「海の中に口座を作る」お金がなくなる不安からの解放を目指す実験とは
生きている限り、食事はしないといけないし、住むところも確保しないといけない。裸で外を歩くわけにもいかない、体や髪を洗わないといけない。
これらは全てお金がかかる。だから我々は「ある程度のお金を稼がない」と頭に刷り込まれているし、どうせならたくさん稼いでより快適な家に住んだり、おいしいものを食べたり、いい服を着たいと考えたりする。だからこそ収入が途絶えると大きな不安に襲われる。
でも、本当にそうなのだろうか。我々は「生活」のためにお金を稼ぐことや、お金を稼がないことへの不安から逃れられないのだろうか?
■「口座に残高がなかったら海に潜る」という生活
道端に生えている草や木の実、海や川にいる魚をおいしく食べられれば食費はタダ同然になるし、そもそもきっちり三食食べなくても生きてはいける。服を着なければ服を買う必要もない。それに、そのあたりに転がっている石ころや木の枝だって、買ってくれる人さえいればお金を稼ぐことができる。
『出セイカツ記 : 衣食住という不安からの逃避行』(ワクサカソウヘイ著、河出書房新社刊)は、「生活」という着実なようで曖昧で漠然としたものからの逃避の記録である。
「ベーシックインカム」という政策がある。これは決められた額のお金を国家が国民に定期的に支給するというもので、国家が国民に最低限の生活を保障するという意味合いがある。今のところ日本ではこの政策は実現していないため、私たちは自分でお金を稼いで最低限以上の生活を維持しなければならない。
ただ、海に出れば食べられる魚がたくさん泳いでいるし、少し都会を離れればその魚たちをやすで突いて捕獲している子どもたちを見ることができる。このやり方で、「磯の海産物(※アワビやサザエなど、漁師以外が漁獲してはいけないものもある)」だけで食料確保する道が見つかれば「海は天然のベーシックインカム」になりえるのではないか?
そんな思いから著者は海に出た。何時間も海に潜り、やすを持って獲物を待ち受けるが獲れたのは手のひらサイズのコチ一尾だけ。ただ、数日間続けるうちにコツを掴んだのか腕を上げた著者は、こんな生活ができるようになったという。
午前中に獲った魚を昼に焼いて食べ、少し浜辺の岩陰で昼寝などをしてから、また数時間ほど潜って、夕食を探す。私はすっかり社会生活の枠外の人となっていた。
こうして思ったのは「磯の経済はコスパがよすぎる」ということである。(中略)ヤスと水着、そして水中眼鏡さえあれば、簡単に海の中に「口座」を開くことができる。(P41)
魚突きのコツを掴んでしまえば、食べたい時に海に潜って魚を捉えることができる。海辺には「野生のウーバーイーツ」のように波が海藻を運んでくる。それは海という「残高」が豊富にある口座から好きな時にお金を引き出すようなもの。そう考えてみると、日々の食費のためにあくせく働く必要など、本当はないのかもしれない(なかなか実行に移す決断はできないが)。
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食べ物の調達だけでなく、衣服を着ること、お金を得ることについても、著者は「生活」から脱出し、独自の考察を重ねながら、現代人に特有の「ストレス」や「不安」からの脱出を試みる。読み手からすると実践的な内容ではないかもしれないが、それでも「まあ、いざとなったらこれもあり」「こんな考え方もできるのか」という発見はあるはず。
毎日に閉塞感を感じている人は、本書を読めば少しだけ人生の風通しが良くなった気がするはずだ。
(新刊JP編集部)