日本の証券市場の歴史を総まとめした『証券市場誕生!』 日本取引所グループに編纂の裏側を聞く(前編)
経済の象徴であり、景気不景気のバロメーターとして扱われる「株価」。
その「株価」が決まる日本の証券市場が一体どのような歴史を持っているのか、皆さんは知っていますか?
実は、世界最初の公設先物取引所は日本で誕生しました。
時は江戸時代。1730年、8代将軍徳川吉宗が大坂に堂島米会所を設立。それが世界初の公設先物取引所だったといいます。当時、堂島米会所は日本最大の米市場でしたが、現在の証券取引所が有する様々な制度と遜色ない制度を有していた取引所でもあったそう。
それから現代に至るまでの約290年の証券の歩みをまとめた『証券市場誕生!』(鹿島茂監修、集英社刊)は、まさに「証券市場の歴史」の決定版。
著者は東京証券取引所の親会社である株式会社日本取引所グループ。豊富な史料とともに、証券市場の紆余曲折を辿りながら、証券に詳しくなくても、近現代の経済の流れを学ぶことができる一冊です。
今回は本書の編纂にあたった金融リテラシーサポート部の石田慈宏さんにインタビュー。前半では書籍編纂の裏側、そして証券市場史の中に登場する「ある人物」について語って頂きます。
(取材・文:新刊JP編集部)
■構想から完成まで1年半…壮絶な編纂の裏側
――まずは石田さんがご在籍されている「日本取引所グループ」について教えていただけますか?
石田:簡単に言いますと、日本取引所グループは、東京証券取引所、大阪取引所、日本証券クリアリング機構、日本取引所自主規制法人という、証券にまつわる会社を統合して2013年に上場したグループ会社です。
おそらく、ほとんどの方は東証(東京証券取引所)や大阪証券取引所という名称は聞いたことがあると思いますが、そういった取引所や、取引に付随する機能を持つ法人をグループ化し、取り仕切っていると考えていただければ理解が早いと思います。
――有名企業の東証一部上場がニュースになったりしますが、その東証は子会社にあたるわけですね。
石田:そうですね。東証は日本取引所グループの中の一つの証券取引所になります。
――日本取引所グループは証券市場を仕切る存在ですが、そんな日本取引所グループが証券市場の歴史を一冊の本にまとめました。これはどういう意図を持って?
石田:私が所属する金融リテラシーサポート部が中心になってこの本の編纂にあたったのですが、その目的は投資家のすそ野の拡大です。
――もっと多くの方に投資に目を向けてほしいと。
石田:そういうことです。ただ、投資は慣れていない人から見れば、敷居の高いものであるのも事実です。若年層はもちろんですが、実際にシニア層、ミドル層でもおそらく半分以上の方は証券取引と無関係の生活をおくっています。
そういう人たちに投資に興味を持ってもらうにはどうすればいいか。真正面からアプローチをしても、振り向いてはもらえないでしょう。そう考えたときに、「歴史」という側面から証券市場について知ってもらうといいのではないかと思ったんです。
2018年には東京株式取引所が兜町に設立されてから140周年を迎えますが、その前身をさかのぼると江戸時代に行き着きます。日本の近世から近代、そして現代に至る流れの中で、経済の中心がどのように変化してきたのか。それを追いかける本にすれば、一般の方にもとっつきやすい内容になると考えたんですね。
実はもともと小説仕立てにするつもりだったのですが、史料の点数であったり、東証の親会社が出す本ということもあり、内容の精緻さが大切になるので、そう書くのは諦めたエピソードもあります(笑)。
――読んでみると、この一冊で近代経済史をおさらいできてしまいますよね。まずは世界最初の公設先物取引所が、徳川吉宗が設立した堂島米会所だったというのは驚きでした。
石田:その話をこういった一般書で書いたのは初めてではないかと思います。これまで多くの研究者が堂島米市場のことを論文などで書いていましたし、私たちの間でもそれは公然の事実として扱われていましたが、こういう本においては書かれなかった。
というのも、経済学を専門とされている先生方は、堂島米会所は米という商品の市場であって、金融の機能がそこにあったということにあまり触れないんです。そこで私たち実務家側が論文を読み込んでいくことで、「どうやら実際に金融市場として機能していた」ということが分かり、一般書の中に初めて書いたということです。
――この本の編纂作業はかなり時間がかかったのでは?
石田:構想から1年半ですか。実は半年前に出版する予定で進めていたのですが、正確性が大事なので専門家から何度もチェックを受け、ほとんど書き換えの指示が入ることもありました。
――どういうところでNGが出たのですか?
石田:もともとは、金融市場は日本で3回「誕生」している、つまり、3度の節目があったというものをコンセプトにしていたんです。江戸時代の堂島米会所、明治初期の東京株式取引所、そして戦後の東京証券取引所という3つの「誕生」ですね。
ところが、ほとんど書き上げたところで、堂島米会所の誕生とその後の2つの証券市場の誕生は、学問的に連続した事象であると言い難いという指摘が入りました。「3度の誕生」と言うには、それらがすべて連続していないといけません。
――コンセプトを揺るがす重大な指摘ですよね。でも日本取引所グループ名義で書く本ですから、配慮が必要と。
石田:難しかったです。まずは正しい情報を出していくことが大事ですからね。でも、先ほど言ったように、もともとは小説仕立てで書きたいと思っていたので(笑)、この本を読んで、誰かが小説にしてくれると嬉しいです。
――約300年の証券市場史を振り返ると、さまざまな人物が出てきます。例えば日本資本主義の父として知られ、東京株式取引所の設立者の一人でもある渋沢栄一は、やはりその歴史の中心にいるわけですが、石田さんが気になった人物はいますか?
石田:これは断トツで「糸平」、田中平八ですね。江戸末期から明治初期に活躍した相場師です。実は、糸平についてはあまり詳しい資料が残っていなくて、ただいろいろな場所に名前が出てくる。
一緒にこの本の編纂をしていた仲間が最初に糸平の資料を持って来た時、私は「この人物は調べる必要がないな」と思ったんです。ただ、その後、いろいろな人の関わりの中で「糸平」という存在が出てくる。また、研究者や専門家に話を聞いてもやはりみんな「糸平」を知っている。
特に東京株式取引所の設立間もなくの頃を調べていると、ありとあらゆる人脈がこの「糸平」に結び付いていることを知って、恐れ入りました。
――「糸平」とは一体どんな人物なんでしょうか。
石田:まさに日本の近代的資本主義をつくり上げた一人ですね。今で言うと、日本で最も早くビットコイン投資をはじめた人と例えられるかもしれません。
――すごく分かりやすい例ですね。
石田:本当にそんな感覚なんです。もう一人、当時のキーパーソンとして今村清之助という人物もいるんですが、彼も含めて今、ICO(Initial Coin Offering)をやっている人たちと非常によく似ている。公債の売買が始まると真っ先に手を出していますし、今の日本にはあまりいないタイプでしょうね。 そういう人たちが私たちの市場を作ってきたという事実は、伝えておかないといけないと思っています。
(後編に続く)