【「本が好き!」レビュー】『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』ウェンディ・ムーア著
提供: 本が好き!18世紀後半のロンドンに、『ドリトル先生』のモデルとも言われ、はたまたその住居が『ジキルとハイド』の家のモデルとなったと目される外科医がいた。
その名はジョン・ハンター。
近代外科医の祖とも言われる人物である。
当時、外科医は内科医の下に置かれる卑しい仕事とされ、解剖など野蛮なものとされていた。その中で、卓抜した解剖技術を持ち、人間のみならず多種の動物の解剖も数多く手がけたのがハンターである。解剖臓器は標本となり、現在でも、彼の名を冠した博物館(ハンテリアン博物館)に保存されている。 彼を解剖へと駆り立てたのは身体構造に対する飽くなき探求心である。胎児と母体の血液循環がつながっていないことを見出したのもハンターだったし、心臓蘇生に電気ショックを始めて使用したのも彼だった。
その陰には、膨大な解剖によって得た知識、そこから生じた論理的な推測があった。
だが、時は18世紀。解剖自体が白眼視されている上、宗教的に、身体を切り刻まれたら最後の審判の日に天国に行けないと思うものもいた。そんな時代に、それだけ多くの人体、つまり遺体を手に入れるのは尋常な手段では無理である。ではどうするのか。有体に言えば墓泥棒に頼るわけである。
彼の興味の前には、己の身体も実験台だった。明確に記録に残されているわけではないが、おそらく彼は自分のペニスに淋病の膿を植え付け、その経過を観察したと考えられる。
本書は、この少々変わった医師の生涯を丁寧に追っている。
各章のタイトルは、「御者の膝」、「トカゲの尻尾」、「乙女の青痣」、「カンガルーの頭蓋骨」等、「〇〇(誰か・何か)の××(臓器・組織)」の形になっている。その時々のハンターの人生で重要であった事物を取り上げ、全体としてハンターの半生を綴る。この構成がなかなか洒落ている。
内容はといえば、前述のエピソード以外にも、解剖中の胃液の味を確かめるとか、巨人の骨を欲しがり、死にそうなその人をつけ狙うとか、当時としては、いや、現代の感覚でも異常な行動も多い。
だが、さて、これらをもってハンターを典型的な「マッド・サイエンティスト」と見るべきかというと、少々躊躇われるものもある。
本書では、兄に業績を横取りされたり、ライバルに出世を邪魔されたりといった人間的な側面も描かれる。
貧しい家の生まれでもあり、ひとかどの立場にまで伸して行くのは並大抵ではなかっただろう。
人間や動物の大量の遺体を解剖し標本とすることも、珍しい外来動物をさまざま買い取って自宅で飼育することも人々からは奇異の眼で見られただろう。
それでも何でも、彼は「知りたかった」のだ。
胎児が母体の中でどのように育っていくのか。ミツバチは蜜を見つけたときと人を刺すときとで羽音を変えるのか。サルとヒトの頭蓋骨はどれほど似ていてどこが違うのか。
生体歯牙移植(要はドナーの歯を抜いてレシピエントに植え付ける)のような行き過ぎた治療や、淋病と梅毒との混同といった明らかな誤りもあったが、患者の身体をよく見もせずに、瀉血や代替医療に頼っていた当時の医学からみれば、何という先進性であったことだろう。
ハンターはダーウィンが進化論を考え出す半世紀以上前に、同様の論を編み出してもいるのだ。
彼の弟子の1人に種痘で知られるジェンナーがいる。よく観察し、理論的に考える姿勢は、師からの薫陶もあってのことだろう。
ハンターは付き合いやすい人物であったとはいえず、口下手であったし、無遠慮な面もあった。弟子が高価な体温計を割ってしまった時に、「おまえの指は五本とも親指か!」と怒鳴りつけたこともあったというから、推して知るべしである。
ハンターの講義は訥々としており、内容も一貫しなかった。本を書くのも得意ではなく、執筆は遅々として進まなかった。その業績が広まったのは、多くの弟子たちが世界に散らばり、師の教えを伝えていったことが大きい。このあたりは、表面的な人当たりの良さなどではない、ハンターの「真価」が弟子たちを惹きつけた現れではなかろうか。
なかなかひとことでは括りにくい人物像だが、彼がバイタリティにあふれていたことは確かだろう。
そのときどきの「常識」の枷を外して、新たな分野を打ち立てる際には、こういうある種、「異様」な人物が必要であるのかもしれない。
一方で、手放しで賞賛できるかといえば、行き過ぎに感じる部分もある。
だが、誰かが境界線を越えてみせなければ、どこに線を引くべきか見えにくい面があることもまた確かだ。
そうしてみると、この複雑な人物の評伝が「科学道」の1冊に選ばれたのもなかなかおもしろいことである。
(レビュー:ぽんきち)
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