【「本が好き!」レビュー】『牛車で行こう!: 平安貴族と乗り物文化』京樂 真帆子著
提供: 本が好き!源氏物語を始め平安時代の古典を読むときに、必ず出てくる乗り物が「牛車」です。
Eテレのアニメ・おじゃる丸を始め、アラフォー世代では「うる星やつら』面堂終太郎の妹・了子や母の乗る乗り物として、今でも、「やんごとなき身分」を表すアイコンとして使われています。
そんな牛車ですが、実際にどのように使われていたのかを現代人に知らしめてくれるのが本書。藤原実資の『小右記』、藤原道長『御堂関白記』などのほか、源氏物語や枕草子、蜻蛉日記なども駆使して実像に迫っています。
貴族の男性というと、牛車にのってひ弱なイメージがありますが、道長の子で摂政関白を務めた頼道などは郊外の別荘まで馬に乗って出かけていますし、道長も比叡山の山道を馬で登ろうとしています。源氏物語でも、貴公子たちが馬に乗っているシーンはたくさんあります。
また、神社仏閣に参詣するとき(特に行き)は歩いていきます。さらに、大内裏内は、原則、牛車乗り入れ禁止であり、徒歩が求められていたのです。
では、牛車はどんなときに使ったのでしょう。
宮中に参内するときや都の中の移動など公式・公衆の目が明確な場合は、牛車を使うようです。もともとは体の弱い体の女性や子供の使用から男社会へと広がったようです。
さて、牛車といっても格差は明確です。
1 唐車:唐庇のついている牛車。太上天皇、皇后、摂政・関白のみ使用可能。
2 檳榔毛車:檳榔の糸で車体全体が編まれたもの。四位以上の大臣、大納言、中納言といった公卿のみ使用可。
3 糸毛車:車全体が糸毛で覆われているもの。中宮、東宮、女御などが使用
4 網代車:檜皮や竹で編んだもの。貴族の一般牛車。
源氏物語の「葵」で、六条御息所が賀茂祭の御禊に自分の身分を隠すために乗ってきたのが4の網代車。一方の左大臣家・葵の上は、明確には書かれていませんが、2や3をつられてやってきたことが想定できます。檳榔毛車といって、権力者が自らの力を誇示する上で、他家から借りてきてでも行列を連ねることがよくあったそうです。
あえて使い慣れたような古い網代車2台の六条御息所に対し、堂々とやってきた檳榔毛車の車列の葵の上。中古のフィットクラス2台とと多数の黒塗りベンツSクラスぐらいの勝負では、結果は最初から見えていたのでしょう。
ところで、牛車は、後ろ乗りの前降り。だからこそ、車寄せすれば、建物から直接乗ることもできるわけです。光源氏が建物の軒から乗っていくさまは,さぞ見事だったでしょうね。さらに乗り間違えると
木曽義仲のように笑いものにされます。牛車への乗車、着順、移動、降車の実際からマナーまですべて網羅されています。
さて、牛車はお金がかかります。まず、車自体も高級ですし、そもそも2の枇榔なんて古くは完全輸入。その後も九州や瀬戸内海の貢物として京へ送られていましたが、年々供給量が減少。実際、数百年使われているビンテージ物の牛車というのも記録に残されています。また、もちろん、牛を飼うだけでなく、牛飼いなども雇う必要があります。まさにステータス。
そんな金のかかる牛車ですから、貴族社会の衰退とともに、急速に牛車文化は衰退し、中世にはあきらかに「輿」へと変容します。そして、当時、実際に使わていた牛車は1台も現存していません。
もはや本物の牛車など現存せず、文書だけの牛車を絵巻物や文書を紐解いて、再現しようとしたのが,寛政の改革で有名な松平定信。今の使われる国語資料などの牛車絵図面は、実は彼が残したものなのです。図書館もインターネットもないなかで、有職故実や絵巻物を駆使して、よくぞここまで研究されたと思います。
源氏物語をはじめ古典を読む視点が変わる1冊です。
(レビュー:祐太郎)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」