社会学者が考える「リーダー」の定義とは?
少人数のプロジェクトチームから一企業に至るまで、人数の規模に関わらず組織があれば「リーダー」の存在は不可欠だ。そんなリーダーのあり方に迷う人が多いためか、世の中には多種多様な「リーダー論」が溢れている。
なぜ、無数の「リーダー論」が説かれるのか。そして、本当に必要な「リーダー」の資質とは一体何なのか。その問いに対する一つの答えを提示している一冊が 『だから日本はズレている』(古市憲寿著、新潮社刊)だ。
本書は、何かと炎上することも多い社会学者・古市氏が日本社会の中にある「ズレ」を様々な切り口から論じているが、その中の「リーダー」に関する提言は、世の多くのリーダーに「リーダー論」のとらえ方のヒントを与えてくれるだろう。
■完全な「リーダー論」なんてない
書店に行けば、松下幸之助や孫正義のような起業家、ビジネスコンサルタント、学者など、様々な人が展開している独自の「リーダー論」の書籍が選び放題だ。
しかし、経営学者の金井壽宏氏は普遍的なリーダーシップ理論などというものは存在しないと言い切っているという。金井氏によれば、どんなに緻密な研究でもリーダーの行動の2、3割程度しか説明できないのだそうだ。
迷えるリーダーには残念な主張だが、万人に応用可能なリーダー論を発見することは絶対に不可能だと古市氏。その理由は、リーダーに必要な条件は状況によって大きく変わるからだという。
同じ会社でも20年前と今とでは求められるリーダーシップは違うはずだ。そこには時代背景もあるし、そもそも会社固有の性格や特性によっても違いが生じる。 それを踏まえた上で、著者は「リーダーは、状況に応じてその都度生まれてくるもの」だという認識を示している。
■リーダーの本質は「フォロワーの存在」
リーダーには様々な形があるが、あえて最大公約数的に定義するなら「ついてくれる人(フォロワー)がいる」ことがリーダーの本質であると著者は説く。やり方やあり方はどうあれ、ついてくれる人がいるかいないか。それだけがリーダーにとっては重要で、リーダーをリーダー足らしめる要素だということだ。
スティーブ・ジョブズのように圧倒的なカリスマ性と行動力で熱狂的な信者をつくるタイプのリーダーもいれば、理性的でその人柄をもってチームをまとめあげるリーダーもいる。 また、弱さを認めて他人に助けを求めることでチームをまとめるリーダー、自分では何もできないから人に仕事を振りまくって結果的に人がついてくるリーダーもいるだろう。
つまり、そのグループの特性と状況、本人とその周囲の人の性格や人間性。それらが複合的に影響し合って「リーダー」として成立するかどうかが決まるのだ。
よく「リーダー主導のトップダウン」が企業の成功例として説明されることがある。それとは、逆に「部下に主体性をもたせてリーダーは何もしない」ことがチームの成果を挙げる秘訣だとする論もある。
こうしたリーダー論に触れると、私たちは「生存バイアス」の罠に落ちるという。
生存バイアスとは、生き残った者だけを正しいと判断し、脱落したものを価値がないものと判断する傾向のことだ。その方法で生き残っているリーダーがいるとわかれば、それが「正しい方法」であると思ってしまう。
世に存在する「リーダー論」は、あくまでそれを唱えた人物とその周囲の特性、状況、人間性など、多様な条件があって成立したものだと解釈した方がいいだろう。その上で、自分の資質や周囲の状況などを考慮して、使えそうなテクニックやノウハウがあれば吸収すればいい。「リーダー論」には、それくらいの気持ちで向き合う方がいいのかもしれない。
(ライター/大村佑介)