「文学的失語」に見舞われた芥川賞作家 6年ぶりの新作を語る(1)
作家は、大きく分けて2種類いる。
速ければ年に数作ものペースで新作を量産できるタイプと、一つの作品を仕上げるのに長い時間を要する寡作なタイプである。
8月に『岩塩の女王』(新潮社刊)を刊行した諏訪哲史さんはまちがいなく後者。2007年に『アサッテの人』で群像新人文学賞と芥川賞を受賞し、華々しくデビューした諏訪さんだが、前作『領土』を2011年に刊行して以降、実に6年もの間、小説の発表がなかった。
この「沈黙の6年」をどのように過ごし、新作『岩塩の女王』を書き上げたのか。諏訪哲史、新刊JPにも6年ぶりの登場である。(インタビュー・記事/山田洋介)
――まずお聞きしたいのは、諏訪さんが陥っていたという「文学的失語」についてです。前作『領土』を書いた後、小説の言葉がまったく出てこなくなってしまったそうですが、これはどういう状態だったのでしょうか。当時のインタビューでは語られなかったことだけに驚きでした。
諏訪:『領土』が出た時、僕自身はこれからも書ける、とやる気満々でした。ただ、当時のインタビューで「次は恋愛小説の長編を書きたい」と話したと思うのですが、取りかかってみるとこれがまったくうまくいかなかったんです。
書けないかというとそんなことはなくて、初めはどんどん書けて一時は300枚近くにもなったのですが、どの時点で読み返しても納得がいかない。しかもどんどん悪く見えてくる。今回の本に収録されている「無声抄」という作品の中に、何百枚も書いた長編小説に納得がいかず、そこまで書いたものを「全選択」してデリート(消去)してはまた元に戻すという自虐行為を繰り返す小説家が出てくるのですが、当時の僕そのものです。
――「次は自分らしくない恋愛小説を」とおっしゃっていたのはよく覚えています。しかし、何年にもわたって書けないというのは大ごとですね。
諏訪:そうですね。結局その作品はみずから発表を断念したのですが、そのショックが大きくて「自分もここまでか」と思うようになってしまったんです。僕は十年以上前に双極性障害になってから、自己同一性や文体的な「自分性」が年を経るごとにとらえられなくなってきました。あとがきのとおりで、自分の「身体」「文体」が長く統一できないのです。
それで、長編小説はどうも書けそうにないと思って一度リセットし、何でもいいから書いてみようとしたのですが、その頃にはもうどんな言葉を書けば小説の言葉になるのかがわからなくなっていました。当時、中日新聞で「偏愛蔵書室」という文芸批評の連載を持っていたのですが、批評のように他人の書いたものを読んで所感を述べることはできるんです。でもまっさらな白紙を前に自分で何かを作り出すとなると、まったく言葉が出てこない。
僕は吃音があったり、若い頃に精神的に失語になったりしたこともあって、「言葉の不能者」とりわけ「声の不能者」という意識が昔からありました。デビューして4年くらいは思い出すことが少なかったのですが、小説が書けなくなってしまったことによって、その苦しい意識がまた自分に浸透してきた感覚がありました。
「恋愛小説」という、自分にテーマを課す形で書き始めた作品が書けず、何でもいいから書いてみようとしても書けない。それはもう、自分の中に小説の言葉がなくなってしまったということだと。それを認めるのが怖くて、本を読んでは批評の連載の原稿を書いて、というのを結局4年以上も続けてしまいました。
――どうやってその状態から脱出したのでしょうか。
諏訪:「偏愛蔵書室」の連載も4年2か月で自ら区切って、他に講演や大学の仕事からも離れ、その時やっていた兼業を一旦やめて、とにかく小説を書くしかない状況を作りました。
それで、一人ぼっちの人間が、言葉を話さない生活を送りながらも、いつか目の前に自分が話すべき言葉が出現するんじゃないかと何とはなしに待っているという話を書こうとしました。つまり、その時の自分の状態を素直に書くことが、自分の取り戻し方だろうと考えたわけです。
それが先ほどの「無声抄」の筋立てなのですが、それを何とか書くことができたことで、文体というものがまだ自分に残っていたんだということを二次的にではあれ確かめることができました。
僕はデビューから「文学の不可能」や「言葉の不可能」を小説内で考え抜くというのを自分で宿命としてきたところがあります。その意味でも、「無声抄」で「書けないこと」をモチーフに書けたことは、僕にとって再起への自信になったんです。
――この作品集には、今お話に出た「無声抄」をはじめ六編の作品が収められています。どの作品にも「声」や「音」、「耳」といった聴覚を連想させるワードが散りばめられていますが、これは諏訪さんが経験した「文学的失語」とも関係があるのでしょうか。
諏訪:大いにあると思います。文学には、文字という視覚的な面と、声や音という聴覚的な面があります。
小説は一般的に、視覚的な側面をこだわって使いながら読者に何かを訴えかけていくのだと思いますが、自分にとっては聴覚的な側面、それは文字、いや「意味」に抑圧された野生の声の魔術的な力とでもいうものですが、それが文章の平板さを突き上げ、揺るがす気がするんです。特にこの作品集を書き始めた頃の自分には「声の力」あるいは「謡いの力」が重要でした。具体的にいえば、文体や呼吸、その韻律の命じるまま従おうということです。
いま指摘された点というのは、実は書いている時は自覚していなくて、気がつけばそういう話になっていたのですが、無意識に声だとか音だとか、耳で聞くということが自分の課題なんだなということを感じていたのかもしれません。
――思えばデビュー作の『アサッテの人』から、一貫して諏訪さんは文学の聴覚的な面に光を当ててきました。
