識者が語る ロシアに経済制裁が効かない本当の理由
突然だが、あなたはロシアについてどんなイメージを持っているだろうか?
よく知られている「とても寒い」「美しい女性が多い」などの他に「独裁者が権勢をふるう国」「軍事力でクリミアを編入した横暴な国」といったどちらかというとネガティブなイメージを持っている人もいるかもしれない。
一方で、ロシアの実態は日本ではあまり知られていない。それは、日露間の人の行き来が日中間や日米間のそれと比べて極端に少ないことが理由の一つだろう。
では、イメージや先入観ではない「本当のロシア」はどのようなものなのか。『ビジネスマン・プーチン 見方を変えるロシア入門』の著者で、国際協力銀行・元モスクワ首席駐在員の加藤学氏にお話を聞いた。
大きなポテンシャルを秘めたロシア市場について、現地でビジネスをする上での注意点、そして欧米に科されている経済制裁の影響など注目のトピックが飛び交うインタビュー後編をお届けする。
■EUは対ロシア経済制裁を意図的に骨抜きにした
――ロシアといえば、そのウクライナ問題がきっかけとなりアメリカとEUから経済制裁を受けています。ただ、制裁下にもかかわらず「Nord Stream2」のようなドイツなどEU圏の国との共同プロジェクトが進んでいるなど、アメリカとEUでは制裁への温度感が違い、足並みがそろわないことがあります。実際のところ経済制裁はどの程度効いているのでしょうか。
加藤:まず、アメリカからの制裁についてはSDNリストに掲載された個人・法人への資産凍結など厳しい内容を含みますが、北朝鮮やイラン向けの制裁のような包括的なものではなく、セレクティブな内容になっています。なので制裁がロシアの経済成長の足かせになっているのは間違いないにしても、そこまで追い詰められている印象はありません。
一方、ヨーロッパからの制裁はほとんど有名無実化しています。一例をあげると、ヨーロッパによる経済制裁はロシアの主要輸出品である天然ガスには一切触れられていません。ヨーロッパのロシア産天然ガスへの依存度は約3割ほどで、今後さらに依存度が増していく傾向があります。
安いのもありますし、旧ソ連の時代から政治的にどんなことが起きても淡々とサプライをしてくれる。ここに制裁で手を入れると、ロシアというよりもむしろヨーロッパの産業基盤を攻撃することになってしまうわけです。
――本の中でも「経済制裁は諸刃の剣」と書かれていました。
加藤:おもしろい話があって、ガスプロムっていうパイプラインガスを供給するロシアの国営公社があるんですけど、その会社がヨーロッパで債券を発行しているんですね。
その債券を買って所有することによって自分も二次制裁の対象になってしまうリスクがあるわけですが、ヨーロッパの投資家はまったく気にせず購入し続けています。昨年11月にもユーロ債を10億ユーロ発行しているのですが、購入オーダーは14億から15億ユーロ集まっていて応募が超過しているような状態です。
――ヨーロッパ経済との結びつきの強さからいって、ガスプロムは制裁の対象にできないという計算があるということでしょうか。
加藤:それもあるでしょうし、制裁の対象になっても信用は大きく低下しないという判断もあるはずです。
私も驚いたのですが、例えばガスプロムが制裁で資産凍結の対象になったら、信用不安が起きて債券の償還ができない事態になるケースも考えられるわけですよね。
ただ、その債券の目論見書を読んでも、そういったリスクがあることは書かれているけれど、ガスプロムがアメリカのSDNリストに入ったりして制裁の対象になったとしても、強制的に債券を償還させるような投資家の権利についての規定は確認できない。
――仮にアメリカがガスプロムを制裁対象にしても、EUとの足並みはまず揃わないでしょうね。
加藤:そう思います。先ほどお話ししたように、天然ガスの分野を制裁対象にするとヨーロッパの産業が打撃を受けてしまうので、EUは徹底的に抗戦するはずです。
これは前例があって、昨年の4月にトランプ政権がオレグ・テリパスカというロシアの寡占資本家が所有している複合企業体「EN+」やアルミ大手「ルサール」といった企業を制裁リストに入れたのですが、EUからの猛烈な反発があって、結局解除しました。
ルサールはヨーロッパ市場でのアルミニウムのシェアで25%を占めますから、EUが反発するのは当然と言えば当然なのですが、トランプ政権も同盟国からそこまで強い抗議があるとは思っていなかったようです。
ガスプロムにしてもロシアアルミニウムにしてもヨーロッパの産業を支えている存在で、こういう企業に対してはアメリカに制裁はさせないという姿勢がEUにはあります。陸続きであり長く付き合ってきた経済的パートナーを守ろうという雰囲気がユーロ債の購入という形で表れているんだと思いますね。
――金融への制裁についてはいかがですか?
