「言いたいことを言われるのが経営者」 起業を志す人へ、女性経営者のメッセージ(前編)
「起業すること」は以前よりもハードルが下がったように感じられる。資本金1円から会社を立ち上げられるし、自分のやりたい仕事をするために「起業」という手段を使うことも珍しくなくなった。
しかし、その一方でほとんどの企業が「続かない」というのも事実だ。
起業してビジネスを軌道に乗せ、継続していける企業にするために、経営者は何をすべきだろうか?
2社で代表を務める芳子ビューエルさんは、著書『私を幸せにする起業』(同友館刊)で、「簡単に起業をすすめるなんて無責任なこと」と喝破した上で、それでも起業を目指す人たちに向けて「自分の経験が少しでも役に立てば」と、自身の経営者としての半生と生々しい経営の現実をつづる。
また、もう一つの本書の特徴は、「働く女性」「働くお母さん」として経験したことをアドバイス含めて書きつづっているということだ。子育てをしながらの起業経営、周囲との人間関係など、ビューエルさんにしか語れない内容となっている。
今回はそんなビューエルさんにインタビューを行い、前半では自身の起業までの半生を振り返り、後半では女性が起業したときに起こることをお話いただいた。今回はその前編だ。
(新刊JP編集部)
■「事業を続けていくことって、知れば知るほどハードルが高いんですよ」
――今回上梓された『私を幸せにする起業』はビューエルさんのこれまでの半生をつづったキャリア本です。これまで書いてきた2冊は北欧のライフスタイルの提案本でしたが、今なぜこのような本をお書きになったのでしょうか。
ビューエル:今までは北欧のライフスタイルについての本を書いてきましたが、その内容って実際にその土地に住んだことがあったり、その文化に親しんだりしたことがあったりすれば書けるんですよね。
ただ、私はこれまでずっと実業家としてやってきて、そこは自分にしか書けないこともあります。だから、そういった経験を一冊でも本にまとめたほうがいいのではないかとアドバイスを受けたんです。
――本書ではご自身の生い立ちから現在までが明かされる中で、経営者としての苦悩を垣間見ることができます。
ビューエル:はい。経営者として日々過ごす中で、悩みや落胆すること、裏切られること、いろいろありました。でもそれを誰かに話すこともできないので、パソコンにずっと書いていたんです。それが結構な量がありまして、そのときのメモを見返しながら今回の本の材料にしました。
もちろん、私は現役で経営者をしていますし、今でも書けないことはありますから、今書けるギリギリの線を書いたつもりです。
――非常にリアリティのある一冊です。起業は覚悟を持って続けないと意味がないという強いメッセージを受け取ることができます。
ビューエル:自治体や金融機関が「起業したほうがいいですよ」ってよく言いますけど、すごく無責任な言葉だと思うんですよね。確かに誰でも資本金1円で起業できますけど、そのあとの苦労ってとにかくすごいんですよ。当たり前のように事業は上手くいかないし。起業をすすめてきた人は失敗を尻ぬぐいしてくれないですから。
特に日本は失敗したときの代償が大きいと思います。最近は起業に対するイメージも変わってポジティブに受け取られるようになりましたけれど、以前は敗者復活なんてほとんどなかったし、自己破産なんかしたら大変でした。経営者に対する制裁も厳しくて、よく簡単に「起業しましょう」なんて言えるな、と。
――起業後の詳しいお話は後ほどうかがっていきます。その前に、まずはビューエルさんが起業する前、カナダに留学をして現地で学生結婚し、就職されます。その職場で出会った支店長にビジネスの面で大きく影響を受けていると書かれていますが、どんなことを教わったのでしょうか。
ビューエル:一番は気持ちの切り替えですね。私は結構引き摺るタイプなんですが、嫌なことがあってもすぐに切り替えていくということは徹底してやらされました。
――それはカナダ人の国民性によるものでしょうか?
ビューエル:いえ、その人が特別だったのだと思います。その支店長はイギリス人でしたから。根っからの営業マンで、彼がリタイアする直前の最後の年に私は雇ってもらっています。「最後にもう一人育てたい」ということで。
――他にその支店長の思い出はありますか?
ビューエル:ユニークな人でした。褒め上手で私を乗せるのが上手いんですよ(笑)。それで、できるまでチャレンジの場を与えてくれましたね。そこで支店長から教わったことは、私の土台になりました。
――その後、ご家族でカナダから日本に戻られます。ご友人のすすめで輸入販売の事業で起業されます。ご自身は「無知が力になった」と回想していますが、どんなノリだったのでしょうか?
ビューエル:自分は起業する気はなかったけれど、「日本でカナダと架け橋となるような事業を興したらどうか」と周囲のお友達たちから促されたんですよね。
当時、周囲に国際結婚をしているお友達が多くて、英語講師で生計を立てている人も多かったんです。それで、このまま英語の先生でやっていくにも不安があるし、何か仕事を作らないといけないという周囲からのプレッシャーもあったのかもしれません。そこで起業したのが平成元年のことですね。
――その時、ご家族からはどのような声が出たのですか?
ビューエル:この本で書いている通り、「起業なんて!」という声はありましたね。特に私は教育者の家系で、私を先生にさせたかったんですよ。でも、全然違うことをしようとしているし、ましてや起業ですからね。父親には一言、「誰にも迷惑かけるな」とだけ言われました。
ただ、夫は起業に賛成していましたし、最初はその夫が社長に就任しました。そういう意味では、2人の責任ということでスタートしています。「誰にも迷惑をかけない」ということで親族にお金を借りるということはしなかったです。
――すべて自分たちで責任を引き受けると。
ビューエル:そうですね。だから、銀行から融資を受ける際に保証人と言われるのも困るんですよ。いないですから。ローンで購入した持ち家しかないですという一点張りで、事業計画書を提出して、「これで事業をやらせてください」とお願いしました。今思えばよくやったなと思いますよ(笑)。
――「無知が力になった」と書かれていますが、これはどういうことでしょうか?
ビューエル:ある意味、楽観的な考え方ができないと会社は続けられないということです。あまり先のことを考えすぎると、「これは意味がないな」と思って手を引いてしまうと思うんですよね。
事業を続けていくことって、知れば知るほどハードルが高いんですよ。それに問題が次々に襲い掛かってくる。そして、会社に規模によってその問題も変わってくるわけで、それを事前に知っていたら「こんな面倒なことやるならやめたほうがいい」と思うでしょうね。
――ビューエルさんは30年にわたり会社を続けてこられましたが、ここまで続けられてきた要因は何だと思いますか?
ビューエル:これはある意味で「自分ファースト」を貫いたからだと思います。経営者ってある程度会社が大きくなってくると現場を見なくなる傾向があるんですけど、私は現場が好きだから、ずっと現場にいたんですね。そうしたら、別の経営者の人たちから「ああいう風に現場ばかりにいる社長は大したことない」と言われていたらしくて。
でも、そういう風に陰口を言っていた人たちはみんなその後消えました。結局彼らが自分を食わしてくれるわけではないですから、噂とか悪口を気にせず、「あなたのやり方は間違っている」と言われても、自分がいいと思う道を進むことが大切だと思うんです。
――前著の『fika』でも「自分ファースト」という言葉が出てきましたが、まさに自分をまずは大切にするということですね。
ビューエル:言いたいことを言われるのが経営者です。でも、一度始めた会社を簡単にやめるわけにはいきません。じゃあ、言いたいこと言ってくる人たちが私の代わりをできるのかといったらそうじゃないですよね。彼らは何もしてくれない。そういう風に開き直るしかないんですよ。
(後編に続く)