コンドームの「実演販売」も “紀州のドン・ファン”の数奇な商才
“紀州のドン・ファン”として知られた和歌山の資産家、野崎幸助氏の死から約一カ月。死因は急性覚せい剤中毒とされているが、その死の真相はまだわかっていない。
野崎氏といえば、鉄くず拾いからスタートして巨万の富を築いた商才と、70歳を過ぎてからも「美女とのエッチが人生の目標」と公言してはばからないユニークなキャラクターが知られていた。
氏はかつて著書『紀州のドン・ファン』(講談社刊)で自身の人生と商い、そして女性たちについて赤裸々につづった。戦後の貧困を工夫とアイデアで生き抜いたその人生は「たくましい」のひとことだが、中でも出色なのが、氏が財を成すきっかけとなった「コンドーム」の訪問販売である。
■自転車でコンドームの飛び込み営業 その結果は
今ではコンビニで買えるコンドームだが、野崎氏が20代だった1960年代は、薬局の片隅にひっそりと置かれ、買う方はなかなか「ください」と言いにくい雰囲気だったという。
そして、この時代は「貧乏人の子だくさん」なる言葉が横行していた時代でもある。無計画に子どもを作ったために生活苦に陥ってしまうケースは多かったのだ。コンドームは、需要はあるがおおっぴらに買いにくい。野崎氏はここに目をつけた。
薬局で買いにくいなら訪問販売はどうか、ということで自転車に乗って和歌山県内の集落を訪ねてまわったそうだ。今でいう「飛び込み営業」である。
避妊具自体、当時は口にするのも恥ずかしいものという扱いだったようで、最初に訪れた漁村では気性の荒い猟師にけんもほろろに追い返され、別の家では留守を守っていた妻に「帰れこのアホんだらが」と怒鳴られた。
しかし、徐々に商品を売るコツをつかんでいったという野崎氏。
・恥ずかしいものを売っていると思わない(明るい声でセールスする)
・ノルマがあって売らないと帰れないアピール(自分のビジネスではなく、あくまで従業員としてふるまう)
などを実践すると少しずつコンドームは売れるようになっていった。 しかし、氏のすごさは何といっても気合いと根性である。
玄関先で奥様相手にセールストークをしていると、部屋に上がって「使い方を教えて欲しい」と言われることも少なくなかったという。まさかの「実演販売」である。
腕を掴まれたまま、おずおずと廊下を進んでいきます。タンスのある和室に布団を敷いた奥さんは、さっさとかすりのモンペを脱ぎました。まだまだ明るい時間ですが、カーテンが閉められた薄暗い部屋で、ねっとりとした視線が私に注がれたのです。(P99より引用)
相手がどんなに好みのタイプでなくても、断ったら仕事に差し支えるということできっちりと求めに応じたという野崎氏。この根性にフリーセックス時代の到来もあって、コンドーム販売は軌道に乗り、大いに儲かった。ここで得た元手が、後の金融業での成功の足掛かりになったという。
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一代で財を成した「やり手」であるのは間違いのないところだが、本書からは朴訥で飾らない、生涯一人の「スケベなおじさん」だった氏の人柄も見える。思えば若い女性の歓心を買うために躊躇なく札ビラを切るというのは、妙なプライドがあるとできないことではないか。
人生の終盤は怪人物として世間の注目を集めた野崎氏。その死の真相が解明されるのはいつになるだろうか。
(新刊JP編集部)