だれかに話したくなる本の話

激増する発達障害 その背後にある「誤診」とは

この20年ほどで「発達障害」という言葉は急速に広がり、一般にも認知されるようになった。それによって適切な診断と対処の機会が得られようになったのは、もちろん社会としての前進ではある。ただ、その弊害についても考える時期に来ているのかもしれない。

というのも、「発達障害」と診断されるケースは、今猛烈に増えているのである。そもそも発達障害は、生物学的基盤によって起こる、中枢神経の機能的発達の障害とされ、遺伝的要因が強いことが知られている。『「愛着障害」なのに「発達障害」と診断される人たち』(岡田尊司著、幻冬舎刊)によると、ADHD(注意欠陥/多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)といった代表的な発達障害の遺伝率は約8割。代表的な精神病である統合失調症の遺伝率と近い。ところが、統合失調症の有病率は横ばいか減少傾向なのに、発達障害だけが急増しているのだという。

◾️発達障害激増の背後にある「誤診」の存在

本書では、この現象の背後にある「誤診」、あるいは「過剰診断」の存在を指摘している。発達障害という考え方があまりにも広がりすぎたことで、あくまで「平均的」ということでしかない発達の仕方が、「本来期待される健常な発達」として認知され、それ以外の発達の仕方を「障害」だとする見方になりかねない。

こうした見方が広がると、平均的な発達からずれた子は、すべて「発達障害」に見えてしまう。実際、隠れている発達障害を見抜くことが、専門家の腕の見せどころであるかのような時期があり、その時期は競うように発達障害の診断が下されていた。これは、近年の発達障害の急増の理由の一つといえる。

ただ、本来子どもの発達や成長は一様なものではなく、さまざまなグラデーションがある。一般に考えられている以上に、発達の仕方には個人差やタイプがあるのである。それゆえに「正常な発達」と「そうでない発達」を切り分けることは意味を持たない。個々人の発達のタイプによって、情報処理の特性も、社会性や情緒、認知、行動は異なる。それは、あくまで「個性」なのである。

◾️さまざまな要因によるものをひとくくりに「発達障害」とする弊害

現在の発達障害の診断は要因も症状もあまりにも多様なものがひとまとめになっていると本書では指摘している。具体的には、遺伝的や要因や器質的要因が強い本来の意味の発達障害も、養育や生活環境要因で起きた発達障害も一様に「発達障害」にくくってしまっているという。両者は症状こそ似ているが、重症度や回復に違いがあるため、両者を同じくくりに入れることでさまざまな不都合が生じてしまう。

そして、今比率がどんどんあがっているのは後者。環境要因の関与が強く、症状が比較的軽い発達障害だという。両者を一様に「発達障害」とくくることで、発達障害について語るときの話が食い違ってしまうし、どんな対処をするかも変わってくる。これが、発達障害の考え方が広範に行き渡ってしまった弊害なのだろう。

本書では、環境要因の強いタイプの発達障害について、その実態は「愛着障害」なのではないかと指摘している。ただ、愛着障害は一般的に特別に悲惨な境遇の子どもに用いられる。子どもが愛着障害であると親に指摘することは、間接的に「親の責任」を指摘することになるため、専門家としては勇気がいる行動となる。

親が子育てに自信をなくしてしまう事態を避けるために、現在でも「愛着障害」よりも「発達障害」という診断が圧倒的に使われているのだという。つまりは「方便」が使われているのだが、これによって問題の所在を突き止め対処するのが遅れることになりかねない。今では誰もが耳にし、口にするようになった「発達障害」の現実を垣間見せてくれる一冊である。

(新刊JP編集部)

「愛着障害」なのに「発達障害」と診断される人たち

「愛着障害」なのに「発達障害」と診断される人たち

「発達障害」と診断されるケースが急増している。一方で「発達障害」や「グレーゾーン」と診断されながら、実際は「愛着障害」であるケースが数多く見過ごされている。根本的な手当てがなされないため、症状をこじらせることも少なくない。なぜ「愛着障害」なのに「発達障害」と間違えられるのか? 本当に必要な対処とは何か? 豊富な事例とともに「発達障害」と誤診されやすい人たちの可能性を開花させるための方法も解説。「発達障害」の急増が意味する真のメッセージを明らかにする“衝撃と希望”の書。

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