サリンジャーもヘミングウェイもいた! 1950年代のアメリカは文学の最強時代だ
出版業界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。
2009年にスタートしたこの企画も、今回で100回目です。
節目となる第100回のゲストは、アメリカ文学研究者であり翻訳家の柴田元幸さんが登場してくれました。柴田さんといえば、翻訳書だけでなく自身が編集長を務める文芸誌「MONKEY」でも知られています。
今回はその「MONKEY」のお話を軸に、お仕事である翻訳について、そして研究対象であるアメリカ文学についてお話を伺いました。(インタビュー・記事/山田洋介)
■「誰もが高度なことをやっていた時代」1950年代アメリカ文学の凄み
――クラウドファンディングといえば、柴田さんが選考委員として関わっている「日本翻訳大賞」も運営資金をクラウドファンディングで集めていましたね。
柴田:あっという間に何年分かの運営資金が集まって驚きました。半日で1年分が集まって、来年で5回目なんですけどそこまでは賄えるのかな。
続けていればもっと集まっていたはずですが、当初予想していたより遥かに多くの出資金をいただいてしまったので、運営の方で管理できるか自信がないということで予定期間の途中で閉じました。
――「編集長が自分で古典を訳すのが一番ページ単価が安い」ということをおっしゃっていましたが、「MONKEY」は最新のアメリカ文学の翻訳も掲載します。通常向こうで発表された作品が日本で本になるまでには「年」単位の時間がかかりますから、この即時性は考えてみるとすごいことのように思えます。
柴田:アメリカで発表された小説をすぐに翻訳して紹介できるのは一つの強みだとは思いますが、でも所詮は4ヶ月に一度の雑誌ですからね。タイムラグの短さを競ってもウェブには敵わない。
最新号の「アメリカ短篇小説の黄金時代」という特集は1950年代のアメリカ小説を取り上げていて、その中で村上春樹さんがジョン・チーヴァーの短編をいくつか訳しています。もちろん優れた小説だから訳して掲載しているわけで、そういうものと最新の小説とで原理的にどちらがいいということはありません。
それと、「MONKEY」の前には「モンキービジネス」という雑誌を別の出版社から出していたんですけど、それを始める時に、新しい情報を追うのはよそうと思ったんですよ。雑誌というと一般に、新作映画評があり、新作書評があり、新作CD評がありという感じで、新しいものばかりで「雑」じゃない。やるんだったら新作も50年前の作品も同じように取り上げたいという気持ちはあります。
――雑然とした多様性が欲しかった。
柴田:そうですね。その中で、本国でも活字になっていないくらい新しいものを出すとかね。そういうのならやっても楽しいかなと。
――最新号の見どころについてもう少しうかがいたいです。
柴田:1950年代アメリカの、一番クリエイティブだった部分が見える号になったと思います。先ほどもお話ししましたが、この時代の最良の作家の一人、ジョン・チーヴァーの短編を6本、エッセイを1本村上さんが訳してくれているんですけど、チーヴァーは白人男性だから、黒人も女性もいた方がいいということで、彼を囲むような形で、別の何人かの作品を僕が訳しています。この時代についての村上さんとの対談もぜひ読んでみていただきたいですね。
――1950年代と、年代で言われるとどんな作家が活躍していたのかイメージできないのですが、リチャード・ブローティガンなどはこの時代の作家ですか?
柴田:ブローティガンはもう少し後で60年代の人ですね。50年代はヒッピー・カルチャーやベトナム反戦運動が出てくる前で、公民権運動はもう始まっていますが、全体としては冷戦で息苦しかった時代です。
ただ、この時代の芸術は総じて水準が高いんです。たとえばジャズだと、1910年代から20年代に生まれて、30年代にダンスのためのスウィングジャズが出てきました。40年代にビーバップという破壊的な音楽が生まれて、一部ミュージシャンのあいだで技術が飛躍的に向上します。50年代はその技術が全体に広がって安定してきた時期で、多くの人が高度でそれなりに新しいことをやっていた。
みんなが高いレベルで物をやれるという意味で、おもしろい時代なんです。それは小説も同じで、たとえばちくま文庫から出ているフラナリー・オコナーの作品集(『フラナリー・オコナー全短篇』)や、岩波文庫から出ているバーナード・マラマッドの短編集(『魔法の樽』など)を読めばある程度見えてくるんですけど、一冊の雑誌にまとめることでそれをパッと見せたいと思ったんです。作っていても楽しかったですね。
――50年代というと、たとえばノーマン・メイラーのような戦中派の作家もまだまだ現役でした。こうした作家たちの当時の評価はどういったものだったのでしょうか。
柴田:メイラーは戦争から帰ってきて『裸者と死者』のようなすごい小説を書いたことで、「こいつこそが“グレート・アメリカンノベル”を書く奴だ」と目されていました。結局書かずに終わってしまったみたいですが。
メイラーに限らず、この時代はヘミングウェイも生きていましたし、フォークナーのような戦前から活躍していた人もいました。サリンジャーやカポーティなど、戦中戦後に出てきた人も一番脂が乗っていた時期です。
――贅沢な時代ですね!
柴田:60年代になると、今度は誰でも高度なことができるというのがだんだん息苦しくなって、それまでの流れを壊そうという動きが出てきます。ブローティガンやカート・ヴォネガットはそうした中で出てきた作家ですね。
50年代に話を戻すと、この時代は冷戦に皆が脅威を感じていて、頭痛薬と胃薬が手放せない一方で、「強いアメリカ」「正しいアメリカ」がしきりに喧伝されたというイメージがあります。それはそれで全然間違っていないのですが、そうではない一面もあって、それをこの号では見せたかった。
付け加えるなら、50年代って小説が商品になっていた最後の時代なんですよ。チーヴァーなんかは短編をこつこつ書いて、それで食べていたんですけど、今はそんなことできないです。
――確かに、今は難しいと思います。
柴田:現状を知る方からすると、そんな時代があったことが驚きですよね。
もう少し時代をさかのぼるとジャック・ロンドンやウィリアム・サローヤン、スコット・フィッツジェラルドもそうです。ロンドンはパワーがあったから長編も書いたけど、だいたいは短編を高く売って食べていました。みんな結構お金のために書き殴っている(笑)チーヴァーの小説はそんな中でどれもレベルが高いです。
そのあたりの時代背景は小説だけ読んでも見えにくいので、村上さんとの対談の中で話しています。
第三回 ■日本は翻訳者へのリスペクトが強い国 につづく