【「本が好き!」レビュー】『鍛冶屋 炎の仕事人~日本の文化と地域の生活を支えてきた鉄の道具を生み出す人たち』田中康弘著
提供: 本が好き!本書は全国各地の鍛冶屋さんの訪ね歩いたルポである。
日本刀ブームであるが、本書に刀匠は登場しない。
紹介される鍛冶屋さんは、日常生活や仕事に用いる道具を作る野鍛冶(農鍛冶)である。
野鍛冶の仕事は奥が深い。
一人黙々と作業をこなすというイメージがあったが、けっして孤独ではないと語る鍛冶屋さんがいた。
作る道具を使う人がいる。
野鍛冶に求められるのは、各人の使い勝手。
仕事が熟達すればするほど、道具に求められる形状差は微妙になっていく。
それに応えることが鍛冶屋さんには求めらるのだ。
一人黙々と道具に向き合っているようでいて、実際はそれを使う人に向き合っている、それが鍛冶屋さんの仕事という。
さらに、作ることだけに完結しないのが鍛冶屋さんの仕事で、使う人に話を聞きながら改良を加えていくことが大切とのこと。
鍛冶屋さんは、いろいろな鉄の道具をいとも簡単に作ってしまう。
形の模倣なんてお手の物だ。
だからといって、他人が作った道具を簡単にできると思ってはいけないと戒める鍛冶屋さんがいた。
道具は使う人あってのもの。
道具の形には、形状以上の意図が隠されているということかもしれない。
使う人それぞれの使い勝手に向き合うことが大切で、単なる模倣でそれは実現できない。
鍛冶屋さんはだんだん減少しつつある。
道具に拘る気持ちは、今でも多くの人の気持ちのなかにある。
デスク回りやアウトドア用品など、道具への強い拘りが見える分野は確実にある。
そう思うと、鍛冶屋さんが減少している背景には、人々の心のなかにある道具への思いの変化だけではなく、生活スタイルの大きな変貌があるということか。
自然から隔絶された生活に、鍛冶屋さんが生み出す道具は不要ということなのか。
実態はそれともやや異なるのかもしれない。
たとえば日々の食事のための調理には包丁を使う。
包丁も100円ショップのものもあれば、1つ万を超えるような高価なものもある。
鍛冶屋さんが丹精込めて打ち鍛えた包丁は、どうしても値段が張ってしまう。
それでも使い勝手は相当に良いという。
使い勝手などを求めなくなったのは、消費者側の考え方だけのようだ。
切れれば良いという考えが広まっていけば、100円の包丁が普及するのも当然のこと。
丁寧に日々を送るということであれば、使う道具もそれなりのものを選択するようになるのではないか。
デスク回りやアウトドアなど、その道具を使う人の拘りが強い分野では、道具への熱い思いは残ったまま。
鍛冶屋さんが作る道具は生活に密着したものばかり。
そう思うと、時間に追われる生活スタイルにこそ問題があるのかもしれない。
現代社会では、今の自分を生きるという時間の使い方からは少し乖離しているように思う。
今をしっかり生きるようにすると、自然と使う道具も選択するようになるのかもしれない。
うちには100円ショップの品々がいろいろとある。
それはそれでありがたい存在で、十分使えるものではある。
でも、しっかり選んだ感じはしないし、壊れたら買いなおせばよいという使い方をしている。
まずは自分の生活を見直してみようと思う。
それから道具にも向き合ってみたい。
鍛冶屋さんの高級品に手を伸ばすことはそれからにしてみよう。
だいぶ、先かな・・・
(レビュー:休蔵)
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