「許せないこと」をどう許す?負の感情から解き放たれる童話(2)
怒りが収まらなかったこと、許せなかったこと、誰かを憎んだこと。 私たちはしばしばこうした激しい怒りに我を忘れることがある。そして、それらの怒りによって本来やるべきことに集中できなかったり、周りの人にやさしくできなかったりする。
許すことができればいいが、なかなかそうもいかない。そして許せないと、心が狭い自分が嫌になる。私たちは「怒り」とどう向き合えばいいのか。
『なんでもたべるかいじゅう』(幻冬舎刊)は、怒りに駆られて罪を犯したかいじゅうを描いた童話である。著者の北まくらさんは「怒り」と「許し」をどう表現したかったのか。作品の創作秘話とともにうかがうインタビューの後編だ。
■人は誰しもが苦しむために生きるべきではない
――「許すこと」あるいは「許せないこと」について北まくらさんが社会に対して持っている問題意識がありましたら教えていただきたいです。
北:昨今の社会では、「不信」や「憎しみ」「悲しみ」などから生まれた怒りが、また誰かの怒りを呼ぶという負の連鎖を起こしているように見えます。負の感情が複雑に絡み合って、許せない気持ちが渦巻いている。
「許す」という行為はそういった暗雲を取り払ってくれると思っています。人が人を責め合う社会は破滅へと向かうだけですが、お互いに認め合えば調和のとれた発展的な道を歩むことができる。簡単なことではありませんが、私たちは後者の道を選べる可能性があると思っていますし、許すことはこれから厳しい時代を生き抜くために私たちそれぞれが前進するためのきっかけになってくれると思います。
――作中のかわいらしい挿絵が印象的でした。ブギーやムンゴ、エイミーなどのデザインも北まくらさんが作られたのでしょうか。
北:はい。私が鉛筆と消しゴムで下絵を描いて、妻にそれをデータ化してもらって製作しました。読者の想像力に寄り添うような絵にしたいと思って描きました。
――キャラクターの見た目のイメージは最初から頭の中にあったんですか?
北:ストーリーをまず書いて、その後で自分の頭の中に思い浮かんだ絵をノートに描いていったのですが、そもそもこの作品は文章ではなくて映像作品にするつもりだったんです。だからキャラクターの造形はかなり作りこみました。
――アニメっぽくするつもりだったんですか?
北:「コマ撮りアニメ」を作ろうとしたんですけど、計算したら製作に5、6年かかりそうで、コストも読めないので、この製作をライフスタイルにしない限り映像化は難しいと思って童話の形に切り替えたんです。
――怒りにとらわれることで自分の人生がダメージを受けてしまうことは確かなのですが、周囲が当人に対して「許すこと」を押し付けることの傲慢さも近年議論されるようになっています。北まくらさんのお考えとして、「許せないことがあっても許すように努めるべきだ」というのがあるのでしょうか。
北:大前提として人には自由意志があるので、それを尊重せずに選択を迫ったり意見を押し付けたりするのは暴力と変わりません。誰であっても誰かの自由を奪ってはいけません。
その人の感情はその人にしかわからないことです。家族を殺された人の気持ちは他人には到底想像できるものではありません。だから他人に「許そう」なんて簡単には言えないはずです。
それに、たとえ自分のことであっても無理に許そうとするとかえって心に負担がかかってしまいます。だから無理に許そうとする必要はないですし、許せない自分を責める必要もない。怒りは自然な感情ですから、まずはその怒りや許せない気持ちの根源と向き合って、自分なりのペースで許していけばいいのではないでしょうか。
――花との交流を通してブギーは周りの人と自分自身を許せるようになっていきますが、自分を許せるようになった時にはもう死が間近に迫っています。罪を犯した人は死ぬまでその罪について考えるべきなのでしょうか。
北:難しい質問ですね。人は誰しもが苦しむために生きるべきではないと考えています。罪そのものや罪を犯した人を擁護することはしませんが、どんなことでもいつかは気持ちの折り合いをつける日がやってくるとは思います。
程度や内容によって、罪の持つ意味は変わってきます。また、罪を罪とも思わない人もいれば、罪であるとわかっていながらやってしまう人もいる。その意味で罪悪感を抱いて死ぬかそうでないかは、個人の心の選択によるのだと思います。
どんなに罪深い人でも心の自由だけは奪うことができません。罪人は残りの人生を苦しんで生きるべきだという考えを耳にすることもありますが、これも生き方の押し付けです。
――最後にどうしても許せないことがある人にメッセージをお願いいたします。
北:私自身、かつて本当に許せない出来事があって、全身の毛が逆立つほどの怒りを抱いたことがあります。自分で制御できないほどの怒りの感情でした。
その感情と向き合った末、私はその怒りは自分には不要なものだと考えました。それに気づいて、怒りを手放した時は信じられないくらい心が軽くなりました。それほど、怒りの感情は自分の心の足どりを重くしていた。
怒りを鎮めるには、まずは自らの怒りを一つの感情として認めてあげることが必要だと思います。感情とは変化や体験に対する心の変化です。その心の動きを自分の中で注意深く観察し、俯瞰して見守ってあげれば、自分がなぜ怒っているのか、その根元が見えてくるはずです。そこから怒りと向き合うことができます。すぐには許せないことがあっても、ブギーたちの物語や許すという選択肢があるということを思い出してもらえたらうれしいです。
(新刊JP編集部)