「精一杯生きてみよう」人生を紡ぐ七通の手紙
私への七通の手紙 統合失調症体験記

私への七通の手紙
統合失調症体験記

著者:大瀧 夏箕
出版:幻冬舎
価格:1,650円(税込)

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本書の解説

自分の人生を振り返ろうと思ったときに、あなたなら何をするだろうか。
年表を作ってみる。文字に起こしてみる。もしくは自問自答してみるという手もある。

『私への七通の手紙 統合失調症体験記』(幻冬舎刊)の著者である大瀧夏箕さんが選んだのは「手紙」だ。今の自分から過去のさまざまな年代の自分に向けて、七通の手紙をしたためた。

30歳の自分へ「自分をやりなおす道を勝ちとるんだ」

大瀧さんは30歳のときに精神科病院に入院をした。
「三十歳のきみへ」という題がついた手紙には、当時のことが克明につづられている。「私にはわからなかった」「統合失調症ってなに?」――そこに映し出されているのは戸惑いや葛藤だ。

同時に希望も描かれている。「この体験によってきみは勝ちとるんだ。自分をやりなおす道を。病気という後遺症を代償にして」(p.76より)と45歳の大瀧さんはつづる。

38歳の自分への手紙には、登山に没頭していた当時の様子と、その代償が書かれている。

あのときのきみはこれまでの人生のなかで一番かがやいていたよ。きみはその山旅を成功させては、その成功を病気からの回復につなげようとしていた。
しかしあのときのきみはたくさんのうらみも買ったんだ。たくさんのひとの友情の手をふり払い、彼らに悲しい思いをさせたんだ。きみが感じたのは友情じゃなかった。きみが感じたのはひととのちがいだった。(p.88-89より)

45歳の大瀧さんは、あのとき自分が友情の手をふり払って何を手に入れたのか。それを知るために手紙をしたためた。そして、苦しみながらも前に進もうとする当時の自分の姿を見つめなおす。

手紙を送る間隔は少しずつ狭まっていく。39歳の自分の記録。44歳の自分への手紙。
そこで描かれるのは前を向いて人生を進もうとする大瀧さんの姿だ。人生をあきらめないで進むことで、いろいろな道を選択できる。そのことを示そうとする姿なのである。

自分への手紙を通して人生の歩みを肯定する

七通の手紙は、中学1年生のときの自分への手紙から始まる。
すべてのきっかけはそこにある。

一人の人間の半生を手紙で振り返るというのは新鮮だ。今の自分が当時のできごとや思いを包み込み、その後の自分にどんな意味をもたらしたのかを丁寧に述べてゆく。本書は「体験記」を超えた、著者自身の人生哲学を映し出すエッセイである。

著者の大瀧さんはこの手紙を書き終えたときのことを次のようにつづっている。

私は、過去のそのときどきの自分の声がどれほど現在の自分を支えているかを感じました。悩んだりまよったり、くるしんだりしていたあのとき、自分はどうしたかったのか、どうしたかったのにあのときはできなかったというくるしみの声がどんなにたいせつかを感じたのです。その声は、そのときどきを生きた証でした。(p.6より)

もし、今、苦しさを感じていたり、悩みを抱えていたりするならば、この「七通の手紙」のように過去の自分自身と対峙してみるのもいいだろう。

これまで生きてきた人生の歩みが、実はまちがいではなかった。失敗や挫折はすべて今のためにあったのだということを実感できるかもしれない。本書はそんなことを教えてくれる一冊だ。

(新刊JP編集部)

インタビュー

■「手紙」という形で自分の人生を振り返るということ

もともとは「自分史書き起こしボランティア」という活動を知って、この本を執筆されたそうですね。

大瀧: そうですね。たまたま高齢者福祉施設のホームページを見ていたら、自分史書き起こしボランティアが募集されていたんです。その時に初めて自分史というジャンルがあることを知って、魅力的に思えました。というのも、以前の経験の中でディグニティセラピーという精神療法の存在を知っていて、それに近いと思ったんです。

ただ、いきなり他人の人生を聞きに行く度胸はなく、まずは自分自身で試してみたというのが、この本を執筆したきっかけの一つです。

では、まずは自分の人生を振り返ることから始めてみようと。

大瀧: 振り返るというよりは、とりあえず自分で書いてみようという感覚です。それで、書いているうちに気づいたことが2つありました。一つは自分の中に「誰かの役に立ちたい」という思いが生まれていること。もう一つは自分が文章を書くのが好きだということです。

