【「本が好き!」レビュー】『飛田ホテル』黒岩重吾著
提供: 本が好き!なんとなく目について手にした一冊。昭和の関西の貧民街を舞台に日の当たらない人生を送っている男と女の6つの愛憎ミステリと一括りにしても間違いではありませんが、私が受けた印象はそれぞれの物語でかなり違っています。
表題作の「飛田ホテル」は刑務所を出所したヤクザが女のところに行くと、その女が失踪しており、行方をヤクザが追うというミステリですが、当時の大阪の場末の雰囲気はよく分かったもののあまりピンと来ませんでした。正直もう読むのをやめようと思ったぐらいです。ところがその次の話に引き込まれてあっという間に6つの話を読み終えてしまいました。気に入った作品をいくつか紹介します。
【口なしの女たち】
神戸に奇妙な中華飯店がある。そこには聾唖の女たちが集まっている。女たちは売春のようなこともしている。保険外交員の古多木はその中華飯店に通いはじめる。なぜなら一人息子の良男がその店の横の路地で撲殺されたからだ。ろくに捜査をしない警察を頼らず犯人をみつけようとしているのだ。
読み終えて思わず唸りました。ミステリとしても素晴らしいと思いますが、この作品の聾唖の女性のメンタリティに衝撃を受けました。決して育ちが悪い人ばかりではないこの店にいる聾唖の女性は生活のために売春しているわけではありません。彼女たちは世間から差別され到底普通の結婚など望むべくもないことを自覚しています。しかし巷では性の解放の気運もあるなかで彼女たちもせめて性を楽しみたい。男性から慰み者としか扱われない中、せめて自分の価値を確認するべく、男性からお金を貰うのです。
なんという哀しいアイデンティティなのか。時代も性別も違いそして聾唖ではない私にとっては全く想像ができません。そしてそのメンタリティが事件を解く鍵となるのです。凄い作品だと思いました。もちろんフィクションですのでそのような考え方の女性がいたのかどうかは分かりませんが、少なくとも差別・男尊女卑がひどい時代であったことは間違いありません。
【虹の十字架】
終戦後、浮浪児であった浅香は印刷所に勤める弥吉と康江の養女となった。魔性の魅力を備えた浅香は女癖が悪い印刷所の社長の秘書となる。社長の息子からやめるように勧められたにも関わらず。果たして浅香の目的は?
この物語は奇妙なミステリと言えます。事件を追うという形のミステリではなく浅香とは何なのかというミステリです。男に媚びることも利用することもなく、財産に興味があるわけでもなく、浅香という人物を簡単に評することはできません。ただ物語の終盤のこの一文が心に残ります。
暗い星の下で過した女が夢見る美しい虹は、苛烈な十字架をその背後にひそませていることを、浅香は十五の年から知っていたようである。
所謂魔性の女というのは往々にして男性から見れば訳が分からないものです。
先日、「ドライブ・マイ・カー」を観ました。村上春樹のいつものテーマである喪失と共に人間はどんなに愛していても究極的には他人を理解することができない。話し合えば相手を理解できるという特に男性にありがちな傲慢さを諫めたものであり、あるがままの存在を受け入れるしかないというテーマも含まれた素晴らしい作品でしたが、この短編集も自分の属性や経験に基づく枠組みでは理解できない女性をテーマしています。
黒岩重吾さんの小説を読むのは初めてです。時代も移り変わり、なかなか現在ではお目にかかることのないタイプの短編集でありとても新鮮でした。
(レビュー:darkly)
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