マンガ家デビュー作『大家さんと僕』が大ヒット! カラテカ・矢部を導いた“大恩人”って?
出版業界の最重要人物にフォーカスする**『ベストセラーズインタビュー』**。
第94回の今回は、各方面から絶賛の声があがっているコミックエッセイ『大家さんと僕』(新潮社刊)で話題を呼んでいる矢部太郎さんの登場です。
矢部さんといえば、1997年高校時代の友人である入江慎也さんとお笑いコンビ「カラテカ」を結成。日本テレビ系「進ぬ!電波少年」をはじめ、バラエティ番組などを中心に活躍されてきました。
そんな矢部さんが今回書き上げたのは、88歳になる大家さんとの日常を描いたマンガ。家族でも恋人でも友達でもない、「大家と入居者」の関係なのに、お茶をしたり、電話したり、一緒に鹿児島旅行をしたり。のんびり、ほっこりしつつ、ちょっと可笑しな毎日が、柔らかな絵柄で書かれています。
矢部さんが驚いた大家さんのエピソード、2人の関係の強さをうかがわせるお話、そして矢部さん自身の読書歴まで、幅広くお話をうかがいました。
(インタビュー:ASUKA、金井元貴、記事・撮影:金井元貴)
■18万部という大ヒットを予見していた大恩人に「申し訳ない」
――この『大家さんと僕』はもともと文芸誌の『小説新潮』で連載されていましたが、どのようなきっかけで連載が決まったのですか?
矢部:僕が今の大家さんの家に引っ越したのは8年前になるんですが、これがすごく変わった物件で、一軒家で1階に大家さん、2階に僕が住んでいるんです。もともと二世帯住宅だったそうで、玄関はそれぞれ違うのですが、大家さんとの距離はすごく近いし、仲良くさせていただいているんですね。
それである日、京王プラザホテルでお茶をしているときに、たまたま仕事でご一緒したことがあった漫画原作者の倉科遼先生にお会いしたんです。挨拶をしに行ったところ「矢部君はおばあちゃん孝行だね」と言われたので、「実はおばあちゃんではなく、大家さんなんです」と言ったら、すごく興味を示してくれて。
――倉科遼さんといえば『夜王』や『女帝』シリーズの原作者で、ヒットメーカーですよね。その方に興味を持ってもらえた。
矢部:そうなんです。「都会の孤独な青年と孤独な老人が出会い、お茶をして、他にどんなことがあったの?」と聞かれ、旅行をしましたと言ったら、「それはロードムービーを作ろう!」ってどんどん発想が膨らんでいくんですよ(笑)。で、「矢部君、原案を出してくれ」と。
――それはかなりの展開の早さですね(笑)
矢部:早いですよね。ただ、原案を出しと言われても急には難しいので、4ページくらいのマンガを描いてみたんですね。それを倉科さんに見せたら、「これはすごく良い!ロードムービーではなく、マンガで行こう!」と、さらに展開が変わりまして。 20ページくらい書いたタイミングで、倉科さんがマネージャーを通して、よしもとの出版部の人にかけ合ってくれたんです。倉科さんは文化人としてよしもとに所属されているので。
――では、連載が始まったのは倉科さんのおかげなんですね。
矢部:まさにそうなんです。それをまず伝えたいです。僕だったら、よしもとにかけ合っても多分動いてもらうまで、時間かかっていたと思います。そこから新潮社さんと一緒にやることになったのですが、倉科さんは「どこも出してくれなかったら俺が自費出版で出すから」と言って下さっていて、ありがたかったです。
――すごい惚れ込みようですね。
矢部:本当にそうですよね。「今まで稼いだお金があるから」と言われて。ただ、『小説新潮』での連載が決まってから、作品が倉科さんと離れてしまったので、申し訳ない気持ちがあります。あれだけ倉科さんが面倒みてくださったのに、僕一人の手柄のように思われているのは心苦しいです。倉科さんには本当に感謝しています。
――『小説新潮』というと、創刊70年を迎える伝統ある文芸誌ですよね。連載が始まったときの気持ちは?
矢部:笑ってしまいました。西村京太郎さん、椎名誠さん…すごいところに自分の名前が並んでいて恐れ多いですし、変な違和感がありましたね。大家さんにもお見せしたのですが、もちろん新潮社は昔から知っていて、「矢部さん、ちゃんとしたお仕事をできるようになったのね」と声をかけていただきました。
――もともとマンガは描いていたのですか?
矢部:全く経験がなくて。ただ、イラストは描いていました。入江君のピンネタで使うイラストですとか、先輩の舞台のチラシとかも毎年描いています。入江君のネタのイラストは「合コンでこの女はいける」みたいなかなりのゲスさなので、絵でポップにしたいと言うことで。
――マンガ家デビュー作で18万部。これだけヒットするということは、滑り出し快調ですね。
矢部:でも、これがマックスなんじゃないかという不安はあります。誰もここまで読まれるとは思っていなかったのではないかと。
――そんなことはないと思いますよ!
