川村元気が語る「作り手としての終わり」を感じる言葉とは?
小鳥店を営む檀野家の穏やかな日常は、通り魔事件という悲劇によって終わりを告げた。
息子を殺され、悲しみに暮れる檀野家のもとに、不思議な合唱隊が訪れる。その歌声に次第に救われていく妻と娘。しかし、それは新興宗教だった。
宗教にのめり込んでいく妻・響子を、なんとか救い出そうとする夫・三知男。響子とともに合唱の練習に参加する娘・花音。物語が進むにつれて明かされていく家族の秘密。そして、3人を通して描かれる「神」の正体とは。
『世界から猫が消えたなら』『四月になれば彼女は』『百花』などのベストセラーを発表してきた川村元気さんによる新作小説『神曲』(新潮社刊)は、「目に見えないけれど、そこにあるもの」を信じる気持ちを、「不信」を通して描ききる意欲作だ。
今回、新刊JP編集部は川村元気さんにインタビューを行い、『神曲』に込めた想いについてお話をうかがった。後編では、物語のカギを握る登場人物について、そして「知ろうとすること」の意義について語っていただいた。
(記事・聞き手/金井元貴)
■『神曲』という小説は「音楽」である
――前編では『神曲』の主人公である檀野一家についてお聞きしましたが、もう一人、物語に大きな影響を及ぼす人物がいます。第二篇から登場する入江隼太郎です。この隼太郎が持っている「神」に対する視点は、川村さん自身の視点ではないかと感じました。
川村:まさにおっしゃる通りで、隼太郎は僕そのものです。毎回、自分自身を投影した人物をこっそり脇役で出すのですが(笑)。
――隼太郎は主役級といいますか、かなりキーになる人物ですよね。
川村:自分の主張がかなりクリアに出ているキャラクターですね。隼太郎が花音に言った「君がおかあさんを信じる気持ちと、おかあさんが信じている神様を信じられない気持ちは両立すると思う。人は時に、複雑な信仰を持ちうるんじゃないかな」という言葉は、まさにかつての自分が言いたかったことでしたから。
――その隼太郎の言葉には、この物語に通底している「信仰とは何であるか」の答えがあるように感じます。
川村:神の中に人を見ることができれば、人の中に神を見ることもできますよね。三知男の中には、事なかれという(笑)何も助けてくれない神がいるし、隼太郎の中にも神がいるし、響子が物語の最後に見せた行動の中にも神がいます。そういった、それぞれの登場人物の中に神的な存在がいるということは描けたように思いますね。
――隼太郎は幼い頃から宗教に振り回されて、その中で、自分で「神」とは何かを見定めるために自立するわけですよね。そこで醸成された考えはすごく大人だなと。
川村:ちゃんと「分からない」ということを自覚して、分からないなりに自分の答えを探すために動き回り、物事を知っていくということが大事だと思うんです。聖書の中にも「探しなさい。そうすれば、見つかる」という一節が出てきますしね。
ただ、確かに求めないと答えは出ないけれど、「答えはこれだ」と安易に決めてはいけなくて、絶えず疑い続けるということもセットだと思います。
答えが見つかると視界がクリアになるけれど、実はそれって危険なことだと思うんです。真っ青な空よりも、天気雨の方が僕は美しいと思いますし、色んなものが一緒くたになってそこにあるという複雑性を肯定することが大事なのかなと。
この小説の表紙の写真は川内倫子さんが撮影されたものですが、雷雲に隠された太陽を感じる写真です。この複雑な空模様のような信仰の方が、僕は美しいと思うし、読者の方々もそう感じてくれるのではないかと信じて書いています。
――この物語で描かれている「不信」や「信じること」の正体は、言葉にしたくないものだと思います。でも、それを知ることで得られることも大きいのかなと。
川村:この小説を読むことで、読者自身が見て見ぬふりをしてきたものだとか、呼び起こしたくなかった感情が引きずり出される可能性もあるかもしれないけれど、そういう小説にしたかったというところはありました。
『神曲』というタイトルにもつながりますけど、僕は長い「曲」を書いていた感覚があるんです。音楽を聴いていると理屈抜きに感情が動いたり、時には不安な気持ちになったりすることもありますよね。自分自身、音楽を聴いているうちに理屈なく心が動かされて泣いたりする瞬間があるんですけど、それと同じように、読者の中にある信じたい気持ちや信じられない気持ちが引きずり出されてくるような小説になるといいなと。
ただ、先ほど言ったように、それによって見たくないものや、予想もしない感情が反応として出てくる可能性もあります。でも、それを見て見ぬふりをしていると、自分自身がそれに飲み込まれてしまう可能性がある。だから、知ることや探しに行くことは大事なのだと思っています。
――自分から知ることや探しに行くことをやめてはいけない。
川村:知らない世界に足を踏み入れることはしんどいです。知っている世界にいたほうが安心だし、楽ですから。でも、そこを面倒くさがると危ないなと最近特に思うんですよね。
――情報源を一つだけにして、比較もせずに鵜呑みにしちゃうみたいな行動も危ないですよね。
川村:自分のこと以外に対する想像力や理解がなくなってしまうと、戦争が起きるわけです。
作り手としては「俺、あれの何が面白いか全く分からないんだよね」と実物を見ずに言うようになったら、本当に危険だと思っています。でも、油断するとすぐにそうなる自分がいるわけです。
――川村さん自身もそう思ってしまうときってあるんですか?
川村:口には出さないけれど、そっち側に思考がいってしまいそうになるときはあります(笑)。でも、そうなってしまうと作り手としての成長が止まってしまいますからね。
――そうした気持ちを乗り越えるには、常に何かしらの探求心を持つことが必要だと思います。
川村:そういう自分に不安になるんです。これを知らないで世の中からズレていって、よく分からないうちに人を傷つけたり、自分が病んでいったりすることがあるんじゃないかって。探すというのは人間に与えられている武器ですから、それは手放すべきではないですよね。
――本書は『百花』から2年半ぶりの長編小説になりますが、小説は今後も定期的に書き続けていく予定ですか?
川村:そうですね。僕にとって小説を書くということは、「自分にとって分からないことや知りたいことを知るための行為」です。
この『神曲』という小説は、何も信じられない自分や、何かを信じきっちゃっている人の怖さみたいなものを知りたくて書きました。そして、書いたことで見えてきたものがたくさんありました。でも残念ながら、また知りたいことが新たに出てきます。それを知るためにまた小説を書く。知りたいと思うことがなくならない限りは書いていくと思います。
――最後に、2年半ぶりの長編小説『神曲』について、読者の皆さんのメッセージをお願いします。
川村:「神」や「不信」というテーマを設定したとき、奥深いけれど狭いところに手を突っ込んでしまったと思ったんです。でも、書いていくうちに、こんなに他人事ではないテーマはないとも思いましたし、テーマ自体がすごくエンタテインメントだということに気づきました。信じていたものが信じられなくなる瞬間はや、何も信じていなかった人が何かを信じる瞬間はとてもドラマチックなんです。
――ありがとうございました!
(了)