「男による男のための社会」日本で女性が感じる生きづらさとは
日本で生きるうえで、「男性である」ということは、一つの「利権」だ。
男性側が普段この利権を意識することは少ない。しかし、電車に乗る、夜道を歩く、疲れた時にちょっと休憩する、そして結婚や就職…。男性側は当たり前にこなしていることが、女性にとっては恐怖感を伴うものだったり、不利益を被るものだったりする。
痴漢にあうのは多くが女性だし、夜道で女性は圧倒的に弱者だ。そして就職では、面接が進むごとに男性の面接官の割合が増す。受験に目を移すと、女性受験者の得点が減点されていた、という出来事まであった。やはり男性であることは「既得権益」であるとしかいいようがない。
■男性は気づかない女性の生きづらさ
男性の、男性による、男性のための社会。
「女性の活躍」が叫ばれて久しい日本だが、今のところこう評価するしかない。『マチズモを削り取れ』(武田砂鉄著、集英社刊)は、女性ばかりが不利益をこうむりやすく、生きにくい日本社会の男性優位性を鋭く指摘する。
就職や受験といった人生の節目で受けるあからさまな差別ばかりでなく、日常生活のいたるところで女性が感じる生きにくさや不自由さ、そして恐怖や脅威が本書では明かされる。
男性側からすると気づきにくいが、想像しやすいのは「密室」だろう。
これは私の体験談だが、先日私が加入している保険の「契約確認」で、保険会社の女性担当者が自宅を訪れた。15分ほど時間を要するということなので、ひとまずあがってもらいリビングに通したのだが、夕方だったので室内は薄暗かった。
そこで私は(配慮が足りなかったと反省したのだが)電気をつけようと、ちょうど女性の背後にあったスイッチに手を伸ばした。おそらく女性はその動作を私が迫ってくるように感じたのだろう、体をこわばらせたのがわかった。
もちろん私には女性に接触する意志はなかった(し、触れていない)のだが、女性側からしたら恐怖を覚えたはずだ。賃貸物件の内見や引っ越しの見積もり、ガスの点検など、訪問する側、される側にかかわらず、女性が男性と密室で二人になるシチュエーションは、実は少なくない。そのたびにおびえなければいけない生活は、心地いいものではない。
女性が感じている生きにくさとは、男性が考えもしない日常の端々にある。電車で常に痴漢におびえる男性はあまりいないはずだし、不意にタックルをされる恐怖を感じながら駅構内を歩く男性もあまりいないはずだ。しかし、これらはいずれも女性たちの日常なのだ。
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駅や公共施設のトイレ、あるいは広告文句やアナウンスの文言などなど、日々の生活に(少し厳しい)目を向ければ、男性にとって都合よく、男性に合わせて作られた仕組みや設備が数えきれないほど見つかるはず。そして、学校の野球部では選手のケアをする女子マネージャーがいて、女子スポーツ選手は能力以上に容姿が注目・消費され、政治の世界では男性が権力を握っている。
こうしたことを指摘されるのは、男性の側からするとあまり気持ちのいいものではないかもしれない。だが、そうだとしたらそれはなぜなのか?
痴漢を問題視すると、「あたかも男がみんな痴漢みたいな扱いをするな」と怒る人がいる。そんなこと誰も言ってない。あなたを指差しながら問題視しているわけではない。「男性」が批判されると、こうして、すぐさま、個人の領域に踏み込まれた、と嫌悪する人がいる。(P262より)
社会の問題点として指摘されていることを、普段私たちは自分が攻撃されているとは考えない。しかし、ことジェンダー問題になると、これがよく起こる。そして、社会の指摘を自分への攻撃だと受け取って怒ることも、我関せずと無視を決め込むことも、あるいは「自分も人のことは言えないし」とジェンダー問題を起こした主体への苦言を控えることも、社会のためにはならない。
社会をよりよいものに変えていくには、これらに一つひとつ声をあげて、潰していくしかないのだ。
(新刊JP編集部/山田洋介)