ただ、書くことを自分の強みにするには、もっと何度も書いて練習して、最後に披露するという実験が必要でした。というのも、私は統合失調症の診断を受けているのですが、そのことが書くという行動に強く影響していました。

統合失調症の症状には幻聴や幻覚、支離滅裂など、当事者にとって非常に不本意で絶望的な劣等感を抱かせる症状があることは世間一般でも知られています。そんな偏見を受ける立場である統合失調症者の私の文章が、実際に他人に読まれて、どのように思われるのかを実験したかったということがあるんです。

他にも、統合失調症について関心を持ってほしいという思いや、一人の人間としての自分に関心を持ってほしいという気持ちもありました。そういった心情が揃ったことがあって、本書のテーマができていきました。

本書は過去の自分に向けた手紙という形で、ご自身の人生がつづられています。この手紙というアイデアはどのようにして生まれたのですか?

大瀧: これは先ほどお話の中に出てきたディグニティセラピーから派生したアイデアです。

ディグニティセラピーは、終末期の患者さんの尊厳を守ったり、支えたりすることを目的とした精神療法の活動の一つで、支援する側が患者さんの大切にしてきた価値観や覚えておいてほしいことを聞き取って、手紙の形式にして患者さんやそのご家族に提供されます。その手紙という形がすごく魅力的に思えたことが大きいですね。

また、他にも私が文通を趣味として始めていたので、手紙という形に慣れていたこともあります。

自分史を「手紙」という形にして良かった点はなんですか?

大瀧: どの時点の自分と対話するか、的を絞って書くことができたことですね。そうすることで、文章全体がスリムになったように思います。すんなりと短時間で読める作品にしたかったのでその点は良かったです。

また、私は健忘症を少し持っていて、自分自身のエピソードを事細かく物語的に書くことができなかったということもあります。何をしたか詳しくは思い出せないけれど、何を感じていたかは覚えているので、そこに焦点を当てて語りかけることができた。それが上手くはまった感じですね。

中学1年生から44歳までのご自身と手紙を通して向き合うことで見えてきたものはなんですか?

大瀧: 最初は人生の流れにただ翻弄されて、苦労をしてきた自分が見えていたんですけど、次第に多くはない選択肢の中から自分自身で選び始めてきた、自分が意志を持って選べるようになってきた、そういうものが見えました。

成長の速度はスローですし、苦心もしてきたけれど、時間をかけて今にたどり着けた誇らしい自分が見えましたね。

第3章の「消えてしまいそうなきみへ」は手紙ではなく物語です。そして、「この物語はこのあとのきみの人生を助ける」とつづっていますが、20歳と30歳の間にこの物語を置いた意味はどういうものがあったのでしょうか。

大瀧: この物語は私のスピリチュアルな部分が描かれています。いつ頃書いたのかははっきり覚えていないのですが、確か27歳から28歳の頃で、自分が分からなくて一番苦悩していた時期でした。本当に天から降りてきたような感じで、一気に書いたことは覚えています。

そして、この物語を通して自分は何かに守られている、支えられているという感覚を持つことができました。独自のスピリチュアルを手にできた、精神的な土台を私にもたらしたのだと思います。

つまりこの物語が土台になったからこそ、その後の人生を乗り越えていくことにつながるということですね。

大瀧: おっしゃる通り、乗り越えられた理由になっていると思います。

手紙で自分史をたどっていくと、そのポイントで助けられるものを自分がつくっているということが分かりますね。

大瀧: そうなんですよね。それはおそらく、私だけではなくて皆さんもそうなのだと思います。振り返ってみると、当時の自分に助けられていることが必ず見つかります。それが自己治癒であり、自己救済だと思うんですよね。

■振り回される人生から「自分で舵を切る人生」へ

30歳の自分への手紙では「統合失調症」という言葉が出てくるほか、「生」と「死」がせめぎ合うような詩的な文章がつづられています。この時期は大瀧さんにとって大きな転機だったのではないかと思いますが、改めて当時の自分に伝えたかったことはなんですか?

