現役システム開発企業社員が共作 SEの世界がわかるサスペンス系IT小説
テクノロジーの進化によって、かつてない速度で変わり続ける私たちの世界。
ここ数年、AIや5G通信がよく話題にのぼるが、その陰で忘れてはいけないのが、これらのテクノロジーをシステムに落とし込む技術者の存在だ。
『HumanITy ヒューマニティ』(幻冬舎刊)は、システム構築・保守を手がけるIT企業の現役社員たちが、共作して作り上げたプロジェクト型小説。工場へのIT導入によって製造業の現場、日本のものづくりの未来はどう変わるのか。国家的に注目されるITプロジェクトに潜入したスパイとの暗闘と、システム構築の現場で苦悩し成長していく技術者たちの姿を、現場を知る社員たちならではの視点を盛り込みながら描いていく。
この作品はどう生まれたのか?
そもそもなぜIT企業で働く社員たちが小説を書こうと思ったのか?
今回は執筆者の堀江悟史さん、藤田遼太郎さん、鎌田隆寛さん、野村常勝さん、山内靖子さんにお話をうかがった。
■現役SEチームが書いたサスペンス系IT小説で描かれる「システム開発現場の実態」
――『HumanITy』では、オートマイズやA Iの最前線を書いていますが、同時にそれを作り上げるには膨大なマンパワーが必要なのだというメッセージが読みとれます。この作品で伝えたかったことはどんなことですか?
野村:『HumanITy』というタイトルに象徴されているように、この作品では「IT」と「人間」の関わりをSEという仕事を通じて描いています。
具体的には2点あり、1点目はSEがITを支えているということです。現代社会にはITが欠かせないものになっていますが、ひとたびシステムにトラブルが発生すると、銀行で預金が引き出せなくなったり、飛行機の運行に支障を来したり、社会的な問題を引き起こすことがあります。このような問題が起きると、SEが問題解決にあたります。こういう「縁の下の力持ち」的な仕事について世の中の方に理解していただきたい気持ちがありました。
2点目はこのSEという仕事が人間的に成長できる仕事だということです。主人公の花も、SEという仕事を通じて社内の先輩やお客様など、様々な人と出会って、みんなで力を合わせて困難を乗り越えていきます。一般の方にとってSEはコンピュータと向き合ってばかりの仕事だと思われがちですが、そんなことはありません。色々な人と出会うことで、技術者としてだけではなく人間的にも成長できる魅力的な仕事です。この作品を通じてそのことを知り、興味を持っていただけたらうれしいですね。
――私は技術的なことは素人なのですが、製造業の工場のオートマイズ化案件に潜む陰謀や、困難に対処するSE達の奮闘ぶりはスリリングで面白かったです。この作品を書く上で苦労したことや工夫したことがありましたら教えていただきたいです。
鎌田:普段の私たちの仕事はこの作品で書かれているような事件や陰謀とは無縁の世界なのですが(笑)、エンターテインメントとして仕上げるためのストーリーの構築には苦労しましたね。現実世界に即しすぎると無味乾燥になってしまいますし、かといってエンターテインメントを盛り込み過ぎるのもちょっと…というのがあって、バランスが難しかったです。
あとは、作中で描く技術についても、現実的過ぎると出版された時に時代遅れになってしまう一方で、あまりに先進的すぎても「SF」になってしまう。このあたりのバランスについては、執筆者でかなり話し合いました。
――複数人で書くことの難しさは感じましたか?
鎌田:登場人物の言動や性格がバラバラになってしまうのを合わせるのは大変でした。ただ、これまでの作品制作の経験から得たノウハウのようなものは生かすことができたと思っています。実は会社の有志で小説を出版するのは今回で4回目なんです。
具体的には、登場人物一人ひとりについて、小説に書かない部分までプロフィールを作り込みました。それこそ趣味や人間関係から、過去の恋愛遍歴や人に言えない趣味、潜在意識みたいなところまで細かく設定して、執筆者の間で登場人物それぞれへの認識を揃えました。
――執筆の役割分担はどのようにしていたのでしょうか?
