「叩かれた」先にあった覚悟。村山由佳が衝撃作『ダブル・ファンタジー』を振り返る
2009年に出版された村山由佳さんの小説**『ダブル・ファンタジー』**(文藝春秋刊)。
過激な性描写、自由を求めて不貞を重ねる主人公・高遠奈津の姿は賛否両論を巻き起こし、それまで「爽やかな青春小説」の書き手としての立場を確立していた村山さんの転機ともいえる作品になった。
多くの読者に強い印象を植え付けた本作だが、それが意外にも9年の時を経て初めて実写化される。そのドラマの放送場所はWOWOW。奈津を演じるのは女優・水川あさみさんだ。
6月16日のドラマ放送開始に先駆けて行った新刊JPによる村山さんへのインタビュー。 「今まで何度も実写化の話はあった」のに実現しなかったのは何故か? この9年間の変化や「性愛を描くこと」の意味、そして続編となる新作の話まで、幅広くうかがった。
聞き手・文:金井元貴、写真:大村佑介
■男性作家が描く恋愛を女性作家が読むと…!?
――『ダブル・ファンタジー』は今から9年前に世に出た小説です。WOWOWからドラマ化の話が来たときはどんな心境でしたか?
村山:ものすごく正直に言うと、「今回も映像化が失敗するのではないか」という不安を感じていました。
実はこれまで何度か実写化の話をいただいたことがあったのですが、いろんな条件がちゃんと積み重ならなくて、そのたびに話が流れてしまっていて。題材も難しいですし、私は内容やストーリーが原作通りでないと嫌とはまったく思わないんですが、映像化を通して視聴者の受け取る感触や色合いが原作と全く違うものになるのなら、(作品を)使って頂かない方が良いのかなという気持ちがあったんです。
今回WOWOWさんからお話をいただいて、「ドラマW」という枠は作品と真摯に向きわってドラマを制作していることを知っていただけに、実写化していただけることに期待しつつも「期待し過ぎるな、自分」と言い聞かせていました。でも、完成したものを観たら、本当に原作のテーマを大事にしていただいたことが伝わってきて嬉しかったですね。
――私は『ダブル・ファンタジー』は映像的な小説ではないと思っていました。特に前半部分の志澤とのやりとりはメールが中心ですし、テキスト的というか。
村山:それにほとんどが奈津の内面の話ですからね。性愛って行為自体はそれほど人によって変わるものではなくて、バリエーションには限りがあります。そこに無限のバリエーションをもたらすのが人の心ですから、その部分を映像でどのように表現してくださるのかという点は楽しみでもあり、怖くもありと思っていました。
――公式サイトに「奈津は、演じるにはおそろしく厄介」とコメントを寄せられていましたよね。村山さん自身は奈津をどんな人物だと見立てて書かれたのですか?
村山:普段小説を書くときは、キャラクターの設定を決めてから書くことが多いのですが、奈津に関しては設定を設けずに書きました。ただ、決め事はあって、それは自分自身が今までに抱いてきた女性としての感覚に嘘をつかないということです。
――ご自身の心に準えて書かれていったわけですね。
村山:そうです。ただ、あからさまに書いてしまうと、色々な人を敵に回してしまうし、後ろ指をさされることになるだろうと思っていました。実際にそうなりましたしね(苦笑)。もっとオブラートに包んで書けば、あそこまで賛否両論にはならなかっただろうと思います。でも、そうはせず、奈津に一人の女の本音を詰め込みました。
そうして描いた奈津をリアルに演じることって、女優さんにとってはおそらく作家以上に覚悟がいることなのではないかと思うんです。毀誉褒貶あるかもしれないし。だから、(主演の)水川あさみさんにお目にかかったとき、「よくこんな役を受けていただいて」と言ったら、「こんな役って!」っておっしゃっていましたけど(笑)私にとっては称賛の気持ちでした。
―― 一方で奈津と絡む男性の登場人物たちは、みんなどこかにダメな部分があって、クセがありましたね。
村山:でも、俳優の皆さん、かっこいいじゃないですか。小説の中では見た目に対する情報を読者に与えないで、それぞれの中で想像していただくということができるんですけど、映像ではそれができないからどうなるかなと思っていました。あのかっこいい人たちがどんな風にダメな部分を演じるのかなと(笑)。
――村上弘明さん演じる舞台演出家の志澤一狼太や、夫で元テレビマンの高遠省吾は奈津の脚本に対して口を出してきますよね。逆の視点として、女性の立場から見て男性が書く小説で違和感を覚えることってありますか?
