【「本が好き!」レビュー】『八つの小鍋―村田喜代子傑作短篇集』村田喜代子著
提供: 本が好き!デビュー30周年を機に刊行された村田喜代子の「八つの小鍋」の文庫版。芥川賞受賞作「鍋の中」を手はじめに、女流文学賞「白い山」、平林たい子賞「真夜中の自転車」、紫式部賞「蟹女」、川端康成賞「望潮」など、全8編から成る名作ばかりを集める。
郷土の作家であり、素晴らしい読書体験をもたらしてくれる作家でもあることから、他のレビュアーさんに猛烈にプッシュしときながら、私は一冊もアップしてないお粗末な状態が続いた。「これではいけない」と、本書を再読してみることにした。
村田喜代子の小説を読むと、試技を開始してから宙を舞い、ひらりと地上に着地するまでのハイジャンパーの一連の動作が脳裏によみがえってくる。
深く吸い込んだ呼吸を任意の一点でとめ、弧を描くように上体を反らせ後方へ重心を移す。反動を利用してゆっくりとスタートを切ると、前方へ傾いだ上体を起こして次第に推進力を高める。バーとの距離をはかりながら、加速分の力を片足で受けとめ地面を一気に蹴りあげ垂直方向の力へと変える。伸びあがるように上体をひねり、バーの上方へと背中をすべり込ませると、重力に抗った体が軽々と宙を舞い、はらりと地上へ舞い降りる。
助走から踏み切り、そしてジャンプと、ジャンパーの淀みないモーションがまざまざと眼前に浮かんでくるのだ。これは読み手をゆっくりと小説世界へ誘うためのそろりとした書き出し、前後の文脈からは思いもつかない踏み切りを遂げるワンシーンや文の一節、加速分の力で一気に跳躍するクライマックスに、それぞれが対応している。
老婆の五体に消え去りがたい海潮が共鳴する「望潮」の書き出しも、鍋に入った味噌汁のなかに、人間の手足や動物、土地の光景がやすやすとひとつに溶け合うワンシーンのある「鍋の中」も、放尿した後のような開放感あふれるラストを迎える「百のトイレ」も、いずれにも共通して言えることだ。
各作品に顔を見せる老いや重力からの解放(飛翔や浮遊)といったその主調を見るにつけ、ひとつ私には思うところがある。村田喜代子という作家は、死の世界の側から世を瞠っているのではないか、ということである。いま作者の「八幡炎炎記」を読んでいるが、いまだ助走段階にあるこの小説が、これから先にどんな跳躍を見せてくれるか、楽しみでならない。
(レビュー:mono sashi)
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