だれかに話したくなる本の話

「死にかけのセミ」の怖さと、セミファイナルかどうかの見分け方

虫全般がニガテな新刊JP編集部のオオムラです。こんにちは。

夏の風物詩といえば、セミです。
そんなセミもそろそろ最盛期を終えたのか、道端でひっくり返っている姿を見かけます。

ところで、息絶えて見えたセミが実はまだ生きていた、というケースがしばしばあります。いわゆる「セミファイナル」というやつです。

あれが本当にニガテです。
「あぁ、もうお亡くなりになったんだな」と思って横を通り過ぎようとすると、突然、足元で無軌道に低空飛行を始めたりします。

先日、街中を歩いていると、数メートル先を歩いていた営業マン風の若い男性がセミファイナルのトラップに引っ掛かり、「うおっ?!」とそこそこ大きな声を上げていました。
後ろにいた私は、セミを刺激しないよう、少し距離をとって足早に歩くことで事なきを得ました。

距離が取れる路上ならまだいいのですが、怖いのは、狭い場所にいるセミファイナリストたちです。

20代の頃に宅配ピザのバイトをしていたときのこと。
配達先のマンションの廊下にセミファイナリストがいたのです。 それに気づかず何気なく通り過ぎようとする私。突然、ジタバタと飛び始めるセミ。パニックになる私。廊下に落ちるピザ箱。 ……結局、新たにピザを焼くはめになり、店長に怒られたという苦い記憶があります。

ほかにも、洗濯物を取り込もうとベランダに出たら、そこにセミファイナリストがいて、やはり大パニックなったこともあります。

ただ、冷静に考えてみると、噛むわけでも酸を吐くわけでもない、ジタバタしているだけのセミが、なぜあんなに怖いのか?

その理由を考えてみると、

・急に動くのでビックリしてしまう
・どう飛んでくるのか予測がつかない
・そもそも虫が何を考えているのか想像がつかない

――といったことがあるように思います。

どうやらこれは「恐怖」を感じる心理メカニズムに当てはまるもののようです。
人間は本能的に「わからないもの」「未知のもの」に対して、危険を感じるようにできているのだとか。

たとえば、同じく夏の風物詩である「肝だめし」はその典型。

暗闇は、視界が制限されているので何があるのか「わからない」。
幽霊がいるかいないかは、定かでないので「わからない」。
いつ、だれに驚かされるか「わからない」

セミも「急な動き」「どこをめがけて飛んでくるのか」「何を考えているか」が「わからない」から怖いわけです。

そうやって怖さの正体が理解できると、セミファイナルなどは恐るるに足らず……と、なればいいのですが、やっぱり怖いものは怖いです。

ちなみに、以前、知人から聞いたセミファイナリストと昇天されたセミの見分け方は、足が開いているか、閉じているかなのだとか。
お亡くなりになると足の筋肉(?)から力が抜けて、閉じてしまうのだそうです。なので、写真のセミは「昇天されたセミ」となります。

とは言え、ゆっくりとそれを確認しているヒマもなく襲ってくるファイナリストには対処しようがないですが、覚えておくとある程度は驚かされずに済むかもしれません。 短い夏を懸命に生き抜いたセミたち。できることなら、これも夏の風物詩と思って温かい目でセミファイナリストたちを見送ってあげたいものです。

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この記事のライター

大村佑介

大村佑介

1979年生まれ。未年・牡羊座のライター。演劇脚本、映像シナリオを学んだ後、ビジネス書籍のライターとして活動。好きなジャンルは行動経済学、心理学、雑学。無類の猫好きだが、犬によく懐かれる。

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