村山:そうですね…。男性作家が描く恋愛の場面の多くは、女性が読むとちょっと苦笑してしまうというか(笑)。
――そうなんですか!?
村山:はい。こういう女はいないし、もしいたとしても計算でやっていることに過ぎないのに、主人公までがその計算を真に受けてしまうという物語運びは男性作家の恋愛の描き方に多いように感じます。
最後に「男女は化かし合いなのだ」というような気づきが一行でもあれば、「分かっているな」と思うんですけど、そこまで書いていない男性作家は多いです。逆に女性作家は、男性に対する幻滅の瞬間をとてもリアルに描くんですよね。
――幻滅を抱く瞬間を。
村山:男女の埋めようのない溝ですとか、一言から漏れてくる相手の本音。そういう男女の間に横たわる裂け目みたいなものは、女性の方がちゃんと描くように思います。醒めているというか。
男性が描く恋愛ってすごく優しいのかもしれない。でも、その一方でファンタジーを強く信じている部分もありますよね。
■賛否両論を超えて 『ダブル・ファンタジー』以後の村山由佳
――『ダブル・ファンタジー』は出版された当初、賛否両論生み出しましたよね。
村山:この作品は読む人の人生経験ですとか、男性に対する好み、譲れない一線といったものにものすごく左右される小説なんですよね。だからAmazonのレビューを見ると、星は1と5が多くて真ん中があまりないという。
賛否両論あることはありがたいと思うのですが、何せ私はそれまで爽やかな作風の話が多かったので、『ダブル・ファンタジー』を書くまであまり叩かれ慣れていなくて、叩かれ慣れるのに10年くらい(笑)つまり今までかかった感じがあります。
――以前、新刊JPのインタビューでこの作品は人間の根源的な欲求を書こうと思ったというお話をされていましたが、作家として根源的な欲求を描くためにセックスのシーンは必要だと思いますか?
村山:もちろん、セックスのシーンを封じて書くこともできるし、そうすることで面白い作品もできるのかもしれないけれど、作家として率直な気持ちを言うと、セックスのシーンを書くのが楽しいんです。
持っている技は使いたくなるというか(笑)、いずれその技を封じて別の形での表現を楽しむようになるのかもしれないけれど、今はどう描写することでどう効果が表れてくるのかという実験をしているみたいです。新しい絵の具をどんどん混ぜて、いろんな絵を描いているみたいな気持ちです。
言葉って不自由だから、現実をその場に映し出す映像に嫉妬することもあります。でも何かがうっかり上手くいくと映像を超えるものが立ち上がることがあって、それは読者の方々に半分負担してもらわないといけない作業ではあるんですけど、私ですら想像していなかった効果をあげるんです。
その感想を読者の方々から聞かせていただいたときに、ものすごい高揚感を覚えます。「この仕事はやめられない」と思いますね。
――読者の皆さんとのセッションしているような感じですね。
村山:そうですよね。特に女性は、世間の目もあるので、性的に抑圧されてきた人たちが多いんです。でもその抑圧を当たり前のように感じていて、自分が持っていた(性的なものに対する)罪悪感について改めて考えてみて少し自由になったとか、実際に奈津のようには生きられないけれど、感情移入して読むことですごく解放されたとか、そういう声をいただけると嬉しいですね。
――村山さんご自身も『ダブル・ファンタジー』をきっかけに吹っ切れたようにお見受けします。
村山:『ダブル・ファンタジー』を執筆しているときから、「これは問題作だと言われるだろうな」という予感はあったのですが、世に出したときの反応が私の想像を遥かに超えていて、こんなに叩かれるものなのかと思いました。
確かに私は「気持ちに嘘をつかない」というルールを設けて挑戦する気持ちで書いたけれど、想像以上に世の中は旧態依然としていて、女性は自由ではないし、そのことに気付いていないのだなと改めて実感して。だからこそそこに、こういう作品を書く意味があると思ったし、これからも書いてやろうと。そういう吹っ切れた気持ちはありましたね。
――奈津にも通じる姿ですが、覚悟を決めた瞬間ですね。
村山:叩かれるとそれは凹みます(笑)でも、どこかで胸がすく想いもあって。すごく周囲の目を気にする自分と、「後ろ指をさされてなんぼ」という勇ましい自分が同居している感覚ですね。
――今はどちらの村山さんが強いですか?
