「生類憐みの令」に見える将軍・徳川綱吉の心の闇
江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が発令した「生類憐みの令」。一般的には「綱吉が発令した一連の動物愛護法」として知られている。
保護を受けた最も有名な動物は「犬」だ。綱吉が戌年生まれということから犬に深い愛情を注いだというエピソードである。しかし、「生類憐みの令」の中身を見ていくと、「生類」というだけあってその対象は幅広い。犬をはじめ、馬、魚類、鳥類、イモリ、虫、そして人間にも言及されている。
ただ、「生類憐みの令」の一連の中身を掘り下げていくと、単なる動物愛護法とは一線を画す、徳川綱吉という一人の人間の素顔が明らかになってくる。この発令の裏には、綱吉なりの論理と、ある種の執着のようなもの――「心の闇」と言い換えられるような、黒い感情が浮き彫りになる。
■「生類憐み」は単なる動物愛護ではない
犬と日本人の関わりについて追いかけてきた仁科邦男氏は、『「生類憐みの令」の真実』(草思社刊)において、「生類憐みの令」の全体像を洗いながら、綱吉の心の奥深くに迫っている。
もし本書を手に取ったなら、まず開いてみてほしいのが巻末の「生類憐みの令関連年表」だ。
1646年に江戸城で綱吉が誕生してから、1709年3月に酒運上金(いわゆる酒造税)を廃止するまでの63年間に起きた出来事をまとめている(綱吉は1709年1月にはしかで死去している)が、その年表のページ数はなんと22ページに及ぶ。もちろん、すべてが網羅されているわけではなく、「全体像が分かるように」という目的で掲載されている。それでも、「こんなに細かくて膨大な発令があったのか」と驚かされることだろう。
綱吉の過剰にも思える発令の裏には何があったのだろうか?
仁科氏は「生類憐み」は単なる動物愛護ではないと指摘をする。
例えば、魚。生きた魚を料理したり売買することは禁じたが、死んだ魚を料理したり、売買することまでは禁じなかったという。実際、綱吉の家族は鮮魚の鯛が好物で、干物も食べていたそうだ。
もう一つ。江戸の市街地での鳥獣の売買・飲食を禁止したが、江戸以外の土地では売り買いしてもよかった。仁科氏は「鳥獣の命に地域格差があるはずがない」と述べる。
「生類憐みの令」に内在する矛盾。その出発点は、綱吉自身の感情である。
■綱吉=愛犬家ではない? 本当にこだわったのは「馬」
戌年生まれだから「犬」にこだわったり、娘の名前が「鶴姫」であるがゆえに鶴を大切に保護したというのは知られている話だが、仁科氏によれば綱吉が本当にこだわり続けたのは「馬」だったという。
まずは、「馬の筋延べは不仁である」として、馬の姿形に手を加える「拵え馬」を禁じる(1685年9月19日)など、馬の姿形に手を加えることを嫌い、次々と御触れを出している。
1687年には捨て馬牛の禁令を発令。病んだ馬牛にも慈愛を持って接するべきであるという考えは、綱吉のブレーンとして知られる僧侶・隆光の影響がうかがえる。
さらに晩年に差し掛かると、馬についての御触れを連発。1702年「馬の荷物の分量は馬の様子を見て考えること」との町触れ。1708年、馬の首毛ふり(焼き切り)の禁止など。仁科氏が「何か気になることがあったのか」とつづるほどだ。
綱吉は生涯にわたり馬を愛し続けた。馬は飾り立てずに、自然な姿が一番美しいという信念が、彼の発令した御触れからもうかがえる。
その背景にあるのは、彼が元服してから将軍になるまでの27年間、右馬頭(うまのかみ)という官職にあったということだ。「馬」は綱吉にとって愛着ある動物だったのである。
一方で、「愛犬家」というイメージが強い綱吉だが、「特に犬をかわいがった形跡はない」と仁科氏は指摘する。
確かに「見知らぬ犬でも食事を与えて養いなさい」という御触れを出したり、現在の中野に巨大な犬小屋を造ったりはしているが、彼自身が犬を養ったという史料は、御成り行列について来た一匹の犬を側用人に飼うように命じた1件のみだという。
確かに犬を保護する御触れを乱発していた綱吉。ただ、史料を読み進めていくと、犬を自分で保護するという、いわゆる「愛犬家」のイメージとは遠く離れていたようだ。
◇
綱吉は38歳のときに、嫡子を5歳で亡くしている。1683年のことだ。
そして、1685年頃より生類憐みの令の前兆と考えられる御触れが増え始め、1687年1月に諸藩に初めて生類憐みの令が発令されている。
綱吉が自分の血を受け継がない者を跡継ぎにするつもりはなかった。そこから、「生類憐み」は、嫡子の誕生を祈願した「願掛け」がもともとの動機であったと仁科氏は推測する。
江戸幕府5代将軍が抱えていた闇と、「天下の悪法」とも評される「生類憐みの令」。私的な感情が行き過ぎた結果の「御触れ」と考えるならば、そこから起こる当時の混乱は想像するに容易い(ただし、近年は悪法ではなかったという再評価も進んでいる)。
権力を持つ人間が私的な感情に囚われると国が荒れる――考えれば当たり前のことではあるのだが、その様子をまざまざと見せつけてくれる一冊である。
(新刊JP編集部)