【「本が好き!」レビュー】『美しい野獣』ドミニック・ファーブル著
提供: 本が好き!「8階から転落した人間のからだが、地面にたたきつけられるまでには、どれくらい時間がかかるのだろうか?それはそのからだの重さに関係する。重ければ重いほど落下の加速度は大きくなる。
シルヴィーが空間に身を投げた日、彼女の目方は45キロしかなかった。そして永遠に、彼女は重荷を下ろし、自分のからだの重みだけで、8階とアスファルトとのあいだを軽々と、じつに軽々と飛んだのだ」
なかなか吸引力のある、この出だしを持つ、1968年度フランス推理小説大賞を受賞した本書の原題は「美しい怪物」です。スイスのジュネーヴ出身の作者ドミニック・ファーブル(1919ー2010)は、仏語版の Wikipedia によると、小説を書いたのは処女作の本書を含めて三冊だけで、元々は1950年代後半から映画のシナリオライターとして活動していた人物でした。ただし、小説も映画のシナリオも70年代までで、80年代からはTV映画のシナリオだけを書いていたようです。本書を読むと、ちょっともったいないと思わせてくれますが、いわゆる一発屋だったのかもしれません。
物語を簡単に紹介します。
金持の美男子アランの若妻シルヴィーが、自宅のアパルトマンから身を投げて死にました。自殺であることには何の疑いもないことは、その現場を偶然見ていた向かいのアパルトマンに住んでいる老姉妹の、彼女がバルコニーから一人で飛び降り、その後で部屋の中からバルコニーに夫アランが現れたという証言からも明らかでした。しかし、この件を担当したルロワ刑事は、彼女たちの一人の、バルコニーに出てきたアランの顔が「下劣な喜び」に輝いていたという証言も気になります。ルロワ刑事は、何らかの方法で、アランが妻を自殺に追いこんだに違いないと思いますが、証拠は何もなく、上司からも捜査の打ち切りを指示されてしまいます。そして、アランは、次の犠牲者として、美しいイギリス女性ジェーンを毒牙にかけようとしていたのでした。
アランが、シルヴィーをどのように追いこんでいったのかは、自分の美貌に惚れこんだジェーンに対するアランの一連の行為によって、心理的に相手を追いつめていく彼のサディストぶりと共に明らかになっていきますが、本書は、サイコパスの美男子が、自分に惚れきっている女性を、相手が好きなふりをして、ねちねちといじめる描写がほぼ全編にわたって語られ、それによって苦しむヒロインの姿がこれでもかとばかりに描かれるという、心理描写が多いフランスのミステリーとしても、かなり珍しいと言えそうです。
正直なところ、こういう内容ですから、読んでいて、ちょっとイライラします。ただ、本書は映画化され、『雨のエトランゼ』(1971年)という邦題で日本公開もされましたが、ヘルムート・バーガーがアランを演じ、それがあまりにもこの役のイメージにはピッタリなので、彼の顔を思い浮かべながら読んでいると、不思議とイラつかないですみます。なお、ジェーン(映画ではナタリー)役はヴィルナ・リージが、ルロワ刑事役はシャルル・アズナヴールが演じました。
また、訳者解説では「どうもミステリらしくない『ミステリ』である」と紹介されていますが、クライム・フィクションであることは間違いないですし、あまり悩まなくても良いでしょう。そもそもフランスのミステリーは、英米のミステリーとはだいぶ趣が異なりますが、その中でも特異な一冊です。
(レビュー:hacker)
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