【「本が好き!」レビュー】『ボタニカ』朝井まかて著
提供: 本が好き!朝ドラの「らんまん」の主人公・槙野万太郎のモデルが牧野富太郎である。と、聞くか聞かない内に本書の発売が新聞に載ったので求めてみた。 高知県にいながら、そして近くに「高知県立牧野植物園」がありながら、さらにそこには複数回訪れていながら、そういえば牧野富太郎ご本人のことはさっぱり知らないなぁ、と・・・
本書は、富さんの生涯を追ったもので、富さんの生涯とはかくも破天荒なものであったか、とビックリさせられた。
まず、生まれが江戸時代ほぼ末期(明治期にお生まれかと勝手に思っていた)。現在の高知県高岡郡佐川町の造り酒屋・岸屋のボンで、両親には早くに死に別れ、祖母に育てられていた。
学制発布なって小学校にも通ったが中退している。小学校で習うことなど、既に知っていたからつまらなかったのだ。けど、学校に飾られた細密な植物絵には興味津々。そればかりか、野山に分け入っては植物と話し、スケッチし採集してをずっと行っていった。
しかし、小学校中退は学歴社会となった明治の学制下では後々大きな“かせ”ともなる。ずっとずっと助手のままであり(給料が上がらない)、講師であり、助教授に任ぜられるのは齢75のあたり。論文を提出して理学博士となってからだ。
故郷の佐川村ではいとこと結婚するが、夢中なのは植物で、しばらくしてから東京へ通うようになると故郷に戻る回数・時間がどんどん減っていく。減っていきながら、東京で買い求めた書籍、印刷機材、あるいはオルガンなどの“つけ”は実家である岸屋にまわし、それがために岸屋の身上を潰してしまう。そればかりか、東京では10歳も年のはなれた女性を孕ませ、やがては一緒に暮らすようになる。 その妻女(壽衛=スエ、地元の奥さんは後に離別)も富さんのおかげで苦労に苦労を重ね、借金だらけの生活から抜け出せない生活がずっと、ずぅっと続く。子どもも何人も生んで育てている。結局富さんよりは早死にしてしまうのだが、世界のマキノのために陰から支えていた人物だ。
富さん自身は日本国中を北は利尻島から南は奄美大島まで、はては台湾まで、採集旅行に一年の相当の時間を費やすのに、スエさんを伴うのは神戸の篤志家が標本を買い上げて借金(当時のお金で3万円・・・今ならいくら? ある情報によると5千万円以上)を肩代わりしようとしてくれた時くらいだ。「わしゃー、おまん(=あんた)を連れて行ったことがなかったのう」と感慨にふけったって後の祭りである。
植物学のためには粉骨砕身、寸暇を惜しんで標本を作製し、図録を描く。時に東京帝国大学の教室から出禁をくらうこともあるが、周囲のとりなしでいずれ復活する。しかし、教授連中には嫌われ、いくら植物学の雑誌を刊行しようとも、本を出版しようともなかなか評価はされない。
植物について話し出したら終わりがないほどで、本の前書きも「牛の涎」と評されるほどだったが、在野では超人気者で、講演依頼は引きも切らない。同時に開催される植物採集会も大盛況であった。
今年が牧野生誕160年にあたるが、高知県立牧野植物園が作成したチラシには明るく、大らかで精力的な富さんの写真が載っている。 この本もまさにこの写真のような富さんの生涯を緻密に追ったもので、500ページになんなんとする大部ながら、時を忘れて読みふけってしまった。(といっても3日ほどかかったけど)
この本の功罪は次のような点だろうか。
富さんがいかに精力的に活動したかがよーっくわかること、そして植物学の父といわれるその所以までよーっくわかること。
一方、富さんの会話(と土佐の人たちの会話)はまるまる土佐弁なので(明治の初期の土佐弁がどのようなものであったかは知らないので、この本のまま受け入れるしかない)高知に住む者としてはいつの間にやら思考までも土佐弁になってしまうこと。気が付いたら土佐弁で何やらかにやらこの本について考えていた。この文章も土佐弁で書こうか、などとちらりと思ったが、それは冒険が過ぎるのでやめにした(第一、話し言葉ではないし)。
朝ドラは見ない・見られない(出勤時間)ので、もともと興味はないのだが、今回ばかりは録画してみてみようか? 主人公を神木くんがするらしいしにゃぁ(この「にゃぁ」は土佐弁です。ネコ弁ではありません)。
(レビュー:ムーミン2号)
・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」