【「本が好き!」レビュー】『夏物語』川上未映子著
提供: 本が好き!前半部、不幸な貧乏話が延々と続くので、この手の話の嫌いな私は、ちょっと辛くて、読むのをやめようかと思ったのです。
なんで、図書館に予約を入れたのかはもう思い出せません。
でも、実は、前半部は芥川賞を受賞した『乳と卵』のリライトだそうです。
後半部では、小説家となった主人公夏子の子作りの話ですが、どんな話か分からないまま読んでいたら、どうやら、AID(非配偶者間人工授精)の話ということがわかってきて、さらに読んでいたら、実はラブストーリーだったのかと、わかったのでした。
夏子と、逢沢のデートシーンが素敵です。
もしかして、好きになっていくのかなと思っていたら、やっぱり、好きになっていました。
そして、相手の逢沢も夏子を好きになっていました。
好きになったら、結婚して子供を産んで家庭を作っていくのが、世の常道ですが、そうはなりません。そして、この物語では、夫婦生活の破綻する夫婦がたくさん出てきます。
男は妻に暴力をふるい、血のつながらない娘を強姦し、出産後遺症に苦しむ妻に、「妊娠出産なんて、普通の誰でもやってることだ」と、暴言を吐きます。
精子提供者であり、肉欲だけで妻(女)と関係する夫(男)たちは、子作りが終わり夫婦関係の薄れたメスとの生活に苦痛しかありません。
家庭を作って子供を育てるなんて言う世の常識は彼らには苦痛でしかありません。でも、男と女は結婚して子供を産んで育てていくものと思い込んでいる女たちには、なぜ家庭が崩壊し、夫たちが、暴力をふるい、逃げ出していくのかわかりません。
私に色気がないせいかしらと、豊胸手術をしてみても、男は戻ってきてくれません。
子孫を残すのがオスのDNAに組み込まれた仕事なのに、子作りの終わったメスと一緒にいる意味なんてありませんから。
でも、人間の世界はもちろんそれだけではありません。
心がありますからね。
セックスなしでも、カップルは成立するのでしょうか。
夏子にも恋人はいました。
でも、暴力をふるう怖い父親(オス)を見て育ってきた夏子にとって、セックスは苦痛以外の何物でもありませんでした。
セックスのできない夏子に、恋人はほかの女性に性を求めました。
そして、二人は別れました。
普通の男性にはなかなかセックスのない恋は耐えられないのですね。
忍耐力があり、妻との家庭生活を普通に営んできた父親を持つ女の子たちなら、セックスは楽しいものでもあるのでしょうが、夏子には、男性と肉体関係込みの夫婦生活を送っていくことはできないのでした。
けれど、生物ですから、子孫を残そうとすることは、女性のDNAの中にも、もちろんあります。
セックスなしでも、子供が作れる。
現代の医学ってすごいですよね。
AIDによる出産を考え始めた夏子は、AIDによって生まれた逢沢と出会います。
自身の出生のもととなる存在がわからないということが、どれほど個人のアイデンティティを危うくするか。
それがAIDの問題点の一つのようです。
AIDで生まれ、自身の育ての親に強姦され続けた女性にも出会います。
セックスがいやなのに、家庭を持てそうにないのに、経済的保証もないのに、それでもなぜ夏子は子供を持ちたいと思うのでしょうか。
生まれた子供が一生病気によって痛くてつらい不幸な人生を送る運命かもしれないとして、それでもあなたは子供を産みますか。
ま、そんなこと言ったら、そもそも人類の存在自体どうなのってことになると思うけど。
セックスなしでもいいから、夏子に会いたい、と逢沢は言いました。
好きなら、会いたい。相手に触れたい。キスしたい。セックスしたい。
恋愛の行動のどこまでが、ほんとの恋情で、どこまでが、肉欲なのか。
大概の恋愛は、肉欲込みで、そこに境界線を引くことなんて、まあ普通はありませんから。
女性のセックスは個体差があるので、好きな人も嫌いな人もどうでもいい人もいるのでしょう。
でも、愛がなくても、セックスはできるし、オスって、愛に関係なく、肉欲に支配されてしまう生き物ですから。
ふつうは、肉欲込みで恋愛してしまいますが、肉欲抜きで、恋をするってどういうことになるのでしょう。
蟻とか、蜂の世界は、オスは本当に単純に精子提供者ですよね。
巣の運営も維持も、メスの女王蜂と、働きバチたちで、やってます。
オスは群れに数匹いるだけで、新しい女王とハネムーンに出かけて新しい巣を作る時の精子の提供者です。
AIDが、どんどん進んで、人間のオスも精子提供の存在だけになっていってしまうかも。
今の世の中どんどん婚姻率が減っていて、結婚しない若い男女が増えてます。
昔、無理やり親に結婚させられて、我慢我慢で、生活していた夫婦もいましたけど、今どきのわがままな男女、いえいえ、個人の尊厳と、自分の意志と、自分の生活と人生を大切にすることが当たり前になっているこの時代に、夫婦であること、家庭を維持することは、どこまでできるのでしょうか。
夏子もまた、男に頼らずに自分だけで子供を育てていく人生を選びました。
精子提供のすんだ逢沢さんは、夏子の生活と人生から離脱してしまいます。
関係は切れませんけどね。
人類も、蜂のような構造社会を作っていくのでしょうか。
今どきは、一人の女性が女王蜂と、働きバチをこなすことも可能な社会ですからね。
物語の中で、10人の子供が眠っている家の例え話が出てきます。
その中に一人だけ、生まれてから死ぬまで死ぬよりつらい苦痛を味わい続ける人生の子供がいる。
それがどの子供なのかはわからない。
それでもあなたは子供たちを起こしますか。
私たちの産む子供たちの人生が幸せなものとは限らない。
けれど私は、苦痛の子供は、もっと昔には5人いたかもしれないと思うのです。
さらにもっと昔には、8人だったかも、9人だったかもしれないと思うのです。
けれど、長い歴史の中で、たくさんのかつては子供たちだった人間たちの能力によって、技術の革新や努力によって、1人にまで減ったのではないかと思うのです。
子供たちを起こさなければ、人間の社会はよくなりません。
子供たちのどこかに、人類を救う技術革新や発明をする能力を持った遺伝子をもつ子供がいるのです。
その遺伝子を持つのが、あるいは、生涯苦痛に苦しむ子供であるかもしれない。
それゆえに、苦痛の子供が0人になることを目指して、人は子供を産むのだと思います。
すごい発明をした人も、女性の地位を向上させるために頑張った人も、治らないはずの病気を治す薬を開発した人もいたのが、人の歴史だからです。
でももし私が、あなたの人生はつらいだけだよと生まれる前に教えられたら、その人生はいりませんというだろうと思います。
非常に読み応えのある、問題提議の素晴らしい、物語でした。
普段女性たちが感じている男性たちの女性への差別や無理解や暴力などの不愉快な行動をみごとに描き出してくれました。
後半からどんどん面白くなって、読み終わってみたら、なんで予約していたのかわかりました。
また、川上先生の作品を読もうと思います。
(レビュー:civaka)
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