最後まで「。」が出てこない前代未聞の批評も。「これは攻めすぎ!」な蓮實重彦の著作3選
■今年で80歳!超ストロングスタイルで話題になっている蓮實重彦とは?
第29回三島由紀夫賞は、蓮實重彦氏の『伯爵夫人』(「新潮」2016年4月号)が受賞した。
会見では、記者からの質問に対して「ご心境という言葉は私の中には存在しておりません」「お答えいたしません」「馬鹿な質問はやめていただけますか」などと強烈なカウンターを放った蓮實氏。超ストロングスタイルなやりとりを見たファンの間では、「相変わらずの蓮實節だ」「面白すぎる」と盛り上がっている。
今年80歳となった蓮實氏だが、実は作家であると同時に、批評家や元東京大学総長としても知られていて、文学作品以外にも、フランス現代思想に関する著書や、映画批評の著書など、執筆は多岐にわたる。
そこで、今回のニュースで蓮實氏のことをはじめて知った皆さんに向けて、「小説以外」の著作を3冊ピックアップしてみた。予想通り? それとも別の顔が見えてくる? どちらかは分からないが、「これは攻めすぎ!」というオススメの本をご紹介したい。
■「。」が最後まで出てこない映画批評文
まず、蓮實氏の真髄の1つといえば映画批評だ。氏は1970年代に批評活動を始め、主題論的な分析手法や独自の文体によって、他の批評家から抜きんでた影響力をもった。今風にいえば、批評文を業界でバズらせることによって、多くの熱心なファンを映画館に動員したのだ。画面に映っているものを隅々まで観尽くしたかのような精密な分析に加え、どこまでもうねり蛇行するアクロバティックな文体は今読んでも魅力的なのである。
映画に関する氏の著作は多いが、その中でも『シネマの煽動装置』(話の特集社刊、1985年。『映画狂人 シネマの煽動装置』のタイトルで河出書房新社から再刊)は、文体面において1つの頂点を極めた著作といえるだろう。
何といってもこの本の衝撃は、一冊がまるごと「一文」でできている点にある。つまり句読点の「、」はあっても「。」が最後まで出てこないのだ。どこまでも流れつづける文章のうえで、新旧洋邦とわず数多の映画が矢継ぎ早に絶賛、または罵倒される様は読み始めたら止まらない。超トリッキーな文体に夜更かし必至な一冊だ。
■東大の新入生に対する式辞は長大であり難解
蓮實氏の一般的なイメージといえば「元東大総長」だろう。東京大学の教養学部教授、同学長を経て、1997年から東大総長に就任。入学式では、入社したばかりの新入生に向けて、長大で難解な式辞を読み上げたこともニュースになった。
その式辞の全文は、『知性のために』(岩波書店刊、1998年)で読むことができる。批評の文体にもどこか似た、うねりながら何度も迂回するような言辞のなかで、はたして氏は大学に足を踏み入れたばかりの若者たちに何を語ったのか。そこで学生に向けて強調された「結果とは異なる過程への好奇心」とはいったい何を指しているのか。東大生になったつもりで、入学式の式辞の様子を追体験してみることをお勧めしたい。
■スポーツ批評まで書いてしまう幅の広さ!
これは、あまり知られていないが、蓮實氏は大のサッカー好きでもある。ワールドカップのたびに新聞などのインタビューに登場し、持論を展開する様子を見て氏を知ったスポーツファンもいるかもしれない。
『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』(青土社刊、2004年)はそんな蓮實氏による、スポーツへの愛と叱咤が詰まった一冊だ。
本書を読むことは、すなわち選手たちが走ること、ぶつかること、跳ぶこと、蹴ることといった真摯なる身振りの物質的な快楽と、遊戯としての審美性、そして説話論的な断定が、狂おしくも露呈している様に息を呑む作業にほかならない……と、つい蓮實氏の文体を稚拙に真似してしまったが、サッカーファンの方々には、こんな模倣文ではなく、本物の文章を通じて氏の意外な顔をぜひ発見してほしい。
■今こそ蓮實氏の作品を読むべきときだ!
もちろん、ここで挙げたほかにも紹介したい本はたくさんある。
たとえば映画評論界の先輩にあたる故・淀川長治氏と対談してイジられる『映画千夜一夜』(中央公論社刊、1988年)や、タイトルからどんな本なのかまったく想像もつかない『凡庸さについてお話させていただきます』(中央公論社刊、1986年)なども手にとってみてほしいところだ。
蓮實氏自身は、三島賞の受賞会見で「80歳の人間にこのような賞を与える事態は、日本の文化にとって非常に嘆かわしい」と述べていたが、今回の受賞で蓮實氏を初めて知ったという人もいるはずだ。
熱心なファンも初心者も、これを機に彼の活動を追いかけて、時には溺れてみてはいかがだろうか。というわけでこの記事は、彼の東大での式辞にならって、結論もないまま唐突に終わりを告げます。
(ライター/ヨネツキ)