だれかに話したくなる本の話

東京から逃げ出した日本の文豪とは

日本の近代文学の文豪たちが集った文学の場である東京。生活の場として、また作品に描いた東京を通して、夏目漱石、志賀直哉、宮沢賢治、松本清張ら、32人の文豪たちを辿っていくのが『文豪 東京文学案内』(田村景子編著、田部知季、小堀洋平、吉野泰平著、笠間書院刊)だ。

■志賀直哉、夏目漱石…文豪たちにとっての「東京」

本書では日本の近代文学が立ち上がった明治期から戦後にかけての「東京」に着目し、明治、大正、昭和と、時代とともに激しい変化を遂げていく東京と、その影響を受けながら名作を生みだしてきた文豪たちの姿を綴る。

代表作に『城の崎にて』『和解』『暗夜行路』などがある志賀直哉は、たびたび居を移し、東京脱出を繰り返した作家だった。父への反発から東京を離れ、怪我の療養に温暖な場所を求める。作品執筆のために転地し、広島県尾道、兵庫県城崎、島根県松江、群馬県赤城大洞、千葉県我孫子、京都、奈良、熱海など、その行動範囲は広い。同時に東京の裕福な家庭に養われ、山の手の麻布に育ち、学習院初等科、中等科、高等科と進み、そこで武者小路実篤、有島生馬、里見弴ら生涯の友を得る。学習院出身で結成された文学グループ「白樺」派の中核であり続けたという意味で、東京文壇の中心人物として活躍した文豪といえる。志賀直哉は、生粋の東京の作家だったのだ。

芥川龍之介には「最も純粋な作家たちの一人」といわれた志賀直哉は、棒高跳びやボートレースに打ち込むスポーツマンの一面もあった。そして、自転車で街を疾走するのが大好きな青年だった。67歳になって書かれたエッセイ『自転車』には、「私は13の時から56年の間、ほとんど自転車気違いといってもいいほどによく自転車を乗廻していた」と綴っている。横浜や千葉へまで仲間と遠乗りに出かけ、途中でそば屋や洋食屋で腹ごしらえをして、輸入雑貨の店で文房具を漁り、往来で他の自転車に出会うと競争をしかけたという。

日本の文学の歩みは、東京という都市とともにあった。文豪たちと東京の関係をとおして、文豪たちが日本の近代とどのように向き合ったのか。項目ごとに当時の東京を感じられる地図も掲載しているので、本書を読んで、東京の街を散策してみるのも面白いかもしれない。

(T・N/新刊JP編集部)

文豪東京文学案内

文豪東京文学案内

江戸が東京に変わると、郊外だった新宿や渋谷は住宅地になっていき、華やかな文化が生まれ、地方からも人が集まってきた。その中には、宮沢賢治や正岡子規、太宰治など、のちの文豪たちも含まれていた。一方、夏目漱石や永井荷風など生粋の「東京っ子」は、足元から時代の変化を感じることになる。
大学になじめなかった芥川龍之介が、思慕と追憶の思いに耽った「隅田川の水」。当時最先端の自転車で東京中を走り回った志賀直哉が見つめた格差社会。萩原朔太郎、宇野千代、川端康成らが集った「馬込文士村」。江戸川乱歩を惹きつけた怪奇と幻想の浅草。坂口安吾の作風を変化させた東京大空襲。
明治、大正、昭和と、時代とともに激しい変化を遂げていく「東京」と、その影響を受けながら名作を生みだしてきた文豪たちの姿を描く。項目ごとに当時の東京をリアルに感じられる地図も掲載。

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T・N

ライター。寡黙だが味わい深い文章を書く。SNSはやっていない。

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