狂気と無垢を見つめる作家・坂口恭平 最新作『しみ』に広がる純粋な青春を語る
「坂口恭平」という人について、一言で説明するのはおそらく不可能だ。書き手、建築家、踊り手、歌い手、話し手、絵描き、冒険家、芸術家、フィールドワーカー、「新政府初代内閣総理大臣」という肩書きもある。
また、坂口さんの携帯電話番号は晒されていて、いつでも電話をかけることができる。この取り組みは「新政府いのっちの電話」といい、自殺者0を目標に希死念慮に苦しむ人たちとの対話を続けている。
坂口さんがやっていることは、「坂口恭平」である。何にもカテゴライズできず、表現の世界を縦横無尽に動き回っているのだ。
そんな坂口さんに自身の本について話を聞くと、「だったんでしょうね」という言い回しをよく使う。自分が書いたものについて語っているはずなのに、まるで自分とは別の書き手が書いたかのような――もっと言えば、自分を切り離しているような言い方をするのだ。
目の前を通り過ぎていった空間を、今の視点で落とし込む。その連続する時間は言葉によって再構築され、ストーリーとはまた違う趣を持った文学が広がる。「傑作青春小説」と銘打たれた最新刊の『しみ』(毎日新聞出版刊)は、唯一無二だ。
主人公は21歳の貧乏学生・マリオ。そして、もう一人の主人公「シミ」は八王子に住み、ネズミ色のオンボロポルシェを乗り回す。死の匂いがする湖畔をさまよいながらヒッチハイクをしていたマリオを、あからさまに不審な男・シミが拾う。そんなところから『しみ』の時間は始まる。
マリオが出会う“8人の王子たち”。彼らとマリオの日々はまさに冒険ともいえる高揚感をもたらす。「21歳の頃の自分が体験した記憶を、今の自分の視点で言葉に落とした」という坂口さんに『しみ』についてお話を聞いた。
(取材・文/金井元貴)
■坂口恭平の考える「青春」は、すべての大人の中にある「あぶく」
――『しみ』の主人公であるマリオは、21歳の頃の坂口さんがモデルとなっているそうです。
坂口:そうですね。マリオという名前も、他の小説で書いているけれど、僕が元々付けられる名前で、漢字で書くと「真理夫」になります。でも、生まれるときに母ちゃんが却下して「恭平」になったんです。
――マリオは「シミ」に導かれながら冒険ともいえる体験をします。本作は私小説なのでしょうか。
坂口:私小説とは少し違う感じにしています。どうしても(21歳の頃の自分を描いたというと)私小説と思われてしまうけれど、この話は僕の中では過去の話ではないんですよね。21歳当時の自分が感じていた、言葉にできないけれども何ともいえない感情があるじゃないですか。何ともいいようがない感覚というか。
具体的に言葉に落とせと言われると困るんですけど、何かちょっと変とか、ちょっと違うとか、僕の行動の根源となっているもの。その「何か」に関してすごく書きたがっているんでしょうね。
――言葉に落としにくい「何か」ですか。
坂口:そう、何かを感じるというか。『独立国家のつくりかた』で書いた独立国の話もそうです。土地を所有するのはおかしくないかという話も、法律的にという話ではなく、「何か」おかしくないか?という感覚がある。
その「何か」というのを、今まではある程度分かりやすいトピックを通しながら、自分の中でバランスを測っていたんです。でも、小説のようなものを書き始めてから、自分が知覚している世界をダイレクトに説明できるようになっていて、先鋭化しているから、「何か」を書くためにこういう方法論もあるんだと思うんですね。
――知覚をダイレクトに説明できるようになっているとおっしゃいましたが、『しみ』の世界は、空間が固定されているのではなく自在に伸び縮みする感覚がありました。
坂口:記憶の中の空間を書いているけれど、僕がそれを日常的に感じているからでしょうね。
これは音楽と逆で、気になった音楽があって家に帰ってから調べてゆっくり聴くと、全然曲の感じ方が変わります。周波数がカットされてしまった感覚があるんです。
一方で記憶は振り返る度に広がっている。その時には実際に経験していないことまで含まれちゃっている。それは何なのか分からないけれど、そういうことを考えているんでしょうね。僕が今見ている知覚に記憶を近づけることをずっとしている。
――この作品は青春小説として銘打たれていますが、坂口さんは「青春」をどう捉えますか?
