連続芥川賞候補 古市憲寿が「小説」を書く理由
『平成くん、さようなら』に続いて『百の夜は跳ねて』を芥川賞候補に送り込み、小説家として活動の幅を広げている古市憲寿さん。
惜しくも受賞はならなかったが、候補作となった『百の夜は跳ねて』は現代の都市生活を書く、冷たく鋭利な視点が際立つ長編。古市さんはこの作品をどのように構想し、作り上げていったのか。そして、社会学者として活動していた古市さんはなぜ小説を書くようになったのか。ご本人にお話をうかがい、さまざまな疑問をぶつけさせていただいた。その後編をお届けする。
■古市憲寿が論文でなく「小説」を書く理由
――古市さんは社会学者として日本社会の実像を書いてこられましたが、「小説」という形でフィクションを書くようになったのはなぜなのでしょうか。小説を書くモチベーションについてお聞きしたいです。
古市:以前から「小説を書いてみませんか」とは言われていたんですけど、なかなか書けずにいたんです。
ただ『平成くん、さようなら』の前に発表した小説を書き始めた頃に、祖母が急に倒れて入院したんですね。その時に起こったことや感じたことを書こうと思った時に、評論の言葉や社会学の言葉では書きにくかった。書けないことはないんですけど、言えないこととか隠しておきたいことがありすぎて、どうしてもウソになってしまう。ならば、フィクションという形で書いた方が、自分の感情を素直に書けるなと思ったんです。
そのスタンスは今でも変わっていなくて、社会学の言葉や評論の言葉に乗りにくいことを小説では書きたいと思っています。たとえば、今回の小説のように「現代型の貧困」や「就活の失敗」をテーマにしようとすると、「貧困率のパーセンテージ」や「年代別の生活満足度」といった数字で表現できることだけでは大雑把すぎて取りこぼしてしまうことも多い。そういった部分を小説なら書けるのではないかと思っています。
――社会学の論文では表現できないことが、小説なら表現できる。
古市:そうですね。できなくもないのでしょうが、どうしても数字や個別の事例の話になってしまいます。もちろん、それが文学に近づくこともありえるはずですが、やはり小説という形に乗せる方が届く感情や気持ち、主張はあると思っています。
――著述活動だけでなくテレビ出演されたりと幅広く活動されていますが、ご自身の中で「これが本業」というものはあるんですか?
古市:どれもそこそこに楽しいので、どれが本業というのはないですし、優劣もありません。嫌なことは一つもしていなくて、やりたいことしかやっていないですね。
――来た仕事は断らないスタンスですか?
古市:いや、めちゃくちゃ断ります(笑)。テレビでもそうですし、執筆もそうです。気乗りしないものはやらないですね。そこは自分の気持ちを大事にしています。
急に元気になったり急に悲しむことができないように、感情ってなかなかコントロールしにくいものです。だからこそ、自分が心地いいと感じる仕事を選んでやるようにしています。
――ライフワークのようなものがあったら教えていただきたいです。
古市:子供の頃から図鑑を作るのが好きで、小学生の時に色々な魚類図鑑を買ってもらって、それらをつなぎ合わせたり、文章や絵を加えたりして、自分なりの「サメ図鑑」を作ったことがあります。当時、サメに特化した図鑑はあまりなかったんです。
膨大な資料を手にして、いろいろな人に話を聞いて、そこから一つの作品を作るということでは、評論や社会学の本も小説も、当時の活動の延長線上にあると思っています。その意味では小説もそうでない本も僕にとっては地続きのものなんです。
――小説を発表するようになってから、作家のお友達はできましたか?
古市:小説を書くようになる前から、朝井リョウさんとか、西加奈子さん、島本理生さんとか、交流がある作家の方はいました。そもそも僕が好きな人狼というゲームを教えてもらったのも、そうした作家コミュニティだったんです。いつの間にか、みんなは止めてしまいましたけど(笑)。これまで出した社会学の本を含めて、お互いの作品の話はあまりしないですね。
――聞いたりしないんですか?
古市:きちんとした形では聞きませんが、食事中に小説家の方がぽろっともらした一言が、作品作りのヒントになったことはあります。
――最後になりますが、今後の執筆についての意気込みをお聞かせ願えればと思います。
古市:意気込まなきゃ書けないようなものは書きたくないので(笑)、書きたいものを書くというのを基本に、新しい作品を作っていければと思っています。
――読者の需要についても考えているんですか?
古市:テーマは自分が気乗りしたものしか書けないですが、少なくとも読みやすさはすごく意識しますね。自分でも英訳できるくらいの、シンプルな日本語を書こうと思っています。物語は、人類が極貧だった時代から存在していました。それくらい人々にとってはなくてはならないもの。自分の書きたいものと、誰かにとってなくてはならないものが重なればいいなと思っています。
(新刊JP編集部・山田洋介)