和ろうそくが生まれたのは菅原道真のおかげ?意外と壮大な和ろうそくの歴史(ハチマル)
提供: 新刊JP編集部和ろうそくが好きです。
電気が普及した現代では、活躍の機会こそ少なくなりましたが、描かれた四季折々の花や鮮やかな色づかいには目を奪われる美しさがあります。
この和ろうそくですが、実はあの歴史上の重要人物、菅原道真公が誕生に大きく関わっているのです。
今回はJCA(日本キャンドル協会)認定アーティスト兼、JGA(日本燭台協会)認定和ろうそく講師の私ハチマルが、和ろうそくの歴史について語りたいと思います。
というか、和ろうそくの歴史が思いの外すごかったから誰かに語りたい!という欲求を記事にしました。お時間がある方はお付き合いください。
和ろうそくを語る上で、まずはキャンドルについて触れなくてはなりません。
その歴史は古く、奈良時代には仏教とともに、キャンドルの原料となる蜜蝋が中国から伝わりました。当時はかなりの高級品だったようです。
ところが平安時代になると、菅原道真によって遣唐使は廃止されてしまいます。
これまでのキャンドルは作れなくなり、その代用として誕生したのが松脂ろうそくです。ハゼの実を原料とした和ろうそくが誕生したのはさらに後、室町時代のことでした。
日本の伝統工芸である和ろうそくよりも、(今で言うところの)キャンドルの方が先に使われていたというのは少し意外な気もします。
もし菅原道真が遣唐使を廃止していなければ、蜜蝋を使い続け、日本独自の和ろうそくは生まれなかったかもしれません。
和ろうそくは江戸時代に入っても高級品でした。使用できたのは武士や裕福な商人たちで、一般的な生活の灯りには獣脂や菜種油が使われていました。
ようやくハゼの生産がはじまり、庶民がろうそくを使えるようになるのは江戸時代の後期から。旅ブームが起こり、提灯とろうそくが旅の必需品となった事で大きく広まりました。
また、和ろうそくの中でも絵が描かれているものは「絵ろうそく」とよばれ、寒い地方で誕生したと言われています。仏壇に花を生けようにも、寒い地方は花がないこともしばしば。
そこで絵が描かれたろうそくは、花のかわりとして重宝されました。
和ろうそくに花の絵が多いのは、そのなごりなのです。ちなみに「和ろうそく」でイメージしがちな赤いものはお祝い用だそうです。
和ろうそくには、燃やした時ススが出にくいという特徴があります。
ススがでにくいということは、仏像などを痛めず、環境や健康にも優しいということ。ハゼの実に目をつけ、ここまで優秀なろうそくを作った先人の知恵には頭が下がるばかりなのでした。
ちなみに、遣唐使の廃止によって作られなくなっていたキャンドルの方は、輸入が再開されたのは1870年、明治時代になってから。あの三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎がパラフィンの輸入をはじめたと言われています。
そしてパラフィンで作るろうそくの普及や、ガス、電気の登場によって、和ろうそくは衰退していったのです。
ここまで和ろうそくの歴史を語りましたが、私が一番言いたいのは「和ろうそく、めっちゃかっこいいから皆もっと知って!あわよくばアロマキャンドルのように気軽に使って!」ということです。いいですよ、和ろうそく。