村山:だんだん怖いものが少なくなってきましたね。次どうしようかなと考えているところです(笑)。
――私はどんどん性愛的なものを書いてほしいです。本当にフェティシズムに寄ったものでも。それに救われる人は必ずいます。
村山:ありがとうございます、任せてください(笑)。『ダブル・ファンタジー』の続編にあたる『ミルク・アンド・ハニー』という小説が出たばかりなのですが、その中に奈津がハプニングバーに行くシーンがあるんです。健全なところで生きていて、自分を抑圧するものを感じない人たちは、そうしたところに行く人たちを変態とひとくくりにしますけど、実はそこに集まっている人たちはファンタジーを求めてきているわけですよね。そこに用意されているファンタジーを上手に楽しんで、後はおとなしく現実の世界に戻っていく。そういう人がいるかと思えば、現実の中で自分を認めることができずに鬱屈していってしまう人も……。
――どちらの方が健全なのか分からないですよね。
村山:そうなんです。
――小説も「フィクション」だからこそ楽しめるというか。現実ではなかなか踏み出せないけれど、小説の中ならどこへでも行けますし、何でも体験できますからね。
村山:そういう意味では、作家には責任重大なところがあります。昔執筆した『BAD KIDS バッド キッズ』という青春小説の中に、同性愛が出てくるんです。その後、読者の方から「あの小説を読んで自分の同性愛的な傾向に目覚めて今があります」という感想をいただいて。本の世界に深く踏み込んで読んで下さったことが嬉しい一方で、ひとつの小説が読者の人生を左右してしまうこともあるということを改めて感じました。
■結末が分かっていても最後まで見届ける奈津の行動は小説家の性か?
――最後にドラマ版『ダブル・ファンタジー』についてお話いただきたいと思います。ドラマはもう映像で観られましたか?
村山:はい、もちろんです。
――お気に入りのシーンを一つあげるとすると。
村山:シーンではないんですけど、田中圭さんのキリン先輩(岩井)役がすごく良かったです。キリン先輩は奈津の大学の先輩で、小説の中ではヒョロっとしていて草食系で、動物のキリンを思わせるような印象なので「キリン先輩」というんですけど、キャスト表を見て「大丈夫かな、こんな素敵な人が演じて…」と思ってしまいました(笑)。癒し系で、敬語でしゃべってくれて。女の夢ですよね。
――個人的にはクセのある僧侶・松本を演じたマキタスポーツさんはインパクトがありました。
村山:マキタスポーツさんの「悪い子だなあ」っていうあのセリフは最高です。本当に絵に描いたような「エロおやじ」を演じていただいて。観ている方は「奈津、この人とセックスするの?」って思うかもしれないけど、本当にしちゃうんだなあ、これが。
――あのシーンで奈津が「結末が分かっていることでも最後まで見届けたい」と言いますよね。あれは物書きの性といえるものなのでしょうか。
村山:そうかもしれません。私も、先は見えているけれど本当にそうなるかどうか、自分の目で見て確かめたくなります。「やっぱりそういう終わり方だな」ということがほとんどなんですけど、今回だけは違う結末かもしれないと期待をしてしまうんですよね。
――今後書いていきたいものはなんですか?
村山:来年どんな仕事をしているのか見えないまま作家を25年続けてきましたが(笑)、今は大正時代の女性作家にして社会運動家・伊藤野枝をモデルにした評伝小説を書いています。彼女は、28歳で憲兵に殺されて井戸へ投げ捨てられる悲劇的な結末を辿るのですが、平塚らいてうらと『青鞜』という雑誌を作っていた人としても知られています。
――極めてアナーキーな人物だったと聞いています。
村山:そうなんですよ。彼女をモデルにした評伝小説は、何十年も前に瀬戸内寂聴さんがお書きになっていて。偉大な方ですけど、惹かれるところは似ているんだなと(笑)。
――最後に、今後の出版予定を教えて下さい。
村山:先ほども少し紹介させていただきましたが、『ダブル・ファンタジー』の続編にあたる『ミルク・アンド・ハニー』が出版されました。そこから読んでも奈津の物語は分かると思いますので、ぜひ読んで、感想を聞かせて頂きたいですね。
(了)