だれかに話したくなる本の話

幕末から明治期にかけてのロマンを感じられる場所へ 【鬼頭あゆみの「本が好きっ!」】

みなさん、こんにちは! 鬼頭あゆみです。

先日「潜伏キリシタン」関連遺産がUNESCOの世界遺産に登録されましたね。旅行先の一つとして世界遺産を意識する方も多いのではないでしょうか。今回は、3年前に世界遺産に登録された場所についてのお話をうかがってきました。

インターネットラジオ「本が好きっ!」、第37回目のゲストとしてお越しいただいたのは『明治日本の産業革命遺産』(集英社刊)の著者で、経済評論家の岡田晃さんです。
日本経済新聞で長らく記者、編集委員として活躍し、テレビ東京へ。「ワールドビジネスサテライト」など経済番組のキャスター、コメンテーターとして活躍された後に独立し、現在は大阪経済大学で客員教授をされています。

■日本近代化の足跡が見えてくる「明治日本の産業革命遺産」

この本のテーマになっている「明治日本の産業革命遺産」は、2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のことです。
この世界遺産は、幕末から明治にかけての産業施設や史跡群で鹿児島長崎など九州各地や山口から静岡、岩手の発見にまたがる23の施設で構成されており、日本の近代化の足跡をしめしています。

著者の岡田さん自身もこの世界遺産登録に尽力した一人。そのきっかけは、鹿児島に講演に行ったときでした。地元の人たちが世界遺産登録にむけて努力されていると聞き、一緒に登録に向けて動き始めたそうです。

これらの場所のことを知ると、日本が近代化に挑戦し、明治維新、そして産業革命へと発展していった過程がよくわかると言います。
地理的には、日本の各地に分散していますし、内容もそれぞれ別々に見えます。でも、実はお互いに技術的にも人的にもつながりをもっていました。試行錯誤を繰り返しながら消してあきらめずに成功に導いた明治の人々。この遺産を見て回ると、先人たちの残したものから元気をもらうことができて、日本の底力を感じることが出来るそうです。

■幕末から明治に活躍した志士達の息遣いを感じる場所とは?

岡田さんが、明治の偉人の中で強い関心をよせているのが、吉田松陰です。山口県の萩にある松下村塾、こちらも世界遺産の一つとして登録されています。
ここで松陰は、明治の近代化を支える人材を育てていました。松陰は思想家のイメージが強いかもしれませんが、実際は、広く西洋の技術などを弟子に教えた教育者だったと言います。

実際に松下村塾に行くと驚かれると思います。 2部屋6畳間と8畳間くらいの一棟という小さい建物が当時のまま残されており、床の間があって、その前に長机がおいてあって松陰がその机の前に座って講義をしていたそうです。 生徒の中には伊藤博文や高杉晋作も。彼らが同じ場所にいて、同じ空気を吸っていたと思うと、歴史のロマンを感じますよね。

経済評論家として長く日本経済を見てきた岡田さんは、今、日本経済はバブル崩壊後の長いトンネルからようやく抜け出そうとし、復活にむけて動き出しているとみています。
それは150年前の長い眠りから目を覚まし、新しい時代を切り開いた明治維新と重なりあるところが多いと指摘します。明治日本の産業革命遺産は単なる過去の遺産ではなく我々日本人が元気を取り戻し、経済再生を果たすためのヒントがつまっているといるのでしょう。

明治の歴史ロマン、そしてこれからの時代を生きるヒントもつまった『明治日本の産業革命遺産』は読みどころがたくさんある一冊。インターネットラジオ「本が好きっ!」では、岡田さんがポイントを整理してお話してくださったインタビューも聞けますので、あわせてお楽しみください。

【鬼頭あゆみの「本が好きっ!」】
ブックナビゲーター・鬼頭あゆみによる書評ラジオ。毎回、話題の本の著者が登場して、本について掘り下げるインタビューを届ける。
オーディオブック配信サービス・audiobook.jpにて無料配信中。本が好きっ!

明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

「日本の奇跡」と言われる明治の産業革命の礎は、幕末のサムライたちによって準備されていた。製鉄、造船、石炭産業の現場では、藩の垣根を超えて技術を共有し、奮闘する人々の熱いドラマがあった!

製鉄のもととなった伊豆の反射炉の技術は、佐賀藩と伊豆の代官・江川英龍が協力して研究が始まり、佐賀から薩摩へ、さらに水戸藩を経由し、最終的には釜石の洋式高炉に結実した。それが明治時代に官営釜石製鉄所や官営八幡製鉄所へとさらなる発展を遂げ、現在の新日鉄住金に至る。

造船に関しては、島津斉彬の命を受けて幕府の長崎海軍伝習所で学んだ薩摩藩士・五大友厚は、トーマス・グラバーらと共に長崎の小菅修船場を建設した。これが現在の三菱重工長崎造船所につながっていく。岩崎弥太郎、弥之助、久弥の3代に渡る三菱重工業の社長たちの事業拡大の歴史とも重なる。

“軍艦島“で知られる石炭産業の発展においては、福岡藩士だった團琢磨の働きがめざましく、彼の見識と技術導入へのアイデア、決断力が、石炭産業の多大な発展を促した。

幕末から明治の激動の時代に、政治の争いとは無関係に、日本の未来を考えて奔走した若きサムライたちや現場の無名の職人たちの、ひたむきさやチャレンジ精神を感じる熱い一冊。

この記事のライター

鬼頭あゆみさん

鬼頭あゆみ

1976年、愛知県生まれ。フリーアナウンサー。活動拠点を東京に移す前は、東海テレビ放送のアナウンサーとして、主にニュース番組、プロ野球番組などを担当。フリーに転身後は、TBS「サンデーモーニング」やNHK「探検ロマン世界遺産」などに出演。

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