鎌田:最初はみんなで物語の骨子を作って、それにそって執筆者が書いていくわけですが、やっていくうちにそれぞれの癖とか得意なことが見えてくるんですね。だから、たとえば「女性同士の会話のところは女性に書いてもらおう」とか、「技術面について書くところはその技術に詳しい人に書いてもらおう」など、場面ごとに得意そうな人に執筆をふっていきました。
こういうチームで分担して制作していくやり方って、システム構築のプロジェクトと通じるものがあるんですよね。普段の仕事の方法論が小説執筆にも生きていると思います。
――普段の仕事がいそがしいなかで小説を書くのは大変そうです…。
鎌田:そうですね。そこは睡眠時間とかプライベートの時間を削って…(笑)。
ただ、ITの仕事って、たとえば橋や道路を作るのとはちがって、なかなか成果が目に見えないんです。それを小説という目に見える形で残すというのは、私たちにとってはプライスレスな体験で、やりがいはありました。
――物語は、主人公の花が研究開発の部署から、異動で実地のシステム開発の現場にやってきて、いきなりリーダーを任されるところから始まります。大役だなと思いながら読んでいたのですが、こういうことは現実にも起こりえるんですか?
堀江:ITの世界は変化のスピードが速いので、1つのことに10年間じっくり向き合えることはそんなにないんです。研究を何年かやった人が「現場を体験していらっしゃい」と現場に配属されたり、現場をやっていた人がもっと技術を深く掘り下げたいから研究に行ったり、といったことは珍しくありません。
いきなり現場に放り込まれた花は大変だけど、後から振り返るといい経験になるんじゃないでしょうか(笑)。
――作中で、クライアントとのコミュニケーションの齟齬から会計システムがクライアントの想定していたものと違っていた場面があって、そこで登場人物の小向英樹が、本来作るべきだった会計システムのファイルの場所を、膨大なデータの中から経験で探り当てた場面が印象的でした。システム開発は「経験」や「勘」の類とは無縁の世界というイメージがありましたが、そんなことはないんですね。
堀江:勘や経験が生きる場面は今でもあります。私の普段の業務では、開発途中のシステムや既に動いているシステムで問題が発生した時にトラブルシューティングに入ることが多いのですが、システムが止まってしまって、一刻も早く復旧しないといけない時は、網羅的に原因を追究するアプローチに合わせて、エンジニアとしての経験から「このあたりがあやしい」というあたりをつけ、優先順位をつけて調査していくことも多くあります。そうすることで、早期の原因究明と対策立案を行い、復旧までの時間を短くすることができることもあるんです。
――しらみつぶしに原因を探すのでは時間がかかってしまう。
堀江:そうですね。そのシステムがどういう構成になっているのか、トラブルが起こると出てくるエラーメッセージがどんなものなのか、といういくつかの「ヒント」があれば、「こういう場合はこういうことが原因でトラブルが起きることがある」というように、多様な製品の組み合わせや様々なシステム構成を経験してきたエンジニアであれば、それまでの経験の引き出しからの類推で、原因をある程度予想することができるのです。 その予想プラス、システムに残っているログなどの「証拠」と突き合わせて問題個所を特定していきます。そうやって、勘と経験みたいなところと、証拠をベースにしたロジックを組み合わせるというアプローチをとることはしばしばありますね。
だから、SEは勘や経験っていう人間ならではの能力もある程度生きる仕事だとは思います。それもこの作品を通じて読者の方に伝わればいいなと思いますね。
――同じ会社に勤める同僚が有志でこの作品を書かれたということですが、そもそもなぜ小説を書くことになったんですか?
山内:動機としては、私たちの仕事をリアリティを持って描くことで「こんな仕事をして社会を支えている人たちがいる」ということを知ってもらいたい、という想いがありました。
それがなぜ小説なのかといいますと、色々な層の方々に手に取っていただきたかったからです。「SEって何をしているのかわからない」と言われることも多いのですが、ITとかシステム開発の仕事ってあまり実態が知られていないですし、苦手意識を持っている方もいらっしゃるんですよね。物語の形にすることで、楽しみながら少しずつ技術の現場について知ってもらえるといいな、と思っています。
(後編につづく)