「起承転結」を書けない作家志望者を変えた「ある道具」
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第79回のゲストは、最新作となる作品集『ニセモノの妻』(新潮社/刊)を刊行した三崎亜記さんです。
不条理小説の名手として知られる三崎さんが今回テーマに据えたのは「夫婦」。気持ちが通い合っているはずなのに、どこかがずれている。一つ屋根の下で暮らしているのに、案外相手を知らない。そんな夫婦の間にあるわずかな隙間が、奇妙な物語の中で露わに浮かび上がります。
この作品集の成り立ち、そして各作品にまつわるエピソードなどを三崎さんに語っていただきました。注目の最終回です。
■デビュー作『となり町戦争』の裏にあった友人の死
――パソコンを買ったことがきっかけで小説を書き始めたということを別のインタビューで読んだことがありますが、パソコンを買う以前は小説を書こうとは考えていなかったのでしょうか。
三崎:高校を卒業して大学に入った18歳くらいから作家になりたいという思いはありました。でも、自分がいわゆる「起承転結」で文章を書けないこともわかっていましたから、小説を書きたいと思いながらも書けずにいたのですが、パソコンを手に入れて文章を別の箇所に移動したり、切り張りしたりということが簡単にできるようになったことで、書けるようになったというのがあります。
それで書き始めたのが28歳の時です。それまでは公務員をやっていて、このままずっと公務員として生きていくんだろうなと思っていたのですが、その頃に友達が一人亡くなったんです。その友達が夢を途中で諦めざるをえなかったというのがあって、代わりに自分が、というわけじゃないですけど、もう一度自分の夢を思い出してみようかな、ということで、その時点で8割方書けていた『となり町戦争』を最後まで書きあげて新人賞に応募しました。
――独特のロジックによって話が進んでいくところなどは、どこか安部公房を思わせます。これまでに読んできた本についてうかがってもいいですか?
三崎:そんなにたくさん本を読んできたわけではないんですよ。安部公房も読んだことがあったかな、という感じで。不条理小説ということでいうとカフカも読んでいませんし。
じゃあ、どんなものを読んできたのかというと、中学生くらいの頃にSFブームがきまして、小松左京さんですとか、眉村卓さんの社会派の小説が強く印象に残ったのを覚えています。
ある新人社員が倉庫番をしている男のところに書類を届けるように頼まれて、倉庫まで行ってみると、中で倉庫番の男が身動きもせずに座っていると。その社員が話しかけるとスイッチが入ったみたいにパッと動き出して、書類を受け取ってサインか何かすると、また電源が切れたみたいに動かなくなるんです。
そんなものだから、新入社員は会社に戻って、倉庫番のことを上司に報告するわけです。「あの人は人間じゃなくてロボットですよ」と。上司はそれに対して「それがどうした。仕事が普通にできるならロボットでも支障はないじゃないか」というようなことを言って、そこで話が終わる。『C席の客』という本に収録されていた作品なんですけど、社会をちょっと突き放して捉えているところが印象深かったんです。
――三崎さんが、「自分の人生に影響を受けた!」と言える本がありましたら、3冊ほどご紹介いただきたいです。
三崎:一冊は今お話した、眉村卓さんの『C席の客』にして、あと二冊は梶井基次郎の『檸檬』と、中島らもさんの『今夜、すべてのバーで』ですかね。
『檸檬』はものすごく有名な作品ですが、色彩感覚が好きです。病み上がりで咳をしている主人公の、いってみれば灰色の日常のなかで、レモンの黄色がすごく鮮やかに映えている。同じ短編集に収録されている「冬の日」という短編では、肺病持ちの主人公が吐いた血の混じった赤い痰が金魚にたとえられています。
全体をきらびやかにするのではなくて、灰色のなかに一点だけ輝くような色がある。だからこそ際立って見えるんですよね。文章の中でイメージ化される色彩が強く印象に残っています。
『今夜、すべてのバーで』は、25.6歳の頃、青春18きっぷで旅行に出かけて、家に帰る途中で読んだ本です。だんだん家に近づいてくると旅気分も薄くなってくるじゃないですか。だから、何か暇つぶしを、ということで、深く考えずに途中の駅のキヨスクで買ったのですが、読み始めたら家の最寄駅で降りるのも忘れて読みふけってしまいました。それまでの旅の印象が全部なくなってしまうくらい面白かった。こんな読書体験はこの先もうないだろうと思ったのを覚えています。
――最後になりますが、三崎さんの小説の読者の方々にメッセージをお願いします。
三崎:奥さんがいる人は、この本を読んで、もう一度奥さんの顔をじっくり見つめて、結婚したてで新鮮だった頃の日々を思い出していただきたいですね。これから結婚する人は、自分にとって家族の中で一番近くて一番遠い存在になる妻、かわいいけれどちょっと怖い妻について考えたうえで結婚してください(笑)。
■取材後記
作中に出てくる会話のアイデア元や、独特な執筆スタイルなど、驚かされることの多い取材だった。自身の小説について淡々と、そして丁寧に語る三崎さんの物腰は柔らかかったが、一つの手がかりから物語ができていく過程のお話には凄味があった。
「近いようで遠いな変な相手」である妻。
ひそかにニセモノにすり替わっているかもしれない妻。
そんな妻と夫の物語を書いた作家と話した日の夜、私が自分の妻の顔をまじまじと見ずにいられなかったのはいうまでもない。
(インタビュー・記事/山田洋介)