永六輔は「死んだ」のではなく「死んでみせた」のだ
ラジオパーソナリティやエッセイストとして長く活躍した永六輔さんが7月7日に83歳で亡くなった。
ファンには知られていることだが、永さんといえば、たびたび本やラジオで、死に関して言及していた。 いつからか、永さんが「死」に関して語るときによく口にするようになったのは、「死をみせる」ということではないだろうか。すなわち、死にゆく人が家族や世話になった人たちのためにできる「最後の心くばり」だ。
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1994年に出版された『大往生』(岩波書店刊)は、永さんが集めた「老い」「病い」「死」に関する寸言について、彼自身が言葉を添えた一冊だ。永さんは浄土真宗の寺に生まれ育って死とは身近に育った。父を看取り、立て続けに親友を失っていたときに「死」についてまとめてみようと書下ろしたのが本書だ。
永さんは大の旅好きでも知られるが、パーキンソン病を患う前に各地で見聞きしてきた言葉も本書にはまとめられている。説法でも道話でもない無名の人たちの句は、実感にひそむ説得力がある。
「昔、お母さんにおむつを取り替えてもらったように、お母さんのおむつが取りかえられるかい。老人介護って、そういうことだよ」(30ページ)
「こうやって同窓会のたびに物故者の黙禱をするのはいいけれど……何人までやるか、決めておこうよ。一人で黙禱なんていやだよ」(68ページ)
「不思議なものだね、友達が死ぬと、どこか楽しいんだよね。淋しいだけじゃないんだよね」(68ページ)
「定年でね、これから夫婦でゆっくり、というときに女房に死なれました。退職金で墓をつくってやったんですが、結局、赤字でしてね。それで、こうやってタクシーをやっているんですよ」(69ページ)
(『大往生』より引用)
死が人生の途中経過の1ページになるのは自分以外の人間、いわば「他人」だけだ。しかし、他人の死に立ち会うことは、自分の死をみつめることでもある。自分が死んだとき、周囲にいる人たちは「死」について想いを張り巡らせるだろう。そのとき死者は「死んだ」のではなく、周囲の人たちに死に向き合わせるために「死んでみせた」ことになるのだ。
「死んでみせる」ことが、家族のためにできる最後のこと
永さんは、『婦人公論』1991年5月号に掲載された、医師の山崎章郎氏との対談の中で、父の死に立ち会ったことを振り返っている。
「ぼくは昨年、父を見送ったときに、そうか、家族のために死んでみせることが最後にできるんだという、その姿勢こそがいちばん大事だと教えられたような気がしたんです。 つまり、家族に死というものを教える。いま、先生がおっしゃったように、だれかのためだというのなら、家族や知人のために死ぬということそのものがとても価値を持つ行為のように思えてきたんですね。そうか、オヤジはぼくらのために、とくに孫たちのために死んでみせてくれたんだな、と思えたとき、その死をとても素直に受け入れられましたね。」 (『大往生』174ページより)
また、『死に方、六輔の。』(飛鳥新社刊)では、「生まれてきたように死ねばいいんだから。」(52ページ)と語っている。
報道によれば、永さんは亡くなる前日に元気にアイスを食べて「美味しい」と感想をもらしていたそうだ。医師の診断も「老衰といっていい」というものだった。いつもの生活のなかで、静かに往けたのではないかだろうか。
心より永六輔さんのご冥福をお祈り致します。