初対面の人にいきなり「あなた嫌い」と言われることについて
提供: 新刊JP編集部こんにちは、金井です。
偶然飲み屋のカウンターで隣に座った初対面の、見ず知らずの方からいきなり**「私、あなたのこと嫌い!」**と言われたことはありますか?
僕はあります。
えっ、でも、僕はあなたことを知らないし、あなたは僕のことを何ひとつ知らないですよね? なんでいきなりそんなことを?
という、出会い頭に殴られるような衝撃を受けることをしばしば経験します。
・電車に乗っていたら突然おじさんに殴られる(そのままです)
・出会って即**「あんたキモいねー」(髪型が悪かったらしい)
・席替えで隣になった女子が突然「金井の隣は嫌だ!」**と泣き出す(本当に嫌だったのだろう…)
「えっ、あっ」と思うのですが、そのたびに無抵抗主義を貫きます。
基本的に、日常の中で「嫌い」や「イラつく」という感情を言葉として直接ぶつけられることはそうありませんよね。
「好き」は多かれ少なかれあるのでしょうけど、面と向かって「嫌い!」と言われる機会は少ないはずです。
インフルエンサーの方がSNSでやっかみを買って言われることはありますが、僕のツイッターのフォロワーは334です(5月9日現在)。
でもね、あるんですよ。そういう機会があるんです。
なぜか負の感情を抱かれてしまう、呪詛の言葉を直接聞かされてしまう人がいるんですよ。
ただ、これは悪いことばかりでもなくて、
その度に「アハ体験」のようなものを感じています。
これはおそらく何か不思議な力があって、「お前は調子に乗るとロクなことがないのだ」と僕に伝えているのだ、と。
もう一つ、その光景をもう少し引いて見ていると、何か面白いなと思う要素が見つかるのです。
どうしても許せないのであれば一言申すなり、そこから逃げればいいわけですが、多少の「これはちょっとなあ」であればそのまま眺めているのも一つの手。
そして、それを自分の作品にしてしまえばいいのです。
先日、『ここは、おしまいの地』(太田出版刊)の著者であるこだまさんにお話をうかがった際に、このように話していました。
――「あとがき」で「転落しても、その体験を書けばいい」と書かれていますが、この考え方は強いと思います。
こだま:それはブログを続けてきてわかったことです。病気の話も、悲しいと思える話も、書いているうちに楽しくなるんですよね。それは自分の中で、「おかしな出来事」の話で終わらせたいという思いがあって。
入院も手術もつらいんですけど、その中で起きた楽しい話や変な話をどんどん書いていくと自然と楽しくなってくるんです。
同じように、向けられる呪詛のほとんどは、アウトプットすると滑稽なものに見えてくるものです。
その場面を文章で起こして、そこに逐一ツッコミを入れてみるとコントにもなりますし、フィクションを織り交ぜて書けば小説にもなります。まさに「事実は小説より奇なり」。
これまた先日お話をうかがった、町田康さんの言葉を引用しましょう。
――二編目まで出てきていた「スカ爺」という存在感のある愉快なキャラクターが、次の話では唐突に死んでいたり、ダイナミックな展開が痛快でした。こういうことは町田さんしかやらないんじゃないかと。
町田:物語であまりこういうことが起きないのは、読者がついてこれるように作者がある程度の形を作るからです。でも人が突然死ぬというのは、現実世界では結構あることですよね。
現実は納得いかないもので、時にめちゃくちゃです。「事実は小説より奇なり」という言葉は本当で、物語の方が案外その中の「現実」は整っていたりする。極端に言えば「水戸黄門」のように、悪人が弱者をいじめているのを見て、正義の味方が成敗するという話で、見ている人はすっきりするようなストーリーですが、現実はそうじゃないでしょう。
「物語」と「現実」のどちらに寄せて書くかは作者によって様々で、どれが正しくてどれが間違っているということはありませが、僕は自分の小説を自分達が生きている現実の方に近いものにしていきたいと思って書いているので、急に人が死んだりすることも時には起きるんです。
現実は到底納得できないことばかりだし、時にめちゃくちゃでもある。
だからこそ「おかしな出来事」として昇華できるのかもしれませんね。
そして有村架純さんの写真集『Clear』(集英社刊)が発売になりました! 拍手!
セブンアンドアイの通販サイトで購入すると、通常版とは違うカバーの写真集がゲットできるんですよ。
とてもいい写真集なので、ぜひチェックしてみてください。
今日の体重(5月9日計測)
身長:171.5cm
体重:69.3kg
BMI:23.6
体脂肪率20.6%