報酬を払うのを拒んだため、男は今度は笛で子供たちを先導し、町の外に連れ去ってしまった、というものだ。
だがこれは単なる作り話ではなく、文書としての記録も残るれっきとした事実で、1284年の6月26日、ハーメルンの町でいろいろな色の混ざった服を着た男が130人の子供を連れて消え失せる“事件”が起きた。それ以来、町では「子供たちが消えてから○年」という暦を使うようになったという。そこからも、町にとってその“事件”がどれほど衝撃的だったかが分かる。

この『ハーメルンの笛吹き男』は、第一部「笛吹き男伝説の成立」でグリム童話の形ではなく元々の「ハーメルンの笛吹き男」の物語の形、そして1284年の6月26日に起こったことについて考えられてきたさまざまな仮説の検証などを述べ、第二部「笛吹き男伝説の変貌」で笛吹き男伝説が鼠捕り男伝説へと変貌していく過程や、近現代におけるハーメルンの笛吹き男研究についての紹介や批判を述べている。
基本的に丹念に文献を当たって、その記述内容を検証するという研究書なので、ハーメルンの“事件”についての、あっと驚くような意外な真相などは出てこない。その代わりに描かれるのは、中世ヨーロッパの複雑な政治情勢とそこに生きる市井の人々の生々しい姿だ。例えばハーメルンの“事件”も、単純に「のどかな田舎町に突然起こった不可解な出来事」といった言葉で語ることはできない。ハーメルンの町自体、“事件”の前後も教会や土豪などさまざまな勢力の間のパワーゲームの舞台であったし、“事件”当時のヨーロッパは社会構造が強固に階層化され、定住する場所を持たない放浪の楽士などは人々から差別される存在であったのだから。

そういう意味で、この『ハーメルンの笛吹き男』は、笛吹き男伝説を通じて(最近ゲームやアニメで流行の「異世界もの」に描かれるような“絵に描いたようなきらびやかな中世ヨーロッパ”とはまるで違う)、暗く乾いた生(ナマ)の中世ヨーロッパが浮かび上がってくる、そんな本だ。

(レビュー:そうきゅうどう

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ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界

阿部史学、渾身の一作。

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