大瀧: この時期は「統合失調症って何?」という思いがすごくあって、困惑していた時期でした。先ほども言ったように、統合失調症には幻聴、幻覚、支離滅裂といった症状が知られていますが、当時の私もそうした知識しか持ち合わせていませんでした。だから私が見ていた世界はすべて統合失調症によって見えていた世界だったのか、と怖くなったんですね。

その恐怖感を一人ぼっちで抱えていて、誰も聞いてくれようとはしなかったし、関心も向けてもくれなかった。それがとてもつらかったんです。そのつらかった感情が、誰かに統合失調症だと打ち明けたいニーズを生み出して、それが実はこの本を執筆したきっかけにもなっていきました。

だから、あの頃の私の困惑が今のこの本の出版につながっていると考えると、あの頃を乗り越えた自分に感謝を伝えたい気持ちですね。

39歳の章は「手紙」ではなく「記録」となっており、自分自身の可能性を見つけるための具体的な行動も書かれています。なぜこの章は「記録」としたのでしょうか。

大瀧: この頃は初めて自分から社会に対して行動を起こした時期でした。人に会いに行って自己開示をして、話を聞いていろんなことを学んだという点で、遅れてきた青春と言ってもいいと思います。その青春の輝きを写真に収める感覚で「記録」としました。

今度立ち上がることができた時にはこのように頑張りたいし、この時に失敗した教訓を糧にして、次は失敗しないぞという意気込みも込めて、記録として残したいと思ったんです。

38歳の自分への手紙には登山にはまるという記録がつづられていますが、39歳の記録では、ソーシャルワーカーに会いに行ったり、精神保健福祉を学んだりと、前向きに行動されています。30歳で統合失調症と診断されから約10年経って大きな前進を感じました。

大瀧: 道が開けた感じがしますよね。10年かけて、やっと自分のエネルギーを前に進めることができたというか。

本書を読ませていただいて、行動をして少しストップして、でもまた前に踏み出してという、山あり谷ありだけれども少しずつ前に進む大瀧さんの姿を感じました。

大瀧: 悪く言えば私はしつこい性格だと思うんです。逆にいえば諦めないということでもあるんですけど。やってみようかなと思って前に進んで、それでしばらく忘れるんですけど、また思い出してやってみようとする、そのサイクルが6年くらい続いていて。

諦めないということは大切だと思います。今の大瀧さんはどのような状況なのでしょうか。

大瀧: 今はまた大きな変化の真っただ中にいます。これからまた行動しないといけないなと思いますし、そうしたいですね。今、福祉系の大学に通っていて、事情があって休学状態なのですが、来年の春から気持ちを切り替えてまた勉強をして、総合的に福祉のことを理解できる人になりたいと思っています。

「おわりに」で「半生をふり返り語ることによって、人生をあきらめない道を主体的に選べる可能性を書きたかった」と書かれています。これが大瀧さんがこの本に込めた想いなのだと感じましたが、その可能性について、今はどのように感じられていますか?

大瀧: 自分自身と社会に振りまわされて生きづらかった人生から、めんどうだけれども常に考えて一つ一つ丁寧に選択して自分自身で舵を切ることができる新しい人生へのシフトの可能性を感じています。楽しく生きたいですし、そのためにシフトして可能性を追っている感じですね。

ただ、自分の意志で舵を切るということは難しくて、いつのまにか流されていることもあります。でも、その様子を振り返って自覚することで、昨日よりも今日、今日よりも明日という感じで少しずつ自分の船を進みたい方向に進めていきたいと思います。

自分の人生をこうして手紙にして振り返ってみて、良かったことはなんですか?

大瀧: 「はじめに」でも書いていますが、コミュニケーションに対してずっと悩みがあったんです。それが手紙を通して自分と対話して、自分のことが分かってきたことによって、克服できたような感覚があります。

本書をどのような人に読んでほしいとお考えですか?

大瀧: キーワードとしては、「生きづらさ」や「統合失調症」「可能性」「スピリチュアル」「人生の舵を切る」といった事柄に関心を持っていて、誰かとの対話を望んでいる人に読んでいただきたいです。そして、ぜひ自分自身と対話をするきっかけにしてほしいですね。

(了)

書籍情報

目次

  1. はじめに
  2. 中学一年生のきみへ
  3. 二十歳のきみへ
  4. 消えてしまいそうなきみへ―足下の恋文
  5. 三十歳のきみへ
  6. 三十八歳のきみへ
  7. 三十九歳の記録
  8. 四十四歳のきみへ
  9. おわりに
    読者のあなたへ

プロフィール

大瀧 夏箕(おおたき・なつみ)

私への七通の手紙 統合失調症体験記

私への七通の手紙
統合失調症体験記

著者:大瀧 夏箕
出版:幻冬舎
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