坂口:あぶくとなって体の中にあるものですね。その時感じた「何か」について周波数をカットしたくない。
「いのっちの電話」をやっていると、「死にたいです」って電話かけてくる人がいるんです。そこで「今は何がしたい?」と聞くと、今まで誰にも言ったことがないと前置きした上で、「泥んこになって遊びたい」と言うわけです。だから「泥んこになって遊んじゃいけないと思ってるでしょ?」と聞いて、とにかく遊べ、と。プレーパークとかに行けば、良いお兄ちゃんとして子どもと一緒に泥んこになって遊べるから。
もしかしたら、そこで注意されるかもしれないけど、もし注意されたらその人の連絡先を聞いて俺につなげと言うんです。そういう一対一の対話を経て、泥遊びすればいいということに気付いていく。
泥んこになって遊びたいことも、いまだ体の中にある「あぶく」でしょ。僕はそれが青春だと思っているんです。それで大人になったらもうできないと思っている。でもそれが残っているわけです。
青春はもう過ぎ去ったものだと思っている人も多いけど、今でも体の中にある「あぶく」が青春なんですよね。
――なるほど。青春は常に体の中に残っている。
坂口:ただ、それについて対話する場所もないし、言葉にもならない。本では言葉に落ちていたりするけど、それだけでは足りないと思っています。だから「いのっちの電話」もするし、歌も歌うし、空間で実験してみるし、絵を描く。でもまだ何か違う。だから全部やらなきゃいけないんでしょうね。
――そういう「もやもや」は誰しもが抱えていると思いますよね。
坂口:「もやもや」があるってことは、芽が出ているってことなんですよ。もう摘んでしまったはずだけど、摘み忘れてしまった芽があって、僕はそこに勝手に水をあげてしまう。
――「いのっちの電話」はまさに水やり行為です。
坂口:そうそう。その水やり行為をやりたいんですよね。「いのっちの電話」で聞こえる声は精霊の声だと思っていて、誰かのSOSの声ではないと思っているんですよ。いきなり「これは誰にも言ったことがないんですが」と言って、話をしてくる。これ、すごいことですよね。
――確かに、電話を通してその人と坂口さんしか知らない秘密が生まれるのはすごいです。
坂口:そうそう。その人は一番言葉にしたいことを受けているけれど、彼がヘルプしている感じがしないんですよ。精霊がフィールドワークをしているというか、自分の感覚世界にあるものを出す感じですよね。
■3歳児でも、4歳児でも先輩という感覚がある
――『しみ』の主人公であるマリオはとんでもなく無垢な人だと思います。
坂口:言われるがままに動きますからね(笑)
――そして世界をほとんど知らない。
坂口:うん、そういうところが僕にあったのだと思います。僕自身、何も知らないと思っているし、みんなの方が先輩だと思っているところがあって、3歳児でも、4歳児でも先輩です。自分はある程度現実から出遅れているという感覚があるから、現実とすり合わせて作業している人間を見て、観察しちゃうんですよね。それがマリオの深層心理に影響を与えている。
――今の坂口さんにも、自分は何も知らないという前提があるんですか?
坂口:不思議じゃないですか? 僕は本が読めないんですよ。ストーリーが追えない。自分で本を書いているんだけど、読めない。ギターをどれだけ弾いても練習ができない。それは練習をしないといけないということを思い込み過ぎているのかもしれない。
こんななので、よく人から「いろいろ自由奔放にやっていますよね」と言われるけれど、自分ではまったく上手くいってるとは思っていないんです。それにギターにしても上手くなりたいとも思っていないみたいで(笑)、「上達」という概念がないんですよね。
――無垢や純粋というワードから連想されるもののといえば、この小説の中には「夢の国」、ディズニーランドが出てきます。坂口さんはお好きなんですか?
坂口:この『しみ』に出てくる8人の人物は実際に会ったことのある人たちなんだけど、彼らの何人かがディズニーランドで働いていたんですよ。それで1日だけ僕もディズニーランドにいたことがあって、その光景はかなり水増しされているものの、ずっと頭から離れなかったんです。
その頃は、「格好悪い」という理由でディズニーランドは行かないと思っていたんだけど、彼らに連れられて行って、みんなすごいなと。
――8人の中でも核になる「シミ」というキャラクターは、最後まで掴み取れなかったというか、これは本当に人なのか? とも思いました。
坂口:それは面白い。そこまで感じてもらえたら嬉しいですよ。
――『しみ』を書き始めたきっかけはなんだったのですか?
坂口:僕の場合、企画かどうかわからないようなところから始まるので、最初はぼんやりと20枚程度書いていました。それが熊本地震の直前くらいですね。他の本も同じ、特に構想はなくて、根元にある…何かかすり続けているもの、感じている何かを小説に近づけていきたいんでしょうね。
それで、今は少しずつ近づいている気がするんですよ。これが不思議で、自分が体験したり、体験したいことを書いているはずだから自分が一番分かっているはずなのに、底なしがあるわけです。
ただ、『しみ』に出てくる「シミ」という人物はよくわからないけれど、今の仕事をするきっかけになっているんじゃないかと思う人でもあるんです。(作中で)みんなで多摩川とかに行っているじゃないですか。その多摩川で僕は「0円ハウス」の第1号に会うんです。
――坂口さんの初期の著作のテーマになった「0円ハウス」ですか。
坂口:そう。そういう意味では自分の元でもある。ただ、そう説明することはできるけれど、『しみ』で書きたかったところはそこではないんです。ただ、そのときに見ていた空間を今、創り出したいというところなんでしょうね。
(了)
■坂口恭平プロフィール
1978年、熊本県生まれ。作家、建築家、音楽家、画家。2001年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。2008年、『TOKYO 0円ハウス 0円生活』で文筆家デビュー。2011年、東日本大震災がきっかけとなり「新政府内閣総理大臣」に就任。2014年、『幻年時代』で第35回熊日出版文化賞、『徘徊タクシー』で第27回三島由紀夫賞候補に。2016年、『家族の哲学』で第57回熊日文学賞を受賞。