加藤:ユーロ建でロシアの国営金融機関に長期の新規融資をしてはいけないという制裁があるのですが、公布された文言を読むと
「欧州とロシア間の制裁対象物品(大深海、北極圏、シェール層開発プロジェクトにおいて石油探鉱、生産に使用される設備、武器等)を除く一般物品に係る取引については制裁対象外」
とあります。あたりまえですが、世の中のほとんどのものは「一般物品」ですよね。
――巨大な抜け穴ですね。
加藤:95%くらい骨抜きにするような抜け穴です。例外規定を設けることでEUが意図的に金融制裁を無効化しているんです。仕事上EUの真意を知る必要があったので、ヨーロッパの輸出信用機関の人に話を聞いたら、その人も「制裁を骨抜きにするための文言だ」と言っていました。
というのも、EUがロシアへの制裁を発表した時、ロシアと経済的な関係が深い加盟国はEU当局に飛んで行って説明を求めたそうなんです。その際に「いや、これは骨抜きにするから大丈夫だ」と説明を受けて安心したと。これははっきり言っていました。
――日本企業がロシアに進出するにあたって、ロシアやプーチンの価値観と目標を理解することが大事と書かれていました。プーチンの価値観と目標とはどのようなものなのでしょうか。
加藤: 地政学的な面では、漠然とした言葉になりますが言葉や文化、宗教も含めて「ロシア的なもの」を保護し、守りたいという意識があるんだと思います。ウクライナ東部からベラルーシにかけて、あるいはカザフスタン北部などにも、ソビエト崩壊の時に散り散りになったロシア人がいる。だからこういう地域はプロテクトしないといけないと思っているのではないでしょうか。
――経済面はいかがですか?
加藤:経済面でのプーチンの目標は「強いロシアをつくる」に尽きるでしょうね。健康不安があったり政商の跋扈を許したエリツィン元大統領の後を引き継いで、1998年のデフォルトの記憶が生々しい中で出てきたプーチンですから、とにかく実益に徹して強いロシア経済をつくるという意思がはっきり見て取れます。
やり方は極めて開明的です。アメリカやイギリスのように壁を作って自国の産業の再興を図るのではなく、グローバリゼーションと自由主義経済の中で競争力を高めていこうという。こと経済に関してはプーチンにはあまり国境の概念を感じません。
――旧ソ連で育ち、KGB(ソ連国家保安委員会)時代は東ドイツに赴任するなど共産主義の中で生きてきたプーチンが今自由主義経済の信奉者になっているのがとても興味深いです。
加藤:いかにもスパイですといった外見ですから、プーチンはKGBではあまり大成しないだろうと言われていたそうです。東ドイツ時代も最前線の本当に難しい仕事は任されなかったかもしれません。
台頭してきたのはサンクトペテルブルクの副市長になって、外資の誘致など対外関係を取り持つ仕事をするようになってからです。彼はそういう仕事が得意だったみたいですね。全然得意そうには見えないのですが(笑)。
いつどのように自由主義経済を志向するようになったのかはわからないのですが、ソビエト時代から海外を広く見ていますし、東ドイツにいた時は西ドイツの様子も目の当たりにしたでしょうから。
一方で彼はロシア経済が行き詰まり、疲弊していく様子も見ていますから、どうしたら周辺の国のように皆が一定の豊かさをもって暮らせるのかっていうところを考えたんだと思います。
――ロシアでのビジネスについて日本企業にアドバイスをするならどんな言葉をかけますか?
加藤:これは事例をお話しするのがいいと思います。ロシアの一部であるサハ共和国での例なのですが、ここは冬はマイナス60℃夏は30℃と、寒暖差が100℃近くある過酷な土地で、作物を育てるのが非常に難しいんです。かつてトルコとドイツが試みたのですが結局できなかった。
でも、北海道にあるホッコウという会社が、3層になっていてかつ光を通して保湿もできるビニールハウスを作って、ようやく農作物が作れるようになった。他の分野でも、日本には当たり前にあるけど、ロシアには当たり前にないものはたくさんあってそこにはビジネスチャンスがあります。もちろん苦労はあるのですが、成功した時のリターンは大きい。
ホッコウさんの例のように、現場の工夫や対応力で問題解決する日本のエンジニアリング能力はロシアですごく歓迎されますし、高く評価されているということを知っていただきたいと思います。
――最後に読者にメッセージをお願いいたします。
加藤:国際情勢は変わりやすいものですし、対ロシア経済制裁のエスカレーションもどうなるかわからないところがありますが、ロシアには今も昔もビジネスチャンスがあるのは確かです。
ロシアやロシアのビジネス環境についての実態と異なる先入観によってそのチャンスを逃しているとしたらそれはとても残念なことですので、ぜひ一度時間を見つけて現地に足を運び、パートナーとなりえる企業や人と対話していただきたいと思っています。
(新刊JP編集部)