矢部:いやいやいや、倉科さんしか「このマンガは売れる!」と思ってなかったと思います(笑)!
■「ごきげんよう」を使いこなす家系。大家さんの不思議に迫る
――今現在も大家さんの家にお住まいなんですか?
矢部:はい、今も住んでいます。
――もう8年もお住まいになっているということで、長いですよね。なぜこの家に住もうと思われたのですか? 他にも物件はあったと思いますが…。
矢部:実はそのとき、この家しか見ていないんですよ。ご紹介を受けて、直感的に「ここがいい」と思ったというか。前に住んでいたマンションの大家さんに「もう更新しないでね」と言われたのが、更新の一か月前だったので。
――本の中にもあった、テレビのロケでよく使われていた家ですね。
矢部:そうです。「電波少年」のTプロデューサーがやっていた深夜番組で、僕もレギュラーで出させていただいていたんですが、僕の家がスタジオ化していて、突然霊媒師が来たり、家の住所を使ってワンクリック詐欺にわざと引っ掛かってみたり、部屋が部屋じゃない感じになっていたんです。
でも、深夜だし大家さんには見られないだろうと思っていたら、見事に見られまして。それで慌てて探し始めたときに出会った物件が今の家です。
――大家さんとの距離が近いというか、出かけている間に雨が降って大家さんが代わりに洗濯ものを入れてくれるとか、普通のマンションに住んでいるとまず起きないことですよね。
矢部:そのエピソードも、言うなれば不法侵入ですからね。マンガではホラーな出来事みたいな演出していますけど(笑)。
――そんな大家さんと仲良くしていけるかなと思ったきっかけはなんだったのですか?
矢部:実は最初は仲良くできないかなと思っていたんです。芸人の先輩にも「ちょっと家選び失敗しちゃったかもしれません」と相談していたくらいで。
でも、大家さんの行動って、すべて僕を思ってやってくれていて、ゴミ出しで注意されたときも、迷惑だという言い方ではなくて、矢部さんがご近所さんから悪く思われるかもしれないから、きちんと出した方がいいと思いますよ、という言い方なんです。
今ではお茶するのも普通ですけど、最初は断っていたんですよ。でも一回くらいは行ってもいいかなと思ってお話してみたら、すごく素敵な方だと分かって興味を抱きましたね。
――「ごきげんよう」と挨拶したり、かなり上品な方ですよね。今まで周囲にこういう方っていましたか?
矢部:いやー、いないですね。素で「ごきげんよう」なんて挨拶されたことなかったです。大家さんのご親戚の方も「ごきげんよう」と挨拶されていました。家系がもう上品なんでしょうね。
――それはすごいですね! 高貴な家系というか。
矢部:そうなんでしょうね。初めて大家さんの家でお茶をしたときに、何か話のネタはないかと周囲を見渡していたら本が置いてあって、これを糸口に話してみようと思って手に取ってみたら、タイトルが『〈華族爵位〉請願人名辞典』だったんです。
――どんな本なんですか?
矢部:爵位を欲しがった人の名前と、爵位が取れなかった理由が明記されている本です。
――そんな本あるんですか(笑)!
矢部:あるんですよ。これは丸っきり僕と住む世界が違うと思いました。そこに置いてあったということは、僕が来るまで読んでいたということですから。それで近所を散歩していると「実はここの人もね、爵位が取れなかったの」と教えてくれるんです。
――内容を覚えているわけですよね。
矢部:そうなんです。多分、ご近所さんが出てくる本なんでしょうね。時代も世界も全てが違うように感じました。
――大家さんはお茶目で、わりと強引なところもありますよね。矢部さんが大家さんのペースに乗せられていく様子は読んでいて笑ってしまいました。
矢部:すごく自然な方で、ご自分のペースがありますよね。「こういうものでしょ」と言われたら僕もこういうものなんだと麻痺してくるというか。お部屋をお借りしてるのだからお茶くらいしますし、お茶するのだからお食事しますし、お食事したのだから鹿児島に泊まりで旅行にも行きますよね、と。
――乗せられてますね。一緒に食事に行くと1回につき4時間くらいかかると書かれていましたが、どんな話をするんですか?
矢部:本当にいろいろです。テレビや本の話から、恋話も。「矢部さんはいい人いないの?」と聞かれたり。そのときは友達みたいな感覚です。
――年齢差が気になることはあまりないんじゃないですか?
矢部:いや、それはありますよ(笑)。話をしていると自然に戦争の話になりますからね。昨日撮影の仕事で上野に行ったんですと言ったら、「私は玉音放送を上野の駅の改札で聞いたの」と言われたり。ナチュラルに戦争の話を突っ込んできます。まあ会話なんてそういうものなのかもしれませんけどね。
矢部さんの読書歴に迫る後編は12月31日配信予定!