内田裕也が語った「ロック」と「カネ」
最後まで何をする人かわからなかったという人も多いのではないか。
コメントを求められれば「ロックンロール」のひとことで締めるが、ヒット曲はなく、音楽をやっていたことも今では忘れられがち。俳優や映画監督という肩書もついて回るから、余計に職業がわかりにくい。
今年3月に亡くなった内田裕也さんのことだ。
そもそもこの人に職業的な肩書を求めるのは意味がない。それは「ロックンローラー」が必ずしもミュージシャンを指す言葉ではなく、ある生き方を示す言葉であるのと同じだ。
■内田裕也が語る「ロック」と「カネ」
最後まで「ロックンローラー」を自称した内田さんだが、氏にとってのロックとは何だったのか。それが垣間見えるのが『俺はロッキンローラー』(内田裕也著、吉田豪監修、廣済堂出版刊)だ。
ここでは自身の半生について語られ、音楽活動を始めた当時のシーンが語られると同時に、「ロック」や「人生」などについての氏の座右の銘が明かされている。
たとえば「お金」。ヒット曲に恵まれなかったこともあり、内田氏はカネ回りのいいミュージシャンではなかった。それだけに「お金」については複雑な感情を持っていたようだ。
「金というのが、これまた難物である。でも、いま俺は、金が欲しい」と語りつつも、「金を儲けるために工夫するのはイヤだなァ。工夫したことで、金が入ってくるのは理想的だろうけど……」ともしている。
お金のためにプライドや意地を捨てられる人と、そうでない人。内田氏は後者である。そして「お金がほしい自分」を最後のところで押しとどめていたものがロックだったのだろう。
その「ロック」については「ロックは、ハングリー・ミュージックだ」「俺は、ロックしかないみたいな人間だが、世の中にあるものの中では、ロックが一番大きい、すべてを含むものだというプライドがある」と熱い思いを隠さない。内田氏にとってのロックは「生きがい」という生ぬるい言葉では言い表すことができないものだ。
思えば、私たちは内田氏のいう「すべてを含むもの」、あるいは「すべてを含むと思えるもの」を探して人生を生きている。人によってはそれがビジネスであったり、別の人にとっては宗教であったり、絵を描くことだったりするが、おそらくそれを見つけた人は、お金のあるなしや人生の長さ、他者から尊敬されるかどうかにかかわらず幸せだ。
この本の座右の銘は様々なトピックについて、時にぶっきらぼうに、時には少しの皮肉を込めて内田氏の思いが綴られている。
決して落ち着かず、世間を騒がせ続けて去っていった内田氏。
「あの人は一体何だったのか?」という問いに、本書はきっと答えてくれるだろう。
(新刊JP編集部・山田洋介)