珠玉のエンタメ集『マドンナの宝石』ができるまで(1)
空港での偶然の出会いから、学生時代に起きた殺人事件への扉が開くミステリ。
火星移住計画が実現し、移住した人類の未来を予見するSF。
現実には起こらなかった歴史上の剣豪の邂逅を描く歴史短編。
『マドンナの宝石』(ヘンリー川邉著、幻冬舎刊)は様々なジャンルのエンターテインメント作品が詰め込まれた珠玉の作品集。1990年代から執筆活動を続けてきた著者の集大成的な一冊となっている。
この作品がどのように出来上がったのか。そしてこの作品を書き上げる土壌となった読書体験はどのようなものだったのか。著者のヘンリー川邉さんにお話をうかがった。
■珠玉の作品集『マドンナの宝石』の宝石はこんな本
――どの作品も面白く読めました。ヘンリーさんご自身として一番気に入っている作品はどの作品ですか?
川邉:一番気に入っている作品は懐かしい学生時代をしのびながら書いた「マドンナの宝石」です。ただ、単なる思い出話では小説になりませんので、ミステリ仕立てにしました。事件を入れて、その事件が現在につながっているという設定ですね。
トマス・H・クックの『緋色の記憶』という、過去の事件を巡って、当時と現在を行き来しながらストーリーが進んでいく構造の小説があるのですが、この作品を読んで触発されたところがあります。
――主人公の学生たちが通う大学は九州大学ですよね?大学のキャンパスや福岡の街の描写がすばらしかったです。
川邉:そうですね。大学に5年通って、その後就職した会社で福岡の営業所に7、8年いましたから、思えばずいぶん長く福岡にいたことになります。
――主人公の「私」と乾隆一郎の友情の描写にも、誰もが自分の学生時代を思い出してしまうような普遍性がありますね。
川邉:乾にはモデルがいます。学生時代、何もせず遊び惚けていたのは作中と同じですね。
――個人的には『奇跡の味』も好きです。中華料理や料理全般についての饒舌な語りが作品を引き立てています。
川邉:ミステリとしては「奇跡の味」が最も完成度が高いと思っています。最初の短編に選んだのもそれが理由です。中華料理について書いているところはもう少し圧縮してもよかったと思っていますが、つい筆が滑りました。
中華料理については、携わったことはないのですが一通りの知識はあります。なんといってもこの作品はフランス料理や日本料理ではだめで、中華料理でないと成立しませんので。
――たしかにそうですね。これ以上はネタバレになってしまうので他の作品についてお聞きしたいです。SF小説の趣がある『退化器官』について、作品を書く端緒となったアイデアはどんなところにありましたか?
川邉:もともとSFは好きだったのですが『退化器官』については深く考えて書いたわけではないんです。人工知能についてと、人類が汚染し尽くした地球の未来についての小説を書きたいと漠然と考えていたところでたまたま思いついたから書き始めた、というところです。
――SFとミステリがやはり川邉さんの書きたい小説なのでしょうか。
川邉:そうですね。ミステリとSFしか書きたいものはありません。難しい小説は書きたくないし、私小説は嫌いですしね。今年の目標はミステリの長編を一つ仕上げることです。
――どの作品もストーリー以前に文章そのものにひきつけられました。小説を書く時の文章で心がけていることはありますか?
川邉:小説を書く時に心掛けていることは、出だしと結末、特に最後のセンテンスです。出だしで読者をひきつけないと読んでもらえません。そして、最後の一行でストンと胸に落ちて快い読後感に浸れるように書いているつもりです。
立花隆によると、本を書く人はコンテ派と閃き型(コンテなし)に分かれるのだそうです。私自身はコンテなしで、大雑把な流れを数枚書いてあとは直接文章にしていきます。
書いている間は、24時間、起きている時も寝ている時も、潜在意識の中で書き続けることが大事だと思っています。そうすると必要なアイデアが必要な時に無意識に出てきます。
もうひとつ、こだわっているのは登場人物の名前です。自分の語感に合うものでありつつ、その人物にぴったりの名前を探します。見つかるときは何も考えなくても出てきますが、見つからないときは何日もかかります。考えなくても出てきた名前はまるでその人が生まれ持った名前のようにぴったりしていますが、無理をして考えだした名前はどこか違和感があって気に入るまで何度か変更します。自分の語感と字面をなによりも大事にしていますね。
(後編につづく)