諏訪:本当にそうなってしまっていますね。だから、この作品でそういう自分に戻ってこられたのかなという気はしています。
ただ、デビュー作を書いた20代後半の頃は、音や聴覚にこだわりながらも、それらの概念だけを捕まえて、理性や理知によって思弁的に語って征服してやろうという「驕り」がありました。つまり、音や聴覚を「頭」で書いていたようなきらいがあります。『アサッテの人』は、そういうタイプの語り手「私」に、登場人物の「おじさん」が作中から抵抗して「そうじゃない。大事なのは音そのものなんだよ」と訴えてくる話でした。
次に書いた『りすん』もやはり「文字」が「声」から抵抗される話ですが、まだつたない。その次の『領土』でようやく自分が「おじさん」の立場にくることができたと思いました。音や音楽のことを小説の中で考えるのではなくて、小説そのもので音を奏でるという「実践」の方に行けた。今回の六編も、自分にとっては確固たる「実践」になりました。
――しかし、「音」や「耳」といったイメージは通底していても、それぞれの作品の風合いはまったく異なります。作品集に統一感が出るのを意識的に避けているようにも思えました。
諏訪:あるコンセプトで統一するのが短編集だとは思うのですが、少なくともここ数年の自分にはそれができなかったんです。あとがきで「乱数的」という言葉を使って、あえてバラバラに、それぞれの作品が等距離に散らばるようにしたということを書いたのですが、苦し紛れの部分も正直あります(笑)。
――確かに美しい「散らばり方」です。文体にしても各作品でまるで違います。
諏訪:そう言っていただけると嬉しいです。文体については、自分の中にあるものというよりは、そのとき読んでいたものに影響されたところもあります。
たとえば、「修那羅(しょなら)」という作品を書いていた時は、昔から好きな幸田露伴と泉鏡花を読んでいたので、なんとはなしに擬古文調を踏んだような文体になっています。もちろん、完全に踏襲しているわけではなく、自分の呼吸や歩幅で書いているので、味わいはけっこう異なっているかもしれません。
――「幻聴譜」などは、言葉が溢れ出していて、「小説の言葉がなくなった」という状態だったのが信じられないほどです。
諏訪:「幻聴譜」は小説というよりは散文詩に近いかもしれません。「目で聴く」というと変ですけど、とにかく音になってさえいれば、リズムさえ踏んでいれば、何が書かれてもいいという感じで自動筆記(オートマティスム)のように自由に書きました。
段落替えもそうですし、一行空けのタイミングもすべて「紙の上で音楽を奏でる」ということを意識しています。読んでもらったり見てもらうのも大切ですけど、それ以上に聴いてもらうという作品にしたかったんです。この点、表題作の「岩塩の女王」も同じです。
――「ある平衡」は一見、諏訪さんらしくない「普通の小説」と思いきや、やはり途中からおかしくなっていく。
諏訪:そうなんです。「恋愛小説」に4年以上費やしたあげく完成させられなかったので、「何とかちょっとでも普通な小説を試みたことにしたい」という気持ちがあって、比較的オーソドックスなものを、というつもりで書きましたが、やはりといいますか、途中から狂気が侵入してきてしまいました。たぶん健康的な世界に耐えられないんです。
僕は片岡義男さんが昔から好きで、普通の女性が出てきて、普通に生活して恋をして一日が終わるっていう普通の話が憧れでもあったのですが、自分でそれを書こうとしてもどうしてもできないんです。でもまたいつか懲りずに挑戦したいです(笑)。
――書いていて自分で気持ち悪くなってくるんですか?
諏訪:落ち着かなくなってくるんですよね。世界が健全だと、それこそ逆に平衡がとれない。僕自身、普通の生活をして幸せになりたい人間なのですが、どういうわけかそれがなかなかうまくいかず、突然自殺を思い立ってすぐやめたりとか、まったく安定しません。
「ある平衡」では、一見普通の結婚生活を送っている夫婦が出てくるのですが、やはり書いていると自分自身のことを思い出しますし、そうなると「このまま穏やかに終わるのはウソだ」という気持ちになってしまう(笑)。
――「蝸牛邸」は、終始「渦巻」のイメージがつきまといます。ある種偏執的なものを感じました。
諏訪:この作品では、やはり聴覚を大事にしながらも、渦巻や螺旋へのオブセッションを視覚的に書きたいというのがありました。
マイマイカブリがカタツムリの中に頭を突っ込んでその肉を食べる場面もそうですし、主人公の津由子の家の構造もそう、それが津由子自身の中耳や内耳の構造に接続されて螺旋迷宮の幻想譚に仕立てました。
津由子が聴くレコードが印象に残るよう度々出てきますが、レコードという意匠も曲が進むにつれて針が中心に近づく、言ってみれば渦巻ですし、そのレコードはグレン・ミラーという指揮者でトロンボーン奏者の作品で、トロンボーンもホルンやチューバほどではありませんが、カタツムリの殻に似た形状、いくつかのカーブを持つ螺旋といえます。
螺旋は、中心に行けばいくほど細く窮屈になっています。養祖父がなくなって、奥嵯峨の邸で一人ぼっちになった津由子は、生活や人生に追い詰められ、カタツムリが殻にこもるように、渦巻状の構造になった家の中心にある坪庭の蔵を開きます。その部屋にあった赤染衛門の家集を読みながら毎夜、養祖父の思い出に浸るのですが、その追憶が極まって、うたた寝のさなかに養祖父の幻想を見たとき、彼女は自分の最奥、つまり螺旋の一番内側に来たと感じる。
そこからは、螺旋を逆にたどるように、津由子は外にひらけて浮かび上がってゆくことがほのめかされています。だから、作品の構造も